2020年7月3日金曜日

阪堺モ701形モ707「アポロビル・ルシアスビル」広告車両(2020年塗装更新車)を撮る

6月14日は阪堺電車の撮影をしておりましたが、少し前にいつもお世話になっている同好の方からご連絡をいただいていた「アポロビル・ルシアスビル」の広告車両に塗装が変更されたモ701形モ707を撮影することができました。


当日は朝方に雨が降ってましたのでいつもより遅い時間に訪問しましたが、天王寺駅前から乗車した我孫子道行きのモ601形モ604の車中から阿倍野-松虫間で対向電車として見かけましたので、住吉界隈で撮影を始めてからはまず下りの我孫子道行きを住吉鳥居前停留場で停車しているところを撮影し、しばらくして上の画像の折り返しの天王寺駅前行きを住吉停留場2番のりばに停車しているところを撮影しました。今回2003年以来久々に復活となった「アポロビル・ルシアスビル」の広告車両ですが、車体全体が深みのある赤い塗装、文言は白文字と良く目立つ塗装になってまして、同じ近鉄系列の広告車両で以前「天王寺都ホテル(現在の都シティ 大阪天王寺)」の広告車両だったモ701形モ704の赤系の塗装に近いようにも見えます。そして、この2年で塗装更新されて変化したモ701形やモ601形の姿と同様に車番がこれまでの切文字からステッカー貼りになって字体も変更されているのと戸袋窓下部に左から「出口 EXIT」、「入口 ENTRANCE」と漢字と英語でそれぞれ大きく表示されているのが確認できます。


こちらも6月14日に阪堺線住吉停留場2番のりばに停車しているところを後追いで撮影したものです。こちらからの撮影分ですと少し地味ではありますが、イラストが描かれているのを確認することができます。


こちらも6月14日に車体側面を少し拡大して撮影したものですが、先述したイラストは左から「CINEMA(映画)」、「SHOPPING(お買い物)」、「GOURMET(お食事)」を描いたものとなっており、また先述した戸袋窓下部の左から「出口 EXIT」、「入口 ENTRANCE」とそれぞれ漢字と英語での表記もこの2年で塗装更新されて変化したモ701形やモ601形と同様に左側と中央の戸袋窓の大きさが違うことからそれぞれの大きさに合わせた表記となっていることが真横から見るとよくわかります。


こちらの上の画像は2003年に撮影した「あべのアポロ・ルシアス」の広告車両だった頃のモ351形モ352(現在は廃車)です。


2020年6月30日火曜日

南海高師浜線 高師浜駅

6月7日は以前よりいつもお世話になっている同好の方のブログを見てステンドグラスのある駅舎が気になっていた南海高師浜線高師浜駅を訪問しました。


こちらの上の画像は高師浜駅の外観を正面から撮影したもので、趣きのある素敵な駅舎です。


こちらの上の画像は高師浜駅の外観を斜めから撮影したもので、現在駅舎の角には自動販売機が設置されていますが、以前は売店があったそうです。


こちらの上の画像は高師浜駅の駅舎からホームへの階段を撮影したもので、駅舎の裏側も少し写っております。


高師浜駅の出入口は一ヵ所で、こちらの上の画像は駅舎の正面出入口から改札と切符売り場を撮影したものです。


こちらの上の画像は駅舎の中から正面出入口を撮影したもので、正面出入口の上にステンドグラスがあります。


こちらの上の画像はステンドグラスを拡大して撮影したものですが、このステンドグラスは強化樹脂製のレプリカで、これまでこの高師浜駅の駅舎に飾られていた本物のステンドグラスは一部がひび割れている箇所もあり今後、風などで損傷がひどくなる恐れもあることから、高石市が駅開業100周年を機に「取り外して保存、活用したい」と南海電鉄に申し出て、2020年3月に南海電鉄から高石市に寄贈されました(詳しくはWikipedia 高師浜駅をご覧ください)。


そして、駅前広場には「高師浜駅 開業100周年」の看板と「高師浜駅周辺観光案内」が設置されていました。


同じく駅前広場に「浜寺俘虜収容所跡の御布令」が設置されていました。


こちらの上の画像は当日高師浜線の運用に就いていた2200系2202Fが高師浜駅のホームに停車しているところを撮影したものです。


そして、こちらの上の画像は高架上にある高師浜駅のホームの西側を見たもので、右奥には終点の車止め、左奥には改札のある駅舎へ続く階段が写っております。


またホームには木製のベンチがあり、昭和の頃の面影を感じさせてくれます。


今回の南海高師浜線高師浜駅の駅舎のステンドグラスがレプリカになっていたのは訪問するまで知りませんでしたので正直驚きましたが、この高師浜線も羽衣-伽羅橋間の高架化工事に伴って来年の5月から3年間バスによる代行輸送になるため、この機会を逃すと昨今の事情でしばらく訪問できない恐れもありましたので、訪問できて良かったと思っております。


2020年6月23日火曜日

阪急6300系 フォト・ギャラリー

阪急6300系のフォト・ギャラリーです。


京都本線相川-上新庄間を走る6300系。


同じく京都本線相川-上新庄間を走る6300系6330形。


京都本線茨木市-南茨木間を走る快速特急だった頃の6300系「京とれいん」。


京都本線相川-上新庄間を走る快速特急Aと種別変更されてからの6300系「京とれいん」。


これらの画像は阪急電鉄 6300系 - MYSTERY TRAIN PHOTO GALLERYでも公開しております。


2020年6月16日火曜日

阪堺モ701形モ706「帝塚山学院」広告車両(2020年塗装更新車)を撮る

帝塚山学院の広告車両の阪堺モ701形モ706の塗装が更新されたことをいつもお世話になっている同好の方よりご連絡をいただきましたので、5月24日に撮影してまいりました。当日の朝に天王寺駅前から乗車した電車が偶然にも2年前の塗装更新時に初めて撮影した日と同じくモ701形モ706で、この日の運用も2年前と同じく天浜運用でありました。


まずは1時間ほど待って浜寺駅前からの折り返しを住吉で撮影しましたが、前回の塗装に続いて美しいデザインの塗装で、昨今の塗装更新されて変化したモ701形やモ601形の姿と同様に車番がこれまでの切文字からステッカー貼りになり、字体も変更されているのと戸袋窓下部に左から「出口 EXIT」、「入口 ENTRANCE」と漢字と英語でそれぞれ大きく表示されているのが確認できlしかもステッカー貼りとなった車番の字体がこれまでの塗装更新されて変化した車両と違う字体となっているのが確認できます。


こちらは1枚目を撮ってから4時間後に帝塚山三丁目停留場へ移動して停車しているところを後追いアングルで撮影したものですが、こちら側から車体側面の広告塗装をよく見ますと、絵のタッチは違いますが、前回同様に子供たちが描かれているのがわかります。


こちらは同じく帝塚山三丁目停留場に停車しているところを後追いアングルで撮影した2年前の2018年の塗装更新時の帝塚山学院の広告車両のモ701形モ706です。


こちらも同じく帝塚山三丁目停留場に停車しているところを後追いアングルで撮影した4年前の2016年に登場した「帝塚山学院創立100周年」の記念車両だった頃のモ701形モ706です。


こちらは最初の画像を撮影した2時間後に車体側面を少し拡大して撮影したものですが、先述した戸袋窓下部の左から「出口 EXIT」、「入口 ENTRANCE」とそれぞれ漢字と英語で表記されており、昨年途中から塗装更新されて変化したモ701形やモ601形と同様に左側と中央の戸袋窓の大きさが違うことからそれぞれの大きさに合わせた表記となっておりました。そして、ステッカー貼りとなった車番の字体が車体側面の窓上にアルファベットで「TEZUKAYMA GAKUIN」と書かれた字体と合わせたものとなっているのがよくわかります。


2020年6月11日木曜日

惜別 阪神赤胴車

先日の6月2日に阪神電鉄武庫川線で車体の上半分がクリーム、下半分がバーミリオン(朱色)のツートンカラーによる「赤胴車」が運行を終了したということですので、今回は過去に掲載した画像ですが、在りし日の阪神赤胴車の姿をご覧ください。


2010年に武庫川線武庫川-東鳴尾間で撮影した7861・7961形です。


2007年に西大阪線(現在のなんば線)大物で撮影した7861・7961形です。


2005年に西大阪線(現在のなんば線)出来島で撮影した7861・7961形(前2両) + 7801・7901形(後2両)で、阪神タイガースのリーグ優勝を記念したヘッドマークが掲出されていました。


同じく2005年に西大阪線(現在のなんば線)出来島-福間で撮影した7801・7901形です。


同じく2005年に西大阪線(現在のなんば線)西九条で撮影した7801・7901形(前2両) + 7861・7961形(後2両)で、こちらにも阪神タイガースのリーグ優勝を記念したヘッドマークが掲出されていました。


同じく2005年に西大阪線(現在のなんば線)出来島で撮影した7801・7901形です。


2007年に西大阪線(現在のなんば線)伝法-福間の淀川橋梁で撮影した7861・7961形(前2両) + 7801・7901形(後2両)です。


2005年に阪神本線大物で撮影した2000系です。


同じく2005年に阪神本線今津で撮影した8000系8523F(8502側)です。


2009年に阪神本線香櫨園で撮影した8000系です。


2008年に阪神本線淀川で撮影した8701・8801・8901形です。


2013年に武庫川線武庫川-東鳴尾間で撮影した7890・7990形です。


この「赤胴車」という通称は1958年に落成した3301・3501形で車体の上半分がクリーム、下半分がバーミリオン(朱色)のツートンカラーが初めて採用され、当時放送中の人気テレビドラマ「赤胴鈴之助」に因んだものだそうです(Wikipedia(赤胴車)を参照)。長年親しんできた阪神電車のカラーリングだっただけに消滅するのはやはり寂しさを感じてしまいますが、60年以上に亘っての活躍、本当にお疲れ様でした。


2020年6月3日水曜日

阪堺線「恵美須町」・「新今宮駅前」停留場に副駅名を設定

今回はかなり前の今年2月の話題になりますが、2月1日から阪堺電車の阪堺線恵美須町停留場と新今宮駅前停留場に副駅名が新たに設定されましたので、翌日の2月2日に撮影した新しい駅名標と過去に撮影した駅名標の画像をご覧ください。


こちらの上の画像は今回新しくなった恵美須町停留場の駅名標で、上からひらがなで「えびすちょう」、その下に漢字で「恵美須町」と書かれており、漢字の「恵美須町」の下に「(通天閣前)」という副駅名が書かれていて、右に駅ナンバリングがあるのが確認できます。そして、その下には左から韓国語、英語、中国語の順で駅名が書かれています。また左下の隣の駅名はひらがなで「しんいまみやえきまえ」と書かれていて、その下に左から英語、韓国語、中国語の順でそれぞれ駅名が書かれているのが確認できます。


過去の駅名標ですが、こちらの上の画像は2016年12月に旧恵美須町停留場で撮影した駅名標で、上からひらがなで「えびすちょう」、その下が漢字で「恵美須町」、駅ナンバリングは同じですが、その下は英語の駅名のみで、左下の隣の駅名も漢字で「新今宮駅前(旧南霞町)」と以前の停留場名も併記して書かれていて、その下は英語で「SHIN-IMAMIYA-EKIMAE」と書かれてました。


こちらも過去の駅名標ですが、上の画像は2008年6月に撮影した駅名標で、上からひらがなで「えびすちょう」、その下が漢字で「恵美須町」、その下が英語で「EBISUCHO」は同じですが、この頃はまだ駅ナンバリングもなく、左下の隣の駅名も漢字表記の以前の「南霞町」、その下が英語表記の「MINAMIKASUMICHO」で、駅名標の下の高島屋の広告も今となっては懐かしい感じがします。


こちらの上の画像は今回新しくなった新今宮駅前停留場の駅名標で、上からひらがなで「しんいまみやえきまえ」、その下に漢字で「新今宮駅前」と書かれており、漢字の「新今宮駅前」の下に「(新世界前)」という副駅名が書かれているのが確認できます。そして、その下には左から韓国語、英語、中国語の順で駅名が書かれています。また左右の下の隣の駅名はそれぞれひらがなで左から「いまいけ」、「えびすちょう」と書かれていて、「いまいけ」の下には左から英語、韓国語、中国語の順で、「えびすちょう」の下には左から韓国語、中国語、英語の順でそれぞれ駅名が書かれているのが確認できます。


過去の駅名標ですが、こちらの上の画像は昨年3月に撮影した駅名標で、上からひらがなで「しんいまみやえきまえ」、その下が漢字で「新今宮駅前」、駅ナンバリングは同じですが、漢字の「新今宮駅前」の下には小さく以前の停留場名の「(旧南霞町)」が併記されており、その下は英語で「SHIN-IMAMIYA-EKIMAE」と書かれていて、左右下の隣の駅名もそれぞれ左から漢字で「今池」、「恵美須町」、その下は英語で「IMAIKE」、「EBISUCHO」と書かれてました。


こちらも過去の駅名標ですが、上の画像は2014年10月に撮影した駅名標で、駅ナンバリングと左右下の隣の駅名もそれぞれ左から漢字で「今池」、「恵美須町」、その下は英語で「IMAIKE」、「EBISUCHO」と書かれているのは現在の「新今宮駅前」の停留場名改称後と同じですが、改称前に撮影したものですので当然ながら上からひらがなで「みなみかすみちょう」、その下が漢字で「南霞町」、その下が英語で「MINAMIKASUMICHO」と書かれていました。


また最近になって阪堺宿院停留場に「(千利休屋敷跡前)」という副駅名が新たに設定されましたが、副駅名設定後は訪問しておりませんので、また後日訪問できればと思っております。


2020年5月30日土曜日

加川良さんと帝塚山界隈

今回は鉄道と音楽でありますが、1970年代から活躍されていたフォーク・シンガーの故・加川良さんの音楽と一時期お住まいだった当時の南海上町線(現在の阪堺上町線)帝塚山界隈との関わりについて(知っている範囲で全く詳しくありませんですが)少し触れてみたいと思います。


こちらの上の画像は加川良さんが1974年11月10日に発表された通算4枚目のアルバム『アウト・オブ・マインド』のジャケットですが、このジャケットに描かれているのが当時の南海上町線(現在の阪堺上町線)姫松停留場の待合室でして、加川良さんは当時帝塚山の中でもこの姫松界隈にお住まいだったそうです。またこの『アウト・オブ・マインド』には中川イサトさん、村上律さん、佐藤博さん、田中章弘さん、林敏明さん、長野たかしさん、鈴木茂さん、中川五郎さん、高田渡さんといったミュージシャンの方々が参加されていて、アルバム全体のサウンドは”カントリー・ロック”と呼ばれるジャンルが一番しっくりくると思いますが、その中でもアルバムB面の3曲目(CDでは8曲目)の「かかしのブルース」は以前風をあつめて / はっぴいえんどの記事の時にも触れました鈴木茂、佐藤博さん、田中章弘さん、林敏明さんらによるアメリカ南部志向のファンキーな演奏の楽曲で、鈴木茂さんがこのアルバムの録音に参加した後すぐに渡米して海外のミュージシャンと初ソロ・アルバム『BAND WAGON』を録音して発表するのですが、その後日本でライブ演奏する際のバンドとしてこのアルバムの録音を通じて知り合った佐藤博さん、田中章弘さん、林敏明さんを誘って結成されたのが”ハックルバック”で、ライブ演奏以外にもスタジオ録音もされていたそうですが、そのスタジオ録音の中の1曲(「砂の女」)に帝塚山出身の桑名正博さんが参加しているということを知りまして、同じ帝塚山ゆかりのミュージシャンの桑名正博さんと加川良さんが偶然にも鈴木茂さんを経由して繋がっていたことに驚いた次第であります(ご本人同士の交流があったのかはわからないのですが)。


こちらの上の画像は2018年に撮影した姫松停留場の待合室で、現在も使用されています。


こちらの上の画像は姫松停留場下りホームに停車するこのアルバムが発表された当時の塗装だった金太郎塗装のモ501形モ505です(2017年撮影)。この姫松界隈の風景を見てますとこのアルバム『アウト・オブ・マインド』で個人的に一番好きな楽曲「あした天気になあれ」のサビの”一番電車を見送って 目覚めの紅茶を飲んで”のところをつい口ずさんでしまいそうになります。


そして、こちらの上の画像は1972年に発表されたセカンド・アルバム『親愛なるQに捧ぐ』のジャケットで、このアルバムに収録されている「白い家」がかつて帝塚山にあった”白い家”というカフェのことを歌ったもので、路面電車も歌詞の中に登場します。


軽快なカントリー風のほのぼのとした楽曲ですので、是非聴いてみてください。


こちらの上の画像は帝塚山三丁目停留場上りホームに停車する同じくこのアルバムが発表された当時の塗装だった金太郎塗装のモ161形モ166です(2018年撮影)。


自分が加川良さんを知ったのは吉田拓郎さんのアルバム『元気です。』に収録されている「加川良の手紙」を聴いたことがきっかけでして、その後かなり時間が空いて15年ほど前にファースト・アルバム『教訓』を買って聴いて、その後は違うアルバムを買うこともなかったのですが、数年前に住吉でいつもお世話になっている同好の方がアルバム『アウト・オブ・マインド』をジャケットのことも絡めて薦めてくださったのでCDを買いまして、楽曲「白い家」のこともご教授くださったのでアルバム『親愛なるQに捧ぐ』も買って聴くようになりました。ありがとうございます。


そして、帝塚山で音楽といえば毎年この時期に開催されている帝塚山音楽祭ですが、今年は新型コロナウイルスの感染拡大防止のため中止となりました(詳細は帝塚山音楽祭公式ウェブサイト帝塚山音楽祭 開催中止のお知らせをご覧ください)。来年以降は収束して開催されることを祈るばかりです。