2021年6月18日金曜日

近鉄50000系 フォト・ギャラリー

近鉄50000系のフォト・ギャラリーです。


大阪線大阪教育大前-関屋間を走る50000系観光特急しまかぜ。


名古屋線伊勢若松-千代崎間を走る50000系観光特急しまかぜ。


大阪線五位堂-築山間を走る鉄道友の会ブルーリボン賞受賞の記念ラッピングを施された50000系観光特急しまかぜ。


橿原線石見-田原本間を走る50000系観光特急しまかぜ。


大阪線三本松-室生口大野間を走る50000系観光特急しまかぜ。


大阪線河内国分-安堂間の大和川橋梁を渡る50000系観光特急しまかぜ。


橿原線西ノ京-尼ヶ辻間を走る50000系観光特急しまかぜ。


これらの画像は近畿日本鉄道 50000系 - MYSTERY TRAIN PHOTO GALLERYでも公開しております。


2021年6月6日日曜日

阪堺モ161形モ164茶色塗装(2020年塗装更新車)を撮る その1

今回も以前に撮影したものとなりますが、昨年茶色塗装に塗装変更された阪堺モ161形モ164について取り上げてみたいと思います。

今回モ161形モ164に施された茶色塗装はモ151形登場時の塗装をイメージした塗装で、2014年にも今回と同じくモ161モ164で行われ、今回で2度目の塗装となります。


自分がこの茶色塗装となったモ161形モ164を初めて撮影したのは昨年9月20日に行われた「『筑鉄電車(赤電)カラー』・『1101形車』撮影会&恵美須町旧駅舎敷地内での部品販売会ツアー」の時で、沿線で初めて撮影したのは今年の正月輸送の時でしたが、通常運用での撮影は2月28日が最初でした。当日の昼間は天我の市内運用で走ってましたが、こちらの上の画像は阪堺線住吉停留場2番のりばに停車する茶色塗装のモ161形モ164です。このモ161形モ164も他のモ161形同様に今回の塗装変更でワンマンカープレートが撤去されたのと、車番の位置が前回の茶色塗装では方向幕の左側だったのが今回の茶色塗装では窓下中央に位置が変更されたのでお顔の印象が変わりました。車体側面の車番も前回と違って今回はお顔の車番と同じ字体となったことが前回の茶色塗装との変更点です。


こちらの上の画像は同じく住吉停留場2番のりばに停車する2014年塗装更新時の茶色塗装で、ワンマンカープレートの有無やお顔の車番の位置や車体側面の車番の字体の違いがわかると思います。


こちらの上の画像は同じく2月28日に住吉停留場2番のりばに停車しているところを後追いで撮影したものです。


こちらの上の画像は同じく2月28日に車体側面を少し拡大して撮影したもので、トップナンバー以外のモ161形3両(モ162・モ164・モ166)は昨年の塗装更新で2018年4月辺りから始まった他の形式(モ501形・モ351形・モ701形・モ601形)の塗装更新の時と同様に戸袋窓下部の左から「出口 EXIT」、「入口 ENTRANCE」とそれぞれ漢字と英語で表記されるようになりましたが、モ161形は乗車時の中央の扉が両扉のため、扉の左右の窓にそれぞれ「入口 ENTRANCE」の表記がされるようになりました。


2021年5月29日土曜日

阪堺モ161形モ166ビーグル・スター塗装車(2020年塗装更新車)を撮る その1

今回はかなり前に撮影したものとなりますが、昨年に塗装変更されてビーグル・スター塗装となった阪堺モ161形モ166を取り上げてみたいと思います。

今回モ161形モ166に施されたビーグル・スター塗装は元々1986年頃にモ161形モ167を使って試験的に行われた塗装で、2010年10月に2週間限定でモ61形モ164で復刻され、今回のモ161形モ166で2度目の復刻となります。


自分がこのビーグル・スター塗装となったモ161形モ166を初めて撮影したのは昨年9月19日に行われた「『筑鉄電車(赤電)カラー』・『1101形車』撮影会&恵美須町旧駅舎敷地内での部品販売会ツアー」の時でしたが、沿線で初めて撮影したのは昨年11月28日でした。当日の昼間は恵我の市内運用ではしってましたが、こちらの上の画像は阪堺線塚西停留場に停車する我孫子道行きのビーグル・スター塗装のモ161形モ166です。このモ161形モ166も他のモ161形同様に今回の塗装変更でワンマンカープレートが撤去されましたのでお顔の印象がこれまでと少し変わりました。


こちらの上の画像も同じく昨年11月28日に阪堺線東粉浜停留場に停車する恵美須町行きのビーグル・スター塗装のモ161形モ166を撮影したものです。


こちらの上の画像は今年の1月2日に車体側面を少し拡大して撮影したもので、トップナンバー以外のモ161形3両(モ162・モ164・モ166)は昨年の塗装更新で2018年4月辺りから始まった他の形式(モ501形・モ351形・モ701形・モ601形)の塗装更新の時と同様に戸袋窓下部の左から「出口 EXIT」、「入口 ENTRANCE」とそれぞれ漢字と英語で表記されるようになりましたが、モ161形は乗車時の中央の扉が両扉のため、扉の左右の窓にそれぞれ「入口 ENTRANCE」の表記がされるようになりました。


今回最後の画像は車番が違いますが、2010年10月に2週間限定でビーグル・スター塗装に復刻された時のモ161形モ164です。


2021年5月16日日曜日

福鉄200形 フォト・ギャラリー

福鉄200形のフォト・ギャラリーです。


福武線田原町駅に停車する200形旧福鉄色201編成(201-1側)。


同じく福武線田原町駅に停車する200形旧福鉄色201編成(201-2側)。


同じく福武線田原町駅に停車する200形新福鉄色202編成(202-1側)。


同じく福武線田原町駅に停車する200形新福鉄色202編成(202-2側)。


同じく福武線田原町駅に停車する200形急行色203編成(203-1側)。


同じく福武線田原町駅に停車する200形急行色203編成(203-2側)。


西武生駅(現在の北府駅)隣の車両基地に3色並べられた200形。


これらの画像は福井鉄道 200形 - MYSTERY TRAIN PHOTO GALLERY福井鉄道編 - MYSTERY TRAIN PHOTO GALLERYでも公開しております。


2021年5月8日土曜日

惜別 能勢電鉄3100系

今回は過去に撮影したものですが、先日運用を終了した能勢電鉄3100系の画像です。


能勢電鉄は訪問する機会が少なく、3100系が撮影できたのもスカートが設置されてからの一度だけでした。こちらの上の画像は山下駅に停車する3100系3170側です。


そして、こちらの上の画像は同じく山下駅に停車する3100系3120側です。


阪急電鉄から譲渡されて20年以上の活躍、本当にお疲れさまでした。


2021年4月29日木曜日

阪堺モ351形モ354「キーフェルコーヒー」広告車両(2020年塗装更新車)を撮る

今回はかなり前の話題の記事となりますが、昨年11月に塗装が更新された「キーフェルコーヒー」の広告車両の阪堺モ351形モ354について取り上げてみたいと思います。


こちらの上の画像は昨年11月に塗装が更新された「キーフェルコーヒー」の広告車両の阪堺モ351形モ354を昨年の11月29日にいつもの住吉停留場2番のりばに停車しているところを撮影したものです。今回塗装更新されたモ351形モ354も2018年4月のモ501形モ503の塗装更新時から変化が始まったモ501形やモ351形の姿と同様にお顔の窓下にあったワンマンカープレートの撤去と車番がこれまでの切文字からステッカー貼りとなって字体も変更され、戸袋窓下部に左から「出口 EXIT」、「入口 ENTRANCE」と漢字と英語でそれぞれ大きく表示されているのが確認できます。


こちらの上の画像は同じく住吉停留場2番のりばに停車しているところを昨年9月20日に撮影した塗装更新前の切文字車番でワンマンカーカープレートがあった頃のモ351形モ354です。自分にとっては塗装更新前のモ351形モ354を撮影したのがこの時が最後で、この時は阪堺電車開業120周年記念ヘッドマークが掲出されていました。


そして、こちらの上の画像は今年の2月14日に同じく住吉停留場2番のりばに停車しているところを後追いで撮影したものです。


こちらも今年の2月14日に車体側面を少し拡大して撮影したものですが、先述した戸袋窓下部の左から「出口 EXIT」、「入口 ENTRANCE」とそれぞれ漢字と英語で表記されており、2018年4月のモ501形モ503の塗装更新時から変化が始まったモ501形やモ351形と同様に戸袋窓下部に左から「出口 EXIT」、「入口 ENTRANCE」と漢字と英語でそれぞれ大きく表示されるようになったのが確認できます。


昨年11月にこのモ351形モ354が塗装更新されて車番が切文字からステッカー貼りとなったことで阪堺電車の現役車両から切文字車番の車両は消滅ということとなり、ワンマンカープレートが設置されている車両も金太郎塗装のモ501形モ505を残すのみとなりました。


2021年4月18日日曜日

京阪3000系(2代)特急プレミアムカー組み込み編成を撮る

今回は少し前の話題となりますが、京阪3000系(2代)による座席指定特別車両「プレミアムカー」を組み込んだ編成が1月31日により運行が開始されましたので、2月21日に撮影してきました。


今回も関目で淀屋橋行きを撮影しました。8000系と同じく淀屋橋方の前から3両目にプレミアムカーが組み込まれています。


この日は出町柳方は撮影せず、その後は京橋で「COMFORT SALOON 3000 SERIES DEBUT」のヘッドマークを撮影しました。


まだ乗車の方はできてませんので、機会があれば乗車してみたいと思っております。


2021年4月6日火曜日

阪堺1101形1101号デビュー1周年

記事にするのが少し遅くなってしまいましたが、昨年3月28日に運用を開始した阪堺電車の新型車両1101形1101号がデビュー1周年となりました。


これまでの1001形堺トラム3編成のシックなカラーリングとは違った明るいカラーリングが魅力な1101形1101号、これからも末永く走り続けてほしいものであります。


2021年3月30日火曜日

街区表示板と鉄道の旅 大阪市24区編 第24回 中央区

今回は「街区表示板と鉄道の旅 大阪市24区編」の記事となりますが、今回で24回目となり最終回となります。第24回で最終回となる今回は中央区でお座います。今回の中央区は1989年2月13日に当時の南区と東区が合区して誕生した区であります(詳しくはWikipediaをご覧ください)。またこの中央区は同日に当時の北区と大淀区が合区して誕生した第1回目で記事にした現在の北区と共に大阪市では歴史の浅い区となります。

それでは今回の中央区最初の街区表示板は左の画像の「中央区難波五丁目1」であります。


その「中央区難波五丁目1」の住所に該当するのは南海電鉄なんば駅で、こちらの上の画像は南海電鉄なんば駅のある南海ビルディングの外観の一部(西側)を北側から撮影したものです。この南海電鉄なんば駅は「難波」と漢字の表記が正式な表記ですが、漢字の「難波」だと「なにわ」とも読めることから駅名標や車内の案内表示などの駅名表記は平仮名の「なんば」で統一されております(逆に切符や定期券、特急券などの券面表記は漢字の「難波」となっております)。またこの南海ビルディングは1932年7月に完成したもので、南海電鉄なんば駅の駅舎としては四代目駅舎となります。


こちらの上の画像は南海ビルディングの一部(東側)を撮影したもので、テナントとして入居している百貨店の大阪高島屋の正面玄関が写っております。


こちらの上の画像は南海電鉄なんば駅の1階北出入口を撮影したものです。


そして、こちらの上の画像は先ほどの南海電鉄なんば駅の1階北出入口の駅名標を撮影したものですが、駅名標の上には南海電鉄の初代社章の羽車を象った彫刻があります。


こちらの上の画像は南海電鉄なんば駅の大階段を撮影したものです。


こちらの上の画像は南海電鉄なんば駅北改札口を撮影したものです。


南海なんば駅のホームは櫛形ホーム9面8線で、こちらの上の画像は南海電鉄なんば駅の大型LCD行先案内表示器を撮影したもので、行先案内表示器の下には左から高野線4番のりばに停車する2000系、南海本線5番のりばに停車する7100系が写っております。


こちらの上の画像は9番のりばに停車する50000系空港特急ラピートを撮影したものです。


次はほんの少し移動しまして、左の街区表示板の画像の「中央区難波一丁目9」であります。


その「中央区難波一丁目9」の住所に該当するのは大阪メトロ御堂筋線・千日前線なんば駅15A号出入口です(正確な所在地がわかりませんでしたので、今回は出入口に街区表示板が掲出されていたこの住所にしましたが、間違っていたらごめんなさい)。こちらの大阪メトロなんば駅も先の南海電鉄と同じく正式な表記は漢字の「難波」で、駅名標や案内板などの駅名表記は平仮名の「なんば」ですが、切符や定期券などの券面表記は漢字の「難波」となっており、大阪メトロが大阪市営地下鉄時代から平仮名の「なんば」を使用する理由は「難波」という漢字が難読であるからだそうです。


こちらの上の画像は大阪メトロ御堂筋線なんば駅北西改札口(左側)と切符売り場(右側)で、この北西改札口は降車専用となっております。


こちらの上の画像は先ほどの大阪メトロ御堂筋線なんば駅北西改札口を出てすぐにある地下街のなんばウォークで、東は堺筋、西は四ツ橋筋まで続く地下街ですが、開業当初の1970年から現在の「なんばウォーク」に改称するまでは「虹のまち」の愛称で親しまれ、日吉ミミさんの歌う「あなたと私の虹のまち」(作詞が吉川静夫さん、作曲が渡久地政信さん、編曲が近藤進さんで、シングル「大阪恋歌」のB面)がコマーシャル・ソングとして使われました(また自分は聴いたことがないのですが、10周年記念ソングとして芹洋子さんの歌う「その時 虹のまち」(作詞が久田直美さん、作曲がキダ・タローさん)のソノシートが製作されたそうです(詳しくはWikipedia(なんばウォーク)をご覧ください))。


こちらの画像は大阪メトロ御堂筋線なんば駅の天王寺・あびこ・なかもず方面の1番のりばのホームで、現在の大阪メトロ御堂筋線なんば駅のホームは単式ホーム2面2線となっておりますが、1987年に混雑緩和のために現在の梅田・新大阪・千里中央方面の2番のりばのホームが新設されるまではこの現在の1番ホームだけで上下の列車の乗降が行われていました。


こちらの上の画像は30000系が停車する同じく大阪メトロ御堂筋線なんば駅の天王寺・あびこ・なかもず方面の1番のりばのホームで、現在は1番ホームから梅田・新大阪・千里中央方面の列車に乗降できないように柵が設けられているのがわかります。


こちらの上の画像は1987年に新設された現在の梅田・新大阪・千里中央方面の2番のりばのホームです。


こちらの上の画像は同じく現在の梅田・新大阪・千里中央方面の2番のりばのホームに21系が停車しているところを撮影したものです。


こちらの上の画像は先ほどの天王寺・あびこ・なかもず方面の1番のりばのホームから梅田・新大阪・千里中央方面の2番のりばのホームに停車する10A系を撮影したものです。


そして、こちらの上の画像は大阪メトロ千日前線なんば駅のホームを撮影したもので、大阪メトロ千日前線なんば駅のホームは島式ホーム1面2線となっております。画像のホームにあるエアコンの側面には駅の近くにあるFM802の広告が掲載されています。


こちらの上の画像は1番線鶴橋・今里・南巽方面のりばに停車する25系と駅名標を絡めて撮影したものです。


こちらの上の画像は大阪メトロ四つ橋線なんば駅1番線で駅名標と23系を絡めて撮影したもので、この大阪メトロ四つ橋線なんば駅は開業当初は「なんば元町」(正式な表記は「難波元町」)で現在も所在地が浪速区で管轄外となりますが、1970年3月11日に現在のなんば駅に統合されたことと浪速区編で取り上げてなかったことから今回1枚だけ画像を掲載しました。


次もほんの少し移動しまして、左の街区表示板の画像の「中央区難波四丁目1」であります。


その「中央区難波四丁目1」の住所に該当するのは近鉄難波線・阪神なんば線大阪難波駅で、こちらの上の画像は近鉄難波線・阪神なんば線大阪難波駅のある近鉄難波ビルの外観を東側から撮影したものです。


こちらの上の画像は地下1階にある近鉄難波線・阪神なんば線大阪難波駅の東口です。この近鉄難波線・阪神なんば線大阪難波駅は元々1970年3月15日の近鉄難波線開通によって「近鉄難波駅」として開業したのが始まりで、2009年3月20日に阪神なんば線が開通したことによって近鉄と阪神による相互直通運転が開始されて近鉄と阪神の共同使用駅となって駅名も現在の「大阪難波駅」と改称されました。元々近鉄の駅として開業したことから駅の管理は近鉄が行っております。


こちらの上の画像は地下2階にある近鉄難波線・阪神なんば線大阪難波駅の東改札口を撮影したものです。画像に写ってませんが、画像右には大阪メトロ千日前線・御堂筋線の東改札口があります。


この近鉄難波線・阪神なんば線大阪難波駅のホームは島式ホーム1面・単式ホーム1面の2面3線の構造となっております。こちらの上の画像は西九条・尼崎・神戸三宮方面のりばの3番線ホームに停車する阪神なんば線開業10周年記念ラッピング列車の阪神1000系を撮影したものです。


次は少し移動しまして、左の街区表示板の画像の「中央区日本橋一丁目18」であります。


その「中央区日本橋一丁目18」の住所に該当するのは近鉄難波線近鉄日本橋駅で、こちらの上の画像は日本橋一丁目交差点南西側にある大阪メトロ堺筋線・千日前線の5号出入口との共同使用となっている地上の出入口です。


こちらの上の画像は地下1階にある大阪メトロ堺筋線・千日前線日本橋駅堺筋線天神橋筋六丁目方面のりば2番線ホーム側の改札口と真向いにある近鉄日本橋駅の出入口で、先ほど取り上げた地下街のなんばウォークとも直結しております。反対側の大阪メトロ堺筋線・千日前線日本橋駅堺筋線天下茶屋方面のりば1番線ホーム側の改札口との真向いにも出入口があります。


こちらの上の画像は先ほどの地下1階にある大阪メトロ堺筋線・千日前線日本橋駅堺筋線天神橋筋六丁目方面のりば2番線ホーム側の改札口と真向いにある近鉄日本橋駅の出入口の階段から降りた地下2階にある西改札口と切符売り場であります。


この近鉄日本橋駅のホームは地下3階にあり、相対式ホーム2面2線となっております。こちらの上の画像は大阪難波・西九条・尼崎・神戸三宮方面2番線ホームから駅名標を入れて撮影したものです。


こちらの上の画像は同じく大阪難波・西九条・尼崎・神戸三宮方面2番線ホームから石切・生駒・大和西大寺・奈良方面1番線ホームに停車する近鉄9820系です。


次はほんの少し移動しまして、左の街区表示板の画像の「中央区日本橋一丁目5」であります。


その「中央区日本橋一丁目5」の住所に該当するのは大阪メトロ堺筋線・千日前線日本橋駅で、こちらの上の画像は日本橋一丁目交差点北東側にある近鉄の出入口との共同使用となっている6号出入口です。


こちらの上の画像は地下1階にある大阪メトロ堺筋線・千日前線日本橋駅の堺筋線天下茶屋方面1番線ホーム側の切符売り場を撮影したもので、反対側の堺筋線天神橋筋六丁目方面のりば2番線ホーム側にも切符売り場は同じくあります。


こちらの上の画像は地下1階にある大阪メトロ堺筋線・千日前線日本橋駅の堺筋線天下茶屋方面1番線ホーム側の改札口で、改札口の奥のホームには堺筋線と相互乗り入れいている阪急電鉄の車両が停車しています。反対側の堺筋線天神橋筋六丁目方面のりば2番線ホーム側にも同じく改札口がありますが、この大阪メトロ日本橋駅はこの2ヶ所の改札のみですので、日本橋駅から改札に入って千日前線に乗車する際もこのこの2ヶ所の改札口を利用することとなります。


この大阪メトロ堺筋線日本橋駅のホームは相対式ホーム2面2線となっております。こちらの上の画像は天下茶屋方面1番線ホームを撮影したもので、柱を挟んだ2番線に66系が停車しています。


こちらの上の画像は反対側の天神橋筋六丁目・北千里・高槻市方面2番線ホームを撮影したものです。


こちらの上の画像は天神橋筋六丁目・北千里・高槻市方面2番線ホーム側にある千日前線のりばへの連絡階段を撮影したものです。


こちらの上の画像は大阪メトロ千日前線日本橋駅のホームで、先ほどの堺筋線天神橋筋六丁目・北千里・高槻市方面2番線ホームへの連絡階段を入れて撮影したものです。この大阪メトロ千日前線日本橋駅のホームは島式ホーム1面2線となっております。


こちらの上の画像は千日前線鶴橋・今里・南巽方面1番線ホームを日本橋駅の駅名標を入れて撮影したものです。


こちらの上の画像はなんば・阿波座・野田阪神方面2番ホームを同じく日本橋駅の駅名標を入れて撮影したものです。


そして、反対側の堺筋線天下茶屋方面1番線ホームへの連絡階段を入れて千日前線のホームを撮影しました。


次は少し移動しまして、左の街区表示板の画像の「中央区心斎橋筋一丁目8」であります。


その「中央区心斎橋筋一丁目8」の住所に該当するのは大阪メトロ御堂筋線・長堀鶴見緑地線心斎橋駅4B号出入口です。


こちらの上の画像は大阪メトロ心斎橋駅の南改札口を撮影したものです。


この大阪メトロ心斎橋駅の南改札口は百貨店の心斎橋大丸と心斎橋パルコの地下と直結しており、現在の心斎橋パルコの場所はかつてはそごう大阪店(最終的な名称はそごう心斎橋本店)がありましたので、そごうがあった当時は御堂筋線心斎橋駅の車内放送でも「次は大丸、そごう前です」とアナウンスされていました。こちらの上の画像は心斎橋大丸の地下出入口側から先ほどの心斎橋駅南改札口の駅名標を入れて撮影したものです。


こちらの上の画像は地上に出て御堂筋西側から心斎橋大丸の外観を撮影したものです。


こちらの上の画像は2019年当時心斎橋大丸北館の御堂筋側にある大阪シティバス心斎橋筋一丁目停留場に85系統のなんば行きが停車していたので撮影したものです。この心斎橋大丸北館だった建物は現在心斎橋パルコとなって営業しております。


この御堂筋線心斎橋駅のホームは島式ホーム1面2線となっております。こちらの上の画像は御堂筋線心斎橋駅の駅名標を入れてホームの様子を撮影したものですが、現在は改装工事中のために昨年8月に撮影した時はホームの天井が蓋をされた状態となっておりました。


こちらの上の画像は2018年に撮影したもので、この頃はまだ改装工事も始まってませんでしたので高い天井とシャンデリアを入れてホームを撮影することができました。梅田・新大阪・千里中央方面2番のりばには30000系が停車しています。


こちらの上の画像は2019年に撮影したもので、この時は高い天井とシャンデリアを見上げてホームを撮影しました。なんば・天王寺・なかもず方面1番のりばに21系、梅田・新大阪・千里中央方面2番のりばに10A系がそれぞれ停車していました。


そして、こちらの上の画像は上の画像は長堀鶴見緑地線心斎橋駅のホームを駅名標を撮影したもので、長堀鶴見緑地線心斎橋駅のホームは島式ホーム1面2線となっており、西長堀・大正方面2番のりばに70系が停車しています。天井も曲線を使ったユニークなデザインとなっております。

こちらの上の画像は長堀鶴見緑地線心斎橋駅のホームの床に御堂筋線と四つ橋線への乗換え案内が貼られていたので撮影したものです。この長堀鶴見緑地線心斎橋駅は御堂筋線の他に四つ橋線四ツ橋駅へも改札内で連絡しており、四つ橋線に乗換えすることができます。四つ橋線四ツ橋駅に関しましては西区編で既に掲載しておりますので今回は割愛させていただきました。


こちらの上の画像は地上の心斎橋筋にある地下街のクリスタ長堀と大阪メトロ心斎橋駅への出入口を撮影したものです。


このクリスタ長堀は長堀鶴見緑地線が心斎橋まで延伸開業した1996年の翌年となる1997年に開業した地下街で、先述した地下街のなんばウォークと同様に東は堺筋、西は四ツ橋筋まで続く地下街となっております。


次も少し移動しまして、左の街区表示板の画像の「中央区松屋町8」であります。


その「中央区松屋町8」の住所に該当するのは大阪メトロ長堀鶴見緑地線松屋町駅で、こちらの上の画像は「中央区松屋町8」の住所にある大阪メトロ長堀鶴見緑地線松屋町駅1号出入口です。


こちらの上の画像は大阪メトロ長堀鶴見緑地線松屋町駅の切符売り場と改札口を撮影したものです。


改札内に入りますと、松屋町は人形の街ということで人形店のショーケースが壁一面に立ち並んでいます。


この大阪メトロ長堀鶴見緑地線松屋町駅のホームは島式ホーム1面2線で、こちらの上の画像は大阪メトロ長堀鶴見緑地線松屋町駅のホームを撮影したものです。


そして、こちらの上の画像は70系を松屋町駅の駅名標を入れて撮影したものです。


そして、地上に出ますと松屋町駅のある松屋町交差点から長堀通を少し西に行きますと東横堀川が南北に流れており、現在その上には阪神高速1号環状線(南行き)が通り、長堀通には橋が架けられていますが、この橋が末吉橋で、かつては大阪市電東西線・玉造線の停留場(1961年11月1日の市電廃止後はトロリーバスに変換され、1969年9月1日のトロリーバス廃止後は大阪市バスを経て現在は大阪シティバスの停留場)があり、現在の松屋町駅のある長堀通と松屋町筋との交差点も市電の停留場もバス停もかつては「末吉橋」という名称でしたが、1996年に松屋町駅が開業してからすべて「松屋町」と名称が変更されました。また現在の長堀通も長堀川が埋め立てられるまで川に北側にあり、「末吉橋通」という名称でした。


こちらの上の画像は末吉橋の名前を撮影したものですが、橋の名前の横に「昭和二年七月改築」と書かれてあります。


こちらの上の画像は末吉橋南西側から末吉橋南側の欄干を撮影したものですが、鉄筋コンクリート西側から欄干を撮影したものですが、こちらから見るとシンプルなデザインの鉄筋コンクリートアーチ橋となっております。


こちらの上の画像は末吉橋南側中央から橋の欄干と東横堀川を南向きに撮影したもので、欄干もこちらから見ると大大阪時代に造られた橋だけに非常に重厚な造りとなっていました。


こちらの上の画像は末吉橋西側から末吉橋北側を撮影したもので、撮影した時は阪神高速1号環状線が補修工事だったことから末吉橋と一体となっている街灯も工事の足場に囲われた形となっていました。


こちらの上の画像は末吉橋北側中央にある大阪シティバス松屋町停留場です。


この末吉橋にある松屋町停留場には85系統が走っており、こちらは東行きの杭全行きが発着しておりますが、上の路線図を見ますと四ツ橋-杭全間はかつてのトロリーバスを踏襲する路線となっております。下の時刻表を見ますと現在は平日・土曜・休日ともにほぼ1時間に1本で寂しさを感じますが、玉造まで並行して地下鉄が走ってますので仕方がないところであります。


こちらの上の画像は末吉橋の西側から長堀通を西向きに撮影したものです。


この西向きに撮影した交差点は「末吉橋西詰」で、末吉橋の西側にある交差点にはまだ「末吉橋」の名称が残っていました。


そして、こちらの上の画像は現在の大阪メトロ長堀鶴見緑地線松屋町駅のある松屋町交差点南西側から東を向いて撮影したもので、交差点から長堀通を少し東の場所に長堀通を跨いで橋が架かってますが、この橋の名前は「高津原橋(たかつはらばし)」と言い、橋上は自動車も通る道となっております。この高津原橋周辺は元々上町台地の急な勾配でしたが、先ほどの末吉橋から東へ大阪市電を通すために上町台地の斜面を削って現在の長堀通となる道路を作ったので、元々上町台地だった頃にも南北の道があったので現在の長堀通の上を跨ぐこの高津原橋が造られました。


次はそれなりに移動しまして、左の街区表示板の画像の「中央区大阪城3」であります。


その「中央区大阪城3」の住所に該当するのはJR大阪環状線大阪城公園駅で、こちらの上の画像はJR大阪環状線大阪城公園駅の正門を撮影したものです。


こちらの上の画像は先ほどのJR大阪環状線大阪城公園駅の正門と繋がっている陸橋から西を向いて撮影したもので、画像左奥にかなり小さいながらも大阪城天守閣、右奥に大阪城ホール、左手前にこの陸橋と繋がっている「JO-TERRACE OSAKA」という商業施設が写っております。


こちらの上の画像がJR大阪環状線大阪城公園駅の改札口(右側)と切符売り場(左側)で、改札口の上には小説家の司馬遼太郎さんが書いた詩を写した陶板、切符売り場の上とこの画像に写っていないコンコースには西山英雄さんの陶板レリーフ「なにわの精華」が飾られています。


このJR大阪環状線大阪城公園駅のホームは相対式ホーム2面2線となっております。こちらの上の画像は外回り鶴橋・天王寺方面2番線ホームから内回り京橋・大阪方面1番線ホームを向いて撮影したものです。


こちらの上の画像は先ほどの外回り鶴橋・天王寺方面2番線ホームで内回り京橋・大阪方面1番線ホームから発車したところの323系を後追いで撮影したものです。


そして、こちらが以前城東区編でも掲載しましたJR西日本吹田総合車両所森ノ宮支所(森ノ宮電車区)で、このJR大阪環状線大阪城公園駅のホームから撮影したものでしたので再度掲載しました。


次は少し移動しまして、左の街区表示板の画像の「中央区森ノ宮中央一丁目1」であります。


その「中央区森ノ宮中央一丁目1」の住所に該当するのはJR大阪環状線・大阪メトロ中央線・長堀鶴見緑地線森ノ宮駅で、こちらの上の画像は「中央区森ノ宮中央一丁目1」の住所に該当するJR大阪環状線森ノ宮駅北口と大阪メトロ中央線・長堀鶴見緑地線森ノ宮駅6号出入口を撮影したものです。


こちらの上の画像はJR大阪環状線森ノ宮駅の北改札口と切符売り場を撮影したものです。


またJR大阪環状線森ノ宮駅の南高架下と隣接する西側に「ビエラ森ノ宮」という商業施設が2013年に開業しました。


そして、「ビエラ森ノ宮」の開業と同時にJR森ノ宮駅に南改札口が開業しました。こちらの上の画像はJR森ノ宮駅の南改札口を撮影したものです。


このJR大阪環状線森ノ宮駅のホームは相対式ホーム2面2線となっております。こちらの上の画像は外回り鶴橋・天王寺方面2番線ホームから内回り京橋・大阪方面1番線ホームを向いて撮影したものです。


こちらの上の画像は外回り鶴橋・天王寺方面2番線ホームに停車する103系を内回り京橋・大阪方面1番線ホームから2005年に撮影したものです。


こちらの上の画像は外回り鶴橋・天王寺方面2番線ホームから鶴橋・天王寺方面2番線ホームと出口・地下鉄(大阪メトロ)への乗換案内の案内表示を入れて内回り京橋・大阪方面1番線ホームを向いて撮影したものです。


先ほどの地下鉄(大阪メトロ)への乗換え案内を拡大してみますとまだマルコマークが残っていました(2020年11月15日撮影)。


こちらの上の画像は大阪メトロ中央線・長堀鶴見緑地線森ノ宮駅東改札を撮影したものです。


この大阪メトロ中央線森ノ宮駅のホームは島式・単式を組み合わせた2面3線のホームとなっております。こちらの上の画像は大阪メトロ中央線森ノ宮駅の長田・生駒・学研奈良登美ヶ丘方面1・2番線ホームを撮影したもので、1番線ホームは日中使用されないので車両が留置されています。


またこの大阪メトロ森ノ宮駅のホームの柱には大阪城への最寄りの出口の案内表示がイラスト入りでされております。


こちらの上の画像は本町・弁天町・大阪港・コスモスクエア方面3番線ホームを中央線森ノ宮駅の駅名標を入れて撮影したものです。


こちらの上の画像は大阪メトロ長堀鶴見緑地線森ノ宮駅のホームを撮影したもので、大阪メトロ長堀鶴見緑地線森ノ宮駅のホームは島式ホーム1面2線となっております。


こちらの上の画像は70系と長堀鶴見緑地線森ノ宮駅の駅名標を入れて撮影したものです。


こちらの上の画像の撮影場所は先ほどのJR大阪環状線大阪城公園駅の所在地となる「中央区大阪城3」となりますが、大阪城公園南東側となる大阪メトロ森ノ宮駅3B出入口も同じ所在地となりますので、大阪城公園南東側から大阪城天守閣を撮影しました。こちらは少し望遠寄りで撮影しましたので、先ほどの大阪城公園駅正門前の陸橋から撮影した画像より大阪城天守閣も少し大きく写っております。


次も少し移動しまして、左の街区表示板の画像の「中央区谷町三丁目3」であります。


その「中央区谷町三丁目3」の住所に該当するのは大阪メトロ谷町線・中央線谷町四丁目駅で、こちらの上の画像は「中央区谷町三丁目3」の住所に該当する大阪メトロ谷町線・中央線谷町四丁目駅6号出入口を撮影したものです(所在地は谷町四丁目であります)。


こちらの上の画像は大阪メトロ谷町線・中央線谷町四丁目駅の中改札口(右側)と切符売り場(左側)を撮影したものです。


大阪メトロ谷町線谷町四丁目駅のホームは相対式ホーム2面2線となっております。こちらの上の画像は天王寺・八尾南方面1番線ホームに停車する22系と谷町線谷町四丁目の駅名標を絡めて撮影したものです。


こちらは谷町線から中央線森ノ宮・長田・生駒・学研奈良登美ヶ丘方面1番線ホームへの連絡通路を撮影したもので、上に大きく「中央線のりば」と案内表示がされています。


こちらの上の画像は先ほどの「中央線のりば」の案内表示の反対側から撮影したもので、当然のことながら上に大きく「谷町線のりば」と案内表示されています。


この大阪メトロ中央線谷町四丁目駅のホームも谷町線のホーム同様に相対式ホーム2面2線となっております。こちらの上の画像は森ノ宮・長田・生駒・学研奈良登美ヶ丘方面1番線ホームで中央線谷町四丁目駅の駅名標とホームの柱にある大阪城への出口案内表示を絡めて撮影したものです。


次も少し移動しまして、本来は「中央区船場中央四丁目1」の街区表示板を掲載したかったのですが、自分には見つけられませんでしたので、1番違いの左の街区表示板の画像の「中央区船場中央四丁目2」であります。


その1番違いの「中央区船場中央四丁目2」の住所に該当するのは大阪メトロ御堂筋線・中央線本町駅で、こちらの上の画像は住所が「中央区久太郎町四丁目1」となりますが、「中央区船場中央四丁目2」に近い大阪メトロ御堂筋線・中央線本町駅13号出入口を撮影したものです。


こちらの上の画像は大阪メトロ御堂筋線・中央線本町駅の所在地の「中央区船場中央四丁目1」にある船場センタービル10号館の外観を撮影したものです。


こちらの上の画像は大阪メトロ本町駅中東改札を撮影したもので、21系にデコレーションされた改札口の中にマスコットキャラクターのにゃんばろうのぬいぐるみがいました。


御堂筋線本町駅のホームは島式ホーム1面2線で、こちらの上の画像は御堂筋線本町駅のホームで駅名標を入れて撮影したものです。


こちらの上の画像も御堂筋線本町駅のホームですが、30000系を入れて撮影しました。


こちらの上の画像は大阪メトロ中央線本町駅のホームを撮影したもので、大阪メトロ中央線のホームも御堂筋線のホームと同じく島式ホーム1面2線となっております。


こちらの上の画像は20系と中央線本町駅の駅名標を絡めて撮影したものです。


こちらの上の画像は四つ橋線本町駅肥後橋・西梅田方面2番線ホームに停車する23系と四つ橋線本町駅の駅名標を絡めて撮影したものです。この四つ橋線本町駅は開業当初は「信濃橋」という駅名で、1969年7月11日に中央線本町駅の現在の駅が完成した時にこれまでの信濃橋駅から本町駅へ改称して同一駅となりましたが、地図的に見て信濃橋駅時代から西区が所在地だと思われましたので今回は1枚のみの掲載とさせていただきました。


またこの大阪メトロ本町駅の出入口との連絡通路には昭和の頃に設置された大阪市営地下鉄時代のひげ文字による案内表示を多く残っておりますので、1枚掲載してみました。


次も少し移動しまして、左の街区表示板の画像の「中央区北浜三丁目6」であります。


その「中央区北浜三丁目6」の住所に該当するのは大阪メトロ御堂筋線・京阪電鉄京阪本線淀屋橋駅で、こちらの画像は住所が「中央区北浜三丁目1」となりますが、大阪メトロ御堂筋線と京阪電車との共同使用となっている出入口で、大阪メトロ御堂筋線1号出入口を撮影したものです。


こちらの上の画像は街区表示板の住所の「中央区北浜三丁目6」の日土地淀屋橋ビルにある京阪淀屋橋駅への出入口です。現在この日土地淀屋橋ビルの出入口は利用することはできず、一度解体されて「淀屋橋駅東地区都市再生事業」による新しいビルに建て替えられるそうです。現在利用できなくなった日土地淀屋橋ビルの出入口の案内表示には「京阪電車淀屋橋駅」と表示されてましたが、大阪メトロ御堂筋線を乗降する際も利用することができました。


こちらの上の画像は大阪メトロ御堂筋線淀屋橋駅北改札を撮影したものです。


この大阪メトロ御堂筋線淀屋橋駅のホームは島式ホーム1面2線となっており、こちらの上の画像は大阪メトロ御堂筋線淀屋橋駅のホームの梅田・新大阪・千里中央方面2番線ホームに停車する北大阪急行8000系と御堂筋線淀屋橋駅の駅名標と高い天井、シャンデリアを絡めて撮影したものです。


こちらの上の画像は大阪メトロ御堂筋線淀屋橋駅のホームと北改札への階段を撮影したものです。


こちらの上の画像は京阪電鉄京阪本線淀屋橋駅の改札口へ向かう地下通路南側で、コンビニなどの商業施設が軒を連ねています。


こちらの上の画像は京阪電鉄京阪本線淀屋橋駅の地下通路南側にある切符売り場を撮影したものです。


こちらの上の画像は京阪電鉄京阪本線淀屋橋駅の地下通路北側にあるプレミアムカー券うりばとライナー券うりばの案内表示の柱を撮影したものです。


こちらの上の画像は京阪電鉄京阪本線淀屋橋駅の地下通路北側にある駅事務室で、こちらでプレミアムカー券とライナー券を購入することができます(現在は改札内でもキャッシュレスの券売機で購入可能となりました)。


こちらの上の画像は京阪電鉄京阪本線淀屋橋駅の地下通路南側にある中央改札口(入口専用)を撮影したものです。


このこちらの上の画像は京阪電鉄京阪本線淀屋橋駅のホームは島式ホーム1面3線で、のりばは4番線までありますが、1番線と4番線は信号を分割して縦列停車をする形で同じ線路を共有しております。日中は3・4番線ホームのみの使用ですが、平日朝夕のラッシュ時のみ1・2番線ホームも使用されます。こちらの上の画像は京阪電鉄京阪本線淀屋橋駅の3・4番線ホームを撮影したものです。


こちらの上の画像は4番線ホームに停車する3000系(2代)と京阪電鉄京阪本線淀屋橋駅の駅名標を絡めて撮影したものです。


こちらの上の画像は京阪電鉄京阪本線淀屋橋駅の1・2番線ホームを撮影したものですが、日中ですので1・2番線ホームは封鎖されてました。


こちらの上の画像は京阪電鉄京阪本線淀屋橋駅の3・4番線ホーム西端にある京阪電鉄京阪本線淀屋橋駅開業時の竣工記念碑を撮影したものです。この開業時の竣工記念碑があることをいつも阪堺電車でお世話になっている同好の方のブログの記事で知りました。この場を借りて厚く御礼申し上げます。


この竣工記念碑には「竣工記念碑 往昔平安京と浪速を結ぶ交通は淀川を利用する水路に始まりのちにいわゆる京街道が完成すると共に水陸相まっての交流は愈々活溌化した両都はわが国文化経済の中心として共に繁栄を続けてきた のち都は東京に移ったが京都は千年にわたる王城の地として国民憧れの古都であり浪速大阪は産業の中心地として民衆と倶に成長してきた近代日本の代表的な経済都市である 従ってこの両都市間の交通を近代化することは明治のわが国文化経済発展のための大きい要請となっていた かかる情勢の下に弊社は明治三十九年大阪高麗橋京都五条大橋間の電気軌道敷設の特許を得四十三年四月十五日はじめて運輸営業を開始し爾来今日に至るまで五十有里霜京都大阪滋賀三府県にまたがる交通機関としてその公共的使命を果してきた 近時大阪市周辺の急激な人口増加は都市交通圏の拡大と輸送需要の急増をもたらし都市交通問題はかつてない焦眉の問題として世論の対象となった ここにおいては弊社はこの国民的課題解決の一助とするため昭和三十一年天満橋より淀屋橋にいたる一・六キロメートル(実際は米偏に千)の地下延長線敷設の特許申請を提出した この計画は大阪市営地下鉄と接続することより京阪両都心を直結せんとするもので昭和三十三年三月の都市交通審議会大阪部会の採択答申が推進力となって翌三十四年二月軌道敷設の特許を得た しかし本工事は社運を賭しての一大難工事のため特に準備に慎重を期し越えて三十六年一月十日漸く着工の運びとなった 爾来二年三箇月近大技術の粋ををつくし弊社の全能力を挙げてこれが建設に当たり三十八年四月十五日奇しくも五十三年前開業の同月同日竣工の式を挙げることを得たのである 今静かに思いを創業の昔に馳せればまことに感慨無量頭を垂れて先覚諸賢の苦心を偲びあらためて交通事業の使命と重責とを肝銘して全社一致協力本地下線建設の意義を完うし以って先覚と世人の期待に副わんことを誓う なお本工事の完成にいたる間関係御当局より賜わった御高庇と各界各位ならびに沿道市民諸氏の御支援に対して深甚なる謝意を表するものである ここに碑を建て経緯をのべて記念とする 昭和三十八年四月十五日 京阪電気株式会社 社長 村岡四郎 識」と書かれております。 


次は少し移動しまして、左の街区表示板の画像の「中央区北浜一丁目1」であります。


その「中央区北浜一丁目1」の住所に該当するのは京阪電鉄京阪本線北浜駅で、こちらの上の画像は「中央区北浜一丁目1」の住所に該当する京阪電鉄京阪本線と大阪メトロ堺筋線との共同使用となっている北浜駅26号出入口と北側にある難波橋(通称:「ライオン橋」)のライオン像を入れて撮影したものです。


こちらの上の画像は京阪電鉄京阪本線北浜駅の切符売り場を撮影したもので、奥にはプレミアムカー券とライナー券を販売する改札室が写っております。


こちらの上の画像は京阪電鉄京阪本線北浜駅の改札口を撮影したものです。


この京阪電鉄京阪本線北浜駅のホームは島式ホーム1面2線となっております。こちらの上の画像は京阪電鉄京阪本線北浜駅のホームを1番線ホームに停車する2400系と絡めて撮影したもので、1番線ののりば案内はLCDの発車案内も含めたものとなっているのに対して2番線ののりば案内は「淀屋橋ゆき」の電照等ののりば案内となっております。


こちらの上の画像は京阪電鉄京阪本線北浜駅の天井吊りの駅名標と壁の小さな駅名標とを絡めて撮影したものです。


またこの京阪電鉄京阪本線北浜駅には柱を使ったのりば案内もありましたので撮影しました。


そして、柱を使った乗り場案内と壁にあるちいさな北浜駅の駅名標を絡めての撮影もしました。


次も少し移動しまして、左の街区表示板の画像の「中央区天満橋京町1」であります。


その「中央区天満橋京町1」住所に該当するのは京阪電鉄京阪本線・中之島線天満橋駅で、こちらの上の画像は京阪電鉄京阪本線・中之島線天満橋駅のある京阪シティモールの外観を南東側から撮影したものです。


こちらの上の画像は京阪電鉄京阪本線・中之島線天満橋駅の東改札口を撮影したものです。


この京阪電鉄京阪本線・中之島線天満橋駅のホームは相対式ホームと島式ホームの複合型3面4線となっております。こちらの上の画像は京阪電鉄京阪本線・中之島線天満橋駅2・3番線ホームを撮影したもので、2番線は中之島線の中之島ゆき、3番線は淀屋橋発の萱島・枚方市・出町柳方面ゆきのホームとなっております。


京阪電鉄京阪本線・中之島線天満橋駅の4番線ホームを撮影したもので、この4番線ホームは京阪本線淀屋橋ゆきの列車が発着するホームとなっております。


京阪電鉄京阪本線・中之島線天満橋駅の4番線ホームの淀屋橋よりには「先覚志茲成」と刻まれた黒御影石とその下に説明文があります。この「先覚志茲成」と刻まれた黒御影石と後に出てくる開業80周年記念の陶板と開業90周年記念のオブジェのことも阪堺電車でいつもお世話になっている同好の方のブログで知りました。この場を借りて厚く御礼申し上げます。


下の説明文には「この「先覚の志ここに成る」の五文字は、当社初めての地下鉄線の開通に当って、社長村岡四郎が、創業以来の先輩の宿願である大阪都心部との直結を果すという文意を定め、京都大学名誉教授文学博士那波利貞先生の監修をへて、自ら書いたものです 台石は黒御影石で、工事一切は、地下線入口の工区を受持った株式会社銭高組の寄贈によるものです 地下線開通6年後の昭和44年8月、旧天満橋駅跡にOMMビルが建設されるに伴い、地下線入口の扁額をこの場所に移しました 昭和44年8月 京阪電気鉄道株式会社」と書かれております。


そして、こちらの上の画像は京阪電鉄京阪本線・中之島線天満橋駅の1番線ホームを撮影したもので、この1番線ホームは中之島発の萱島・枚方市・出町柳方面ゆきのホームとなっておりますが、壁には開業80周年を記念して作られた陶板があり、壁の前には開業90周年を記念して作られたオブジェが展示されております。


こちらの上の画像は陶板の説明文を撮影したもので、説明文には「邂逅(めぐりあい) この陶板は大川の流れと虹を象徴したものです。 趣旨は大川の流れのごとく、人の離合・集散する天満橋駅のターミナル性を表現しています。また、虹は21世紀への発展を表現しています。 平成元年 5月吉日」と書かれてあります。


こちらの上の画像は陶板の前にある開業0周年を記念して作られたオブジェを撮影したものです。


こちらの上の画像はオブジェの説明文を撮影したもので、説明文には「開業90周年プロジェクト -ここから、ここへ- 作・今井祝雄 37kgレール+3000系車両軸箱+ウイングばね 開業90周年を記念するとともに、中之島新線の早期事業化を願ってここに制作したものです。 レールで作った六角柱は、6つの路線、すなわち中之島新線・京阪本線・交野線・宇治線・京津線・石山坂本線を表しています。上部には歴史を刻んだ軸箱とウイングばねを据え付け、未来への進化を託して、光り輝く円筒をクロスさせています。内部には、社員一人ひとりの”未来へのメッセージ”を収めました。 ここ天満橋駅は、京阪電車が明治43年4月15日に、大阪天満橋~京都五条間で営業運転を開始した時の起点でありました。さらに昭和38年4月には淀屋橋まで地下線を延長し、大阪と京都の両都心を直結しました。 中之島新線もまた、開業の地であるこの天満橋駅から分岐して、中之島西橋・玉江橋に至る約3kmの路線で、大阪東西軸の要として都市部活性化に大いに寄与することを期待するものです。 2001年1月 京阪電気鉄道株式会社」と書かれています。


こちらの上の画像は京阪電鉄京阪本線・中之島線天満橋駅のある京阪シティモールの外観を西側の天神橋から大川に浮かぶラバーダックを入れて撮影したものです。


またこの京阪電鉄京阪本線・中之島線天満橋駅のある京阪シティモール1階の東側には郵便ポストが3基あり、画像左のポストは他ではなかなか見ない青いポストでしたので撮影しました。


次はほんの少し移動しまして、左の街区表示板の画像の「中央区大手前一丁目7」であります。


その「中央区大手前一丁目7」の住所に該当するのは京阪東口交差点であります。こちらの上の画像は京阪東口交差点の南東側から交差点とその北側を走る京阪電鉄京阪本線、その西側のOMM(大阪マーチャンダイズ・マート)ビルを撮影したものです。現在OMM(大阪マーチャンダイズ・マート)ビルのある場所は1963年4月16日の淀屋橋延伸地下前まで地上時代の京阪天満橋駅があった場所で、現在この「京阪東口」という名称の交差点の場所は地上時代の京阪天満橋駅の降車用改札口があった場所から由来しているものであり、1968年12月18日まで走っていた大阪市電天満橋善源寺線・谷町寝屋川線の停留場名の「京阪東口」もこの交差点付近にありました。


こちらの上の画像は京阪東口交差点の標識を撮影したものです。


こちらの上の画像は土佐堀通にある現在の大阪シティバス京阪東口停留場を撮影したもので、「京阪東口」の名称はバスの停留場としても残っております。


こちらの上の画像は京阪東口交差点付近から少し東にある寝屋川の橋梁を渡る京阪8000系を撮影したものです。


次もほんの少し移動しまして、左の街区表示板の画像の「中央区谷町一丁目2」であります。


その「中央区谷町一丁目2」の住所に該当するのは大阪メトロ谷町線天満橋駅で、こちらの上の画像は「中央区谷町一丁目2」の住所に該当する大阪メトロ天満橋駅3号出入口を撮影したものです。


こちらの上の画像は大阪メトロ谷町線天満橋駅の北改札で、こちらの改札口は京阪天満橋駅と連絡する改札口となっております。


この大阪メトロ谷町線天満橋駅のホームは島式ホーム1面2線となっております。こちらの上の画像は大阪メトロ谷町線天満橋駅のホームと改札口への階段とエスカレーターを撮影したものです。


こちらの上の画像は天王寺・八尾南方面1番線ホームに停車する22系と谷町線天満橋駅の駅名標を絡めて撮影したものです。


最後は少し移動しまして、左の街区表示板の画像の「中央区北浜一丁目8」であります。


その「中央区北浜一丁目8」の住所に該当するのは大阪メトロ堺筋線北浜駅で、こちらの上の画像は大阪メトロ堺筋線北浜駅1B号出入口を撮影したものです。


こちらの上の画像は大阪メトロ堺筋線北浜駅北改札(右側)と切符売り場(左側)です。


この大阪メトロ堺筋線北浜駅のホームは島式ホーム1面2線となっており、こちらの上の画像は日本橋・動物園前・天下茶屋方面1番線ホームに停車する66系と堺筋線北浜駅の駅名標を絡めて撮影したものです。


こちらの上の画像は大阪メトロ堺筋線北浜駅1B出入口のある大阪証券取引所ビルの旧館部分の大阪証券取引所ビル市場館の外観を撮影したもので、現在は「大阪取引所」となっております。


そして、この大阪取引所の正面入口の前にはこの大阪取引所の前身となる大阪株式取引所の設立の発起人となった五代友厚公の銅像が立っております。五代友厚公はこの現在の大阪取引所もですが、今回最初に取り上げた南海電気鉄道の前身となる阪堺鉄道の設立にも関わったことからこの「街区表示板と鉄道の旅 大阪市24区編」の最後の画像としてこの銅像の画像を掲載することとしました。大阪の経済の発展に大いに貢献された五代友厚公は現在の大阪を含めた日本の経済状況をどう思われているのか?と思う今日この頃であります。


この中央区は旧南区と旧東区が合区して誕生した区だけあって大阪市内で重要といえる駅が数多く存在し、平成に入っても当時の大阪市営地下鉄(現在の大阪メトロ)長堀鶴見緑地線が延伸開業したことによって大阪市電東西線・玉造線区間の鉄道路線の復活したことでより便利になり、阪神なんば線の開通で阪神と近鉄が相互直通運転も開始されたので中央区を走る鉄道路線はほぼ盤石になったといえると思います。




2年3ヶ月という長い期間の連載で、途中お休みもあり、最後まで粗い内容の文章と画像でありましたが、こうして今回ゴールを迎えることもできましたのも記事を読んでくださった皆様のおかげであります。本当にありがとうございました。