2019年9月30日月曜日

街区表示板と鉄道の旅 大阪市24区編 第9回 住吉区

今回は「街区表示板と鉄道の旅 大阪市24区編」の記事ですが、第9回となる今回は住吉区でございます。今回の住吉区は1925年に大阪市の第二次市域拡張に伴って東成郡全域が大阪市に編入された際に旧住吉郡全域(平野郷町、喜連村、北百済村、南百済村、田辺町、依羅村、墨江村、住吉村、安立町、敷津村、長居村)と旧東成郡天王寺村の区域で誕生しました。その後、1943年の分増区によって当時の阿倍野区・東住吉区にあたる区域を分離し、隣接する西成区との間で区の境界の見直しも行われ、一部区域(天下茶屋・山王地区および旧敷津村の一部)が西成区に分離編入されると同時に当時西成区に属していた粉浜地区が住吉区に編入されました。そして、1974年には住之江区が分区されて誕生し、現在の区域となりました。また同じく1974年には1943年に分区された東住吉区から平野区が分区されて誕生しております(住吉区について詳しくはWikipediaをご覧ください)。


それでは今回の住吉区最初の街区表示板は左の画像の「住吉区長居東四丁目3」であります。


その「住吉区長居東四丁目3」の街区表示板の住所に該当するのはJR阪和線長居駅であります。こちらの上の画像はJR長居駅の外観を東側から撮影したものです。


こちらの上の画像はJR長居駅の切符売り場と改札口を撮影したものです。


こちらの上の画像はJR長居駅の改札内から改札口を撮影したもので、改札口手前には近くにある長居スタジアムへの方角を示す矢印が表示されてました。長居スタジアムへは隣の鶴ヶ丘駅の方が実際には近いのですが、こちらのJR長居駅からも徒歩圏内ですのでこういった表示がされているのだと思われます。


高架化以前の地上駅時代は2面4線の島式ホームで待避可能の駅でしたが、高架化以降は2面2線の相対式ホームとなり、待避は隣の鶴ヶ丘駅へ変更されました。こちらの上の画像は現在のJR長居駅のホームです。


こちらの上の画像は225系5100番台による天王寺行き普通列車がJR長居駅を発車したところです。


こちらの上の画像はJR長居駅南側の長居公園通からJR阪和線を撮影したもので、高架化以前は開かずの踏切で有名な場所でよく渋滞してましたが、高架化されて以降は渋滞が常態化することはほぼなくなりました。


次はほんの少しだけ移動しまして、左の街区表示板の画像の「住吉区長居東四丁目6」であります。


その「住吉区長居東四丁目6」の街区表示板の住所に該当するのはもうおわかりだと思いますが、大阪メトロ御堂筋線長居駅であります。こちらの上の画像は長居東四丁目6に該当する5号出入口であります。


こちらの上の画像は大阪メトロ御堂筋線長居駅の改札口を撮影したもので、最寄の長居スタジアムを本拠地とするJリーグチームのセレッソ大阪のエンブレムの広告が設置されている柱も一本写っております。


こちらの上の画像は改札口から少し下がって撮影したものですが、先ほどのセレッソ大阪のエンブレムの広告が設置された柱が多く写っており、応援ムードを演出しているのがわかります。


こちらの上の画像は大阪メトロ御堂筋線長居駅の上りホームに21系が停車しているところで、このホームの柱にも先ほどのセレッソ大阪のエンブレムの広告が設置されているものが確認できます。


こちらの上の画像は先ほどのセレッソ大阪のエンブレムの広告が設置されている柱を入れて10A系を撮影したものです。


次は少し移動しまして、左の街区表示板の画像の「住吉区苅田七丁目12」であります。


その「住吉区苅田七丁目12」の住所に該当するのは大阪メトロ御堂筋線あびこ駅であります。こちらの上の画像は苅田七丁目12に該当する3号出入口です。理由はわかりせんが、駅名標や列車の行先などの表示はひらがなの「あびこ」、乗車券などの券面表示は漢字の「我孫子」と使い分けられております。


こちらの上の画像は大阪メトロ御堂筋線あびこ駅下りホーム側の切符売り場です。


こちらの上の画像は大阪メトロ御堂筋線あびこ駅下りホーム側の改札口で、奥には千里中央行きの10A系が写っています。


こちらの上の画像は大阪メトロ御堂筋線あびこ駅下りホームに停車している10系か10A系(車番確認してませんでした。。)です。御堂筋線は1987年4月18日になかもずまで延伸されましたので現在は途中駅となりましたが、1960年7月1日の開業時から1987年4月18日の延伸時まではこのあびこ駅が終着駅でした。


次も少し移動しまして、左の街区表示板の画像の「住吉区浅香一丁目6」であります。


その「住吉区浅香一丁目6」の住所に該当するのは浅香中央公園であります。この浅香中央公園は先ほど少し触れました御堂筋線のなかもず延伸前のあびこ駅が終着駅だった頃まで使われていた我孫子検車場があった場所であります。


こちらの上の画像は浅香中央公園の公園名碑であります。


公園内を少し歩きますと我孫子検車場があったことを証明するモニュメントが現れました。


こちらの左の画像は先ほどの画像の左側にあった「地下鉄車庫労働者の像」と書かれた銅像です。


こちらの上の画像は先ほどの2枚上の画像の真ん中にあった30系3011Fの車輪です。


こちらの上の画像は先ほどの3枚上の画像の右側にあった車両番号プレートを埋め込んだ記念碑で、埋め込まれた車両番号プレートの上には右側に現在大阪市高速電気軌道の社章にも使用されている大阪市交通局の局章が埋め込まれ、左側には「一九六〇年七月この地に地下鉄車庫が竣工しました。 以来、車庫労働者は安全輸送のために日夜努力をしてきましたが、一九八七年四月十一日午後八時十二分我孫子車庫から最終列車三〇一一号車が出庫し、幾多の思いを残しながら二十七年間の車両基地に別れを告げました。」と書かれた文言がありました。


次も少し移動しまして、本来「住吉区我孫子三丁目14」の街区表示板の画像を掲載したかったのですが、自分には見つけられませんでしたので、3番違い(近い番地のものも見つかりませんでしたので。。)の左の街区表示板の画像の「住吉区我孫子三丁目11」であります。


その3番違いの「住吉区我孫子三丁目11」の住所に該当するのはJR阪和線我孫子町駅であります。こちらの上の画像はJR阪和線我孫子町駅を東側から撮影したもので、左端にはタイプは違いますが、「住吉区我孫子三丁目14」の街区表示板が写っております。


こちらの上の画像は先ほどのタイプの違う街区表示板を拡大して撮影したもので、上下にはあびこ観音への案内も表示されています。


こちらの上の画像はJR阪和線我孫子町駅の切符売り場と改札口であります。


こちらの上の画像はJR阪和線我孫子町駅のホームで、2面2線の相対式ホームとなっております。この我孫子町駅も最初に取り上げた長居駅同様にかつては地上駅でしたが、2006年に高架化が完了しました。


こちらの上の画像は225系5000番台により天王寺行き普通列車が停車しているところです。


次も少し移動しまして、左の街区表示板の画像の「住吉区遠里小野一丁目11」であります。


その「住吉区遠里小野一丁目11」の住所に該当するのは南海電鉄高野線我孫子前駅であります。こちらの上の画像は高野山方面ホーム側の駅舎と改札口です。


こちらの上の画像は難波方面ホーム側の駅舎と改札口です。


こちらの上の画像は我孫子前駅北側の踏切を横切る6000系を高野山ホーム側(東側)から撮影したものです。


この我孫子前駅のホームでは2面2線の相対式ホームとなっております。こちらの上の画像は難波方面の2番線ホームに停車する6300系です。


次も少し移動しまして、左の街区表示板の画像の「住吉区清水丘三丁目14」であります。


その「住吉区清水丘三丁目14」の住所に該当するのは阪堺電気軌道阪堺線我孫子道停留場であります。こちらの上の画像は浜寺駅前方面の1番ホームです。


こちらの上の画像は同じく浜寺駅前方面の1番ホームで2003年に撮影した阪堺標準塗装色のモ161形モ175です。先ほどの上の画像と見比べますと背景が時代とともに変わっているのがわかります。


こちらの上の画像は先ほどの1番ホームの方角から阪堺電気軌道本社ビルを撮影したものです。


こちらの上の画像は先ほどの上の画像の右側に写っている踏切を渡ったところから撮影した阪堺電気軌道本社ビルです。こちらの阪堺電気軌道本社ビルの一階には定期券や一日乗車券、グッズなどの販売所も設けられています。


こちらの上の画像は我孫子道停留場2番のりばから撮影した本社ビルの南側にある大和川検車区(我孫子道車庫)であります。


大和川検車区(我孫子道車庫)では毎年6月に路面電車まつりが開催され、多くのお客さんで賑わいます。


次も少し移動しまして、左の街区表示板の画像の「住吉区住吉二丁目9」であります。


その「住吉区住吉二丁目9」の住所に該当するのは阪堺電気軌道阪堺線・上町線の住吉停留場であります。こちらの上の画像は住吉二丁目9に該当する住吉停留場3番のりばに停車している金太郎塗装のモ501形モ505です。


そして、同じく「住吉区住吉二丁目9」の住所に該当するのは阪堺電気軌道阪堺線住吉鳥居前停留場で、こちらの上の画像は同じく住吉二丁目9に該当する住吉鳥居前停留場下りホームに停車するモ701形モ709です。


またこの「住吉区住吉二丁目9」は住吉大社の住所でもあります。こちらの上の画像は住吉大社正門前を撮影したものです。


そして、こちらの上の画像は住吉大社の名所のひとつとなっている反橋(太鼓橋)であります。


また先ほど取り上げました住吉停留場には過去には4ヶ所(現在は一ヵ所減って3ヶ所)ありましたので取り上げてみたいと思います。それでは次はほんの少しだけ移動しまして、左の街区表示板の画像の「住吉区東粉浜三丁目11」であります。


その「住吉区東粉浜三丁目11」の住所に該当するのは阪堺電気軌道阪堺線住吉停留場1番のりばで、こちらは現存しております。こちらの上の画像は住吉停留場1番のりばに停車している金太郎塗装のモ161形モ166で、画像の右端には小さな待合所が写っております。


次もほんの少しだけ移動しまして、左の街区表示板の画像の「住吉区長峡町1」であります。


その「住吉区長峡町1」の住所に該当するのは阪堺電気軌道阪堺線・上町線の住吉停留場2番のりばで、こちらも現存しております。こちらの上の画像は住吉停留場2番のりば付近を走るモ701形モ707です。


また住吉停留場2番のりばの北側には歴史のある建物の待合室があり、こちらも現存しております。


次もほんの少しだけ移動しまして、左の街区表示板の画像の「住吉区東粉浜三丁目30」であります。


その「住吉区東粉浜三丁目30」の住所に該当するのは阪堺電気軌道上町線住吉停留場4番のりばで、こちらは2016年1月30日の上町線住吉-住吉公園間が廃止となりましたので現存しておりません。こちらの上の画像は廃止前の2015年6月6日(路面電車まつりの日)に撮影した住吉停留場4番のりばの様子です。


こちらの上の画像は住吉停留場4番のりばに停車するオレンジ色の雲電車塗装のモ501形モ504です。


こちらは1994年に撮影した阪堺線と上町線が交差していたかつての住吉交叉点の様子です。阪堺線と上町線の併用軌道の線路がクロスして「×」を描いているのがおわかりいただけると思います。



次もほんの少しだけ移動しまして、左の街区表示板の画像の「住吉区長峡町3」であります。


その「住吉区長峡町3」の住所に該当するのは南海電鉄南海本線住吉大社駅と阪堺電気軌道上町線住吉公園駅跡であります。こちらの上の画像は左側の南海電鉄南海本線住吉大社駅と右側の阪堺電気軌道上町線住吉公園駅跡を横並びで撮影したもので、南海本線住吉大社駅もかつては地上駅で、1979年5月9日の駅名変更まで「住吉公園」という駅名で、隣の阪堺電気軌道上町線(かつては南海電鉄上町線)住吉公園駅跡と一体の駅となっていたそうです。


まずは南海電鉄南海本線住吉大社駅を取り上げますが、こちらの上の画像は住吉大社駅東側から撮影した住吉大社駅付近の様子です。


こちらの上の画像は住吉大社駅出入口で、手前には左右に多くのお店があり(撮影した時間は早朝でしたのでまだお店は開店前でした)、奥には2階の改札口へと続く階段があります。


先ほどの上の画像の奥に写っている階段を上ると改札口があります。


こちらの上の画像は1枚上の画像の位置から振り向いて撮影したもので、2枚上の画像の階段が右側に写っており、真ん中には住吉大社の案内があります。


こちらの上の画像は住吉大社駅のホームの様子です。


ホームの屋根を支える柱をよく見ますと柱の形と配色が鳥居を模したものになっているのがわかります。


こちらの上の画像は住吉大社駅2番のりばを撮影したもので、住吉大社駅の2番のりばと4番のりばは画像のように柵が設けられていて普段は使用されないのですが、お正月三が日だけは臨時停車する列車に対応するために柵が外されます。


こちらの上の画像もお正月三が日のみ使用される臨時改札へ続く階段ですが、普段はロープが張ってあります。


こちらの上の画像はホームの階段の上から普段扉で閉ざされている臨時改札への階段を撮影したものです。


こちらの上の画像は2008年に住吉大社駅で撮影した7000系による和歌山市行き特急です。


そして、同じく「住吉区長峡町3」住所に該当するのが阪堺電気軌道上町線住吉公園駅跡です。こちらの上の画像は廃止前の2015年に撮影した阪堺電気軌道上町線住吉公園駅の出入口です。


入口から通路を通ってホームへ向かいます。右側に写る串揚げ屋さんは現在も営業されてます。


ホームに到着しますと1番のりばにモ501形モ501が停車しておりましたので撮影しました。


そして、ホーム先端近くまで行きまして、前パン側からも撮影しました。もうこの都会の中のんびりした光景が見られないのは本当に残念であります。


次は少し移動しまして、左の街区表示板の画像の「住吉区住吉一丁目8」であります。


その「住吉区住吉一丁目8」の住所に該当するのは南海電鉄高野線住吉東駅であります。こちらの上の画像は住吉東駅橋本・高野山方面ホーム側の駅舎を撮影したものです。


こちらの上の画像は住吉東駅橋本・高野山方面ホーム側の改札口を撮影したものです。


こちらの上の画像は住吉東駅難波方面ホーム側の駅舎を撮影したものです。


こちらの上の画像は2008年にほぼ同じ位置から住吉東駅難波方面ホーム側の駅舎を撮影したものです。上の画像の現在のものと比べるとバリアフリーのスロープの形状が変わっているのがわかります。


この住吉東駅も改札がホームごとに独立しているので、改札外に地下道が設けられています。こちらの上の画像は難波方面ホーム側から橋本・高野山方面ホーム側へと続く地下道の入口です。


こちらの上の画像は住吉東駅難波方面ホーム側の改札口です。


改札口へ入る手前にも先ほどの橋本・高野山方面ホーム側へと続く地下道に行ける案内が掲示してあるのが確認できます。


こちらの上の画像が先ほどの難波方面ホームと橋本・高野山方面ホームとを改札外で行き来できる地下道であります。


こちらの上の画像が難波方面ホームから橋本・高野山方面ホームを撮影したもので、2面4線の相対式ホームとなっており、真ん中の2線が通過線となっております。


そして、通過線を通過する高野山極楽橋行きの30000系特急こうやを撮影しました。


そして、この住吉東駅のホームには昔ながらの木製の長いベンチが残っております。


そして、住吉東駅の駅名標も撮影しました。


こちらの上の画像は2008年に撮影した住吉東駅の駅名標です。この頃はまだ旧式の駅名標が結構残っていました。


次は少し移動しまして、左の街区表示板の画像の「住吉区帝塚山西一丁目5」であります。


その「住吉区帝塚山西一丁目5」の住所に該当するのは南海電鉄高野線帝塚山駅であります。こちらの上の画像は帝塚山駅の橋本・高野山方面ホーム側の駅舎であります。


こちらの上の画像は帝塚山駅南側の踏切から撮影した帝塚山駅の様子(踏切開放時に踏切内から撮影)で、左側には難波方面ホーム側の改札口が見えます。


この帝塚山駅も改札がホームごとに独立しているのと朝夕ラッシュ時に開かずの踏切になることから踏切を跨ぐ歩道橋が設置されています。


この帝塚山駅は住宅街の中にあることからホームは上下ともとても狭くなっています。


改札口もホームの狭さと相まってとても狭いものとなっております。


またこの帝塚山駅は帝塚山学院小・中・高等学校の最寄り駅となっていることから、橋本・高野山方面ホームの難波よりには学生専用出口が設けられています。


こちらの帝塚山駅でも駅名標を撮影しました。


こちらの上の画像は2010年に撮影した帝塚山駅の駅名標で、当時は副駅名に(学院前)と表記されていました。


次も少し移動しまして、左の街区表示板の画像の「住吉区帝塚山中三丁目8」であります。


その「住吉区帝塚山中三丁目8」の住所に該当するのは阪堺電気軌道上町線帝塚山三丁目停留場上りホームで、こちらの帝塚山三丁目停留場は先ほど取り上げた南海電鉄高野線の帝塚山駅から徒歩4分の近い場所にあり、こちらも帝塚山学院の最寄りの停留場となっております。こちらの画像は帝塚山三丁目停留場上りホームに停車する帝塚山学院の広告車両のモ701形モ706です。


またこの帝塚山三丁目停留場から東へ徒歩1分の場所にある万代池公園では毎年5月に音楽イベントの帝塚山音楽祭が開催されます。


今回の住吉区はJR阪和線と阪堺電車上町線で天王寺、南海電鉄南海本線と高野線で難波、大阪メトロ御堂筋線では先の天王寺と難波に加えて梅田、新大阪方面へと直接アクセスできる利便性の良さと歴史あるものが多く残っている魅力的な地域だと記事を書いていて改めて思いました。欲を言うとこの住吉区には東西を走る鉄道がないので南港通か長居公園通辺りに地下鉄が走るとまた一段と利便性が向上すると思うのですが、現状を考えるとかなり厳しいようであります。


今回も毎度のことながら記事の内容・画像とも粗い感じで申し訳ございませんが、今後もご愛顧のほどよろしくお願い致します。