2020年12月30日水曜日

2020年を振り返る

今年もあとわずかとなりましたが、今回は2020年の鉄道に関することを個人的に振り返ってみたいと思います。


鉄道に関することで個人的に今年の一番大きな出来事となりますと3月にデビューした近鉄80000系特急「ひのとり」であります。これまでの名阪特急の顔だったアーバンライナーの白を基調とした明るいカラーリングからメタリックレッドを基調とした重厚感のあるカラーリングへの変更はかなりのインパクトだと思いました。


そして、阪堺電車の新型車両1101形1101号も同じく3月にデビューしました。白をベースに南海グループのコーポレートカラーであるファインレッドとブライトンオレンジの2色を使った明るいカラーリングの車体はこれまでの1001形堺トラムのシックなカラーリングと違ってとても新鮮に感じました。


次は寂しい話題となりますが、長年近鉄で親しまれてきた鮮魚列車が3月13日の運行をもって終了となりました。さよなら運転の撮影には行けませんでしたが、終了間際の3月7日に大阪上本町駅で古い行先表示板を掲出した鮮魚列車を撮影することができました。


そして、9月には2012年から約8年間ラビットカー塗装だった近鉄6020系6051F(C51)が通常の一般車塗装となりました。こちらの上の画像は2012年に南大阪線北田辺で撮影した「吉野線開業100周年記念列車ツアー」のツアー列車として運転されたラビットカー塗装車の6020系6051F(C51)です


1月に遡りますが、阪堺電車の阪堺線旧恵美須町停留場が1月31日の営業をもって閉鎖されました。こちらの上の画像は2016年12月に旧恵美須町停留場の駅舎を少し入ったところから撮影したものです。


そして、こちらの上の画像はレールの支柱に貼られていた「停留場移設のお知らせ」を今年の1月12日に立ち寄った時に撮影したものです。


そして、翌2月1日からは恵美須町新停留場の供用が開始されました。こちらの上の画像は2月9日にモ161形モ161が貸切電車として運用されて恵美須町新停留場に入線したのを南側から撮影したものです。


あと個人的にうれしかったのは9月19日と20日に行われた阪堺電車で行われたツアー「『筑鉄電車(赤電)カラー』・『1101形車』撮影会&恵美須町旧駅舎敷地内での部品販売会ツアー」に両日参加できたことでして、新型コロナウイルス感染予防対策も徹底されてましたので安心してツアーを楽しむことができました。こちらの上の画像は1日目の9月19日の撮影分です。


そして、こちらの上の画像は2日目の9月20日の撮影分です。9月は感染者数も少ない時期でしたが、感染予防対策を徹底されてツアーを開催してくださった阪堺電車さんには感謝の気持ちでいっぱいであります。本当にありがとうございました。


今回で幣ブログの2020年の記事は最後となります。この1年間で記事を読んでくださった方々、本当にありがとうございました。今年は新型コロナウイルスの影響や体力の衰えもあって撮影に出掛ける回数も減り、投稿のペースが落ちてしまいましたが、引き続きご愛顧のほどよろしくお願い申し上げます。それでは良いお年をお迎えください。


2020年12月23日水曜日

街区表示板と鉄道の旅 大阪市24区編 第21回 淀川区

今月は少し早い「街区表示板と鉄道の旅 大阪市24区編」の記事でありますが、第21回となる今回は淀川区でございます。今回の淀川区は1974年7月22日に東淀川区から分区されて誕生した区であります(詳しくはWikipediaをご覧ください)。


それでは今回の淀川区最初の街区表示板は左の画像の「淀川区新高六丁目14」であります。


その「淀川区新高六丁目14」の住所に該当するのは阪急電鉄神戸本線神崎川駅で、こちらの上の画像は阪急電鉄神戸本線神崎川駅の東口であります。


こちらの上の画像は阪急電鉄神戸本線神崎川駅の西口であります。


この阪急電鉄神戸本線神崎川駅のホームは相対式ホーム2面2線となっております。こちらの上の画像は神崎川駅1番ホームの中央付近から神戸三宮寄りを撮影したものです。


こちらの上の画像は同じく神崎川駅1番ホームから3000系梅田行き普通を2008年に撮影したものです。


次は少し移動しまして、左の街区表示板の画像の「淀川区三国本町三丁目37」であります。


その「淀川区三国本町三丁目37」の住所に該当するのは阪急電鉄宝塚本線三国駅で、こちらの上の画像は阪急電鉄宝塚本線三国駅の外観を駅東側から撮影したものです。この阪急電鉄宝塚本線三国駅はシンガーソングライターのaikoさんが2005年2月16日にリリースした17枚目のシングル「三国駅」のモデルとなった駅で、1998年までの地上駅時代だった頃の三国駅をイメージして書かれたそうです(詳しくはWikipedia(三国駅(aikoの曲))をご覧ください。


現在の阪急電鉄宝塚本線三国駅は高架化されており、ホームも地上駅時代は相対式ホーム2面2線でしたが、現在の高架化されたホームはこちらの上の画像の島式ホーム1面2線となっております。


こちらの上の画像は三国駅の駅名標と8000系を絡めて撮影したものです。


次も少し移動しまして、左の街区表示板の画像の「淀川区十三東二丁目12」であります。


その「淀川区十三東二丁目12」の住所に該当するのは阪急電鉄神戸本線・宝塚本線・京都本線十三駅で、こちらの上の画像は阪急電鉄神戸本線・宝塚本線・京都本線十三駅の東口を撮影したものです。


こちらの上の画像は阪急電鉄神戸本線・宝塚本線・京都本線十三駅の西口を撮影したものです。


この阪急電鉄神戸本線・宝塚本線・京都本線十三駅のホームは4面6線となっており、こちらの上の画像は十三駅神戸本線1号線ホームから神戸三宮寄りを撮影したものです。


こちらの上の画像は十三駅神戸本線1号線ホームから大阪梅田寄りを撮影したもので、右から神戸本線、宝塚本線、京都本線とありますが、神戸本線と宝塚本線の間に引き込み線があることも確認できます。


こちらの上の画像は先ほどの画像と同じく十三駅神戸本線1号線ホームから大阪梅田寄りを撮影したもので、3線を同時に走る列車は撮影できませんでしたが、神戸本線と京都本線の2線を走る列車は撮影することができました。


こちらの上の画像は宝塚本線4号線ホームに停車する6000系大阪梅田行き普通で、十三駅宝塚本線の3・4号線ホームには可動式ホーム柵が2018年から2019年にかかけて設置されました。


この十三駅神戸本線2号線と宝塚本線3号線のある島式ホームには1967年開業の近畿の私鉄で初めての立食いそば店となる「阪急そば(現在は「若菜そば」)」があります。


またこの十三駅神戸本線2号線と宝塚本線3号線のある島式ホームは駅ナカ施設が充実しており、こちらの上の画像は開店前でシャッターが閉まってますが、十三が本店のみたらし団子の名店「喜八州総本舗」や「551蓬莱」などの有名店の名物を買うことができます。


こちらの上の画像は十三駅京都本線5号線ホームを6号線ホームから撮影したものです。十三駅京都本線5号線ホームも2019年に可動式ホーム柵が設置されました。


こちらの上の画像も同じく十三駅京都本線5号線ホームを6号線ホームから撮影したもので、停車する1300系高槻市行きを入れて撮影しました。


こちらの上の画像は十三駅京都本線6号線ホームを撮影したもので、奥に見えるのは北側の跨線橋による連絡通路に繋がる階段とエスカレーターであります。


こちらの上の画像は跨線橋の連絡通路で、この連絡通路にも駅ナカ施設のフレッズカフェが入店しております。


また南側には地下通路による連絡通路があり、こちらの上の画像は十三駅西口の改札口と奥に地下通路による連絡通路を撮影したものです。


こちらの上の画像は南側の地下通路による連絡通路であります。


こちらの上の画像は地下通路による連絡通路から見た十三駅東口の改札口です。


次も少し移動しまして、左の街区表示板の画像の「淀川区西中島三丁目17」であります。


その「淀川区西中島三丁目17」の住所に該当するのは阪急電鉄京都本線南方駅で、こちらの上の画像は阪急電鉄京都本線南方駅の西端の改札口で、踏切手前の北側が1番ホーム京都河原町・北千里方面のりばの「きた西改札口」、踏切奥の南側が2番ホーム大阪梅田方面のりばの「みなみ西改札口」となります。


こちらの上の画像は阪急電鉄京都本線南方駅の西端の南側となる2番ホーム大阪梅田方面のりばの改札口と横切る5300系を絡めて撮影したものです。


阪急電鉄京都本線南方駅には東側の南北にも改札口があり、こちらの上の画像は北側の1番ホーム京都河原町・北千里方面のりばの「きた東改札口」であります。


そして、こちらの上の画像は南側の2番ホーム大阪梅田方面のりばの「みなみ東改札口」であります。


この阪急電鉄京都本線南方駅のホームは相対式ホーム2面2線となっております。こちらの上の画像は南方駅2番ホームの「にし南改札口」を入って少し東側から京都河原町寄りを撮影したもので、手前には縦書きの古いのりば案内が写っています。


こちらの上の画像は先ほどののりば案内を拡大して撮影したもので、こちらののりば案内は右から縦書きで「梅田 十三 神戸[三宮] 姫路・有馬 宝塚・箕面 方面 のりば」と表記されていました(こちらの上の画像は昨年6月2日に撮影したもので、先ほどの画像(今年の6月21日撮影)とはのりば案内の下の広告の有無で紛らわしいことになってますが、上ののりば案内の表記は同じですのでご了承ください)。


こちらの上の画像は反対側の1番ホームののりば案内を拡大して撮影したもので、こちらののりば案内は右から縦書きで「京都[河原町] 淡路 嵐山(桂のりかえ) 北千里 方面 のりば」と表記されていました(こちらの画像は今年の6月21日撮影)。


次はほんの少し移動しまして、左の街区表示板の画像の「淀川区西中島一丁目12」であります。


その「淀川区西中島一丁目12」の住所に該当するは大阪メトロ御堂筋線西中島南方駅で、こちらの上の画像は大阪メトロ御堂筋線西中島南方駅の2号出入口であります。


この大阪メトロ御堂筋線西中島南方駅のホームは相対式ホーム2面2線となっております。こちらの上の画像は西中島南方駅2番ホームの中央付近から江坂寄りを撮影したものです。


こちらの上の画像は同じく西中島南方駅2番ホームから10系なかもず行きを2007年に撮影したものです。


次は少し移動しまして、左の街区表示板の画像の「淀川区西中島五丁目15」であります。


その「淀川区西中島五丁目15」の住所に該当するのは大阪メトロ御堂筋線新大阪駅で、こちらの上の画像は大阪メトロ新大阪駅の7号出入口であります。


こちらの上の画像は大阪メトロ御堂筋線新大阪駅中改札口で、新幹線への乗換えの際に一番多く利用される改札口であります。


この大阪メトロ御堂筋線新大阪駅のホームは島式ホーム1面2線となっております。こちらの上の画像は新大阪駅2番ホームの南側から江坂寄りを新大阪駅の駅名標と新大阪止まりの10A系を絡めて撮影したものです。


次はほんの少し移動しまして、左の街区表示板の画像の「淀川区西中島五丁目16」であります。


その「淀川区西中島五丁目16」の住所に該当するのはJR新大阪駅で、こちらの上の画像はJR新大阪駅の外観を南側の歩道橋から撮影したものです。


こちらの上の画像はJR新大阪駅の正面口を撮影したものです。


こちらの上の画像はJR新大阪駅の新幹線のりば南口を撮影したものです。


このJR新大阪駅の新幹線ホームは島式ホーム3面6線と単式ホーム2面2線、合計5面8線を有するホームで、東海道・山陽新幹線が乗り入れてますが、ホームはJR東海が管轄しております。こちらの上の画像は2003年に撮影した24番線ホームに停車する700系で、車体の帯部分の「AMBITIOUS JAPAN!」のステッカーは2003年10月1日の東海道新幹線品川駅の開業に合わせて始まった「AMBITIOUS JAPAN!」キャンペーンに伴って貼られたもので、同日にリリースされたアイドルグループのTOKIOの28枚目のシングル「ABITIOUS JAPAN!」とのタイアップが当時話題となりましたが、この「ABITIOUS JAPAN!」の作詞はなかにし礼さん、作曲は今年の10月7日に亡くなられた筒美京平さんで、筒美京平さんはこの「AMBITIOUS JAPAN!」で作曲家として1960年代から2000年代の5年代(1960・1970・1980・1990・2000年代)にかけてのオリコンチャートNo.1獲得という偉業を成し遂げられました。


そして、こちらの上の画像はJR西日本の管轄となるJR新大阪駅の在来線のコンコースから新幹線のりかえ口を撮影したものです。


こちらの上の画像も同じくJR西日本の管轄となるJR新大阪駅の在来線のコンコースの様子を撮影したものです。


こちらのJR新大阪駅の在来線のホームは5面10線を有するホームで、JR東海道本線(JR京都線・JR神戸線)、おおさか東線、福知山線(JR宝塚線)、梅田貨物線経由の紀勢本線(きのくに線)・関西空港線などの列車が発着しております。


こちらのうえの画像は最初のJR新大阪駅の外観を撮影した歩道橋から撮影したJR新大阪駅の在来線の様子です。


次は少し移動しまして、左の街区表示板の画像の「淀川区宮原二丁目3」であります。


その「淀川区宮原二丁目3」の住所に該当するのはJR東海道本線(JR京都線)東淀川駅で、こちらの上の画像はJR東海道本線(JR京都線)東淀川駅の東口を撮影したものです。この東淀川駅の現在の所在地は淀川区ですが、開業が1940年4月1日で、当時この所在地が東淀川区だったことから駅名が「東淀川」である理由で、こちらの上の画像の東口は現在の淀川区と東淀川区の境界線の場所となります。


こちらの上の画像はJR東海道本線(JR京都線)東淀川駅の東口の駅名標と下の東口の旧駅舎の写真を撮影したものです。


こちらの上の画像は2007年に撮影したJR東海道本線(JR京都線)東淀川駅の東口の旧駅舎です。


こちらの上の画像はJR東海道本線(JR京都線)東淀川駅の西口の出入口箇所のみを撮影したものです。


こちらの上の画像はJR東海道本線(JR京都線)東淀川駅の西口の駅名標と下の東口の旧駅舎の写真を撮影したものです。


こちらの上の画像は2007年に撮影したJR東海道本線(JR京都線)東淀川駅の西口の旧駅舎です。


こちらの上の画像はJR東海道本線(JR京都線)東淀川駅の現在の改札口と切符売り場です。


この東淀川駅のホームは島式ホーム2面4線で、列車の乗降は内側線の2・3番のりばのみで行われています。


こちらの上の画像は東淀川駅北側にあった北宮原第1踏切・北宮原第2踏切のあった場所を東口側から撮影したもので、南側にあった南宮原踏切とともに開かずの踏切で有名な踏切でしたが、現在は踏切が廃止されて高いフェンスが設けられています。


踏切跡のすぐ横に踏切廃止について書かれた看板がありました。


こちらの上の画像は2007年に撮影した廃止前の北宮原第1踏切・北宮原第2踏切です。


廃止された踏切に代わって設置されたのが橋上駅舎の南側の自由通路で、歩行者用の階段とエレベーター、自転車用のスロープを使って改札を通らずに橋上駅舎の南側を自由に通行できるようになりました。こちらの上の画像は東口側の自転車用のスロープを撮影したものです。


こちらの上の画像は西口の歩行者用のエレベーターと自転車用のスロープを撮影したものです。


こちらの上の画像は南側の自由通路から新大阪側を撮影したものです。


次はそれなりに移動しまして、左の街区表示板の画像の「淀川区加島三丁目10」であります。


その「淀川区加島三丁目10」の住所に該当するのはJR東西線加島駅で、こちらの上の画像は街区表示板の住所に該当するJR東西線加島駅の北口であります。またこの加島駅北口の地上の南側にはJR東海道本線(JR神戸線)が走っております。


こちらの上の画像はJR東西線加島駅のきっぷうりばと改札口であります。


このJR東西線加島駅のホームは島式ホーム1面2線となっております。


こちらの上の画像はJR東西線加島駅のホームの壁の駅名標と駅のシンボルである「青海波(せいがいは)」(加島駅付近に「島」のつく地名が多く存在することから、その「島」に打ち寄せる波をイメージしたもの)を撮影したものです。


こちらの上の画像はJR東西線加島駅の駅名標と207系を絡めて撮影したものです。


また地上を走るJR東海道本線(JR神戸線)の南側は西淀川区となりますが、西淀川区側にもJR東西線加島駅の出入口は東西に2カ所あり、こちらの上の画像は東側の竹島東口となります。


そして、先ほどの画像の竹島東口から東に少し歩いたところに阪神高速11号池田線と府道10号(みてじま筋)が通る加島陸橋があり、その加島陸橋はJR東海道本線の塚本信号所-尼崎間を上から見下ろす場所にあることから撮影地としては有名で、自分も以前何度か撮影に訪れたことがありました。こちらの上の画像は2003年に撮影した試験塗装のEF65 1059号機牽引の貨物列車です。


最後もそれなりに移動しまして、左の街区表示板の画像の「淀川区木川西四丁目6」であります。


その「淀川区木川西四丁目6」の住所に該当するのはJR西日本網干総合車両所宮原支所で、こちらの上の画像は街区表示板の住所に該当するJR西日本網干総合車両所宮原支所の正門であります。


こちらの上の画像は東側となる国道469号線(新御堂筋)の歩道から撮影したJR西日本網干総合車両所宮原支所の様子です。右からサロンカーなにわ、12系客車、トワイライトエクスプレス瑞風が留置されていました。


今回の淀川区は日本の鉄道路線の大動脈ともいえる東海道・山陽新幹線に在来線の東海道本線、大阪市の鉄道路線の大動脈の大阪メトロ御堂筋線、関西大手私鉄の路線は阪急のみながら主要3路線(神戸本線・宝塚本線・京都本線)がすべて走っており、大阪市内の中でも鉄道の要所ともいえ、1964年の東海道新幹線の開業から1970年の大阪万博にかけての戦後の高度経済成長の時期に最も発展した地域であると思います。また平成になってからは区内でも鉄道空白地帯であった加島地区も1997年3月8日のJR東西線の開業で加島駅が設置されたことによって解消され、今後計画されている大阪メトロ四つ橋線を延伸しての西梅田・十三連絡線(仮称)やまだ免許を失効していない阪急新大阪連絡線(十三-新大阪間)がもし実現すれば益々の発展が期待できそうであります。

今回も毎度ながら記事の内容・画像とも粗い感じで申し訳ございません。この「街区表示板と鉄道の旅 大阪市24区編」の記事も本来は今年中に完結予定でしたが、今年4月から5月にかけての新型コロナウイルスによる緊急事態宣言の影響で出かけられずに記事も休まざるを得ない状況となりましたので、新年に入ってからのあと3回もご愛顧のほどよろしくお願い致します。