2019年12月30日月曜日

2019年を振り返る

今年もあとわずかとなりましたので、今回は2019年の鉄道に関する出来事を個人的に振り返ってみたいと思います。


今年の一番大きな出来事となりますとやはり5月1日に新しい天皇陛下が御即位されて元号が「令和」となったことで、多くの鉄道会社が新元号「令和」の記念イベントなどが行われた中、今年も一番多く訪問させていただいた阪堺電車も新元号「令和」のヘッドマークを一部車両に掲出してお祝いされていました。


そして、阪堺沿線の住吉大社では天皇陛下御即位の提灯が飾られていましたので電車を入れて撮影しました。


そして、まだ「平成」だった3月20日には阪神なんば線が開業して10周年を迎えました。


またこちらもまだ「平成」だった2月から阪堺電車のモ351形とモ501形に補助ステップが設置されました。これまでモ351形とモ501形はステップが一段のためにかなり足を高く上げないと乗車できなかったのですが、実際にこの補助ステップを利用して乗車してみますと以前よりかなり楽に乗車できるようになりましたので、これまで乗車しづらいと思われていた年配の方々も以前より楽に乗車できるようになったと思います。また自分ももうそんなに若くありませんので、以前より乗車が楽になったこの補助ステップ設置は本当にありがたいと思いました。


そして、7月6日に大阪の百舌鳥・古市古墳群の世界文化遺産への登録が決定し、沿線の南海・近鉄・阪堺の各社では7月20日より「百舌鳥・古市古墳群世界文化遺産登録記念キャンペーン」のヘッドマークの掲出が始まりました。こちらは阪堺1001形堺トラムに掲出されたヘッドマークです。


そして、こちらは「百舌鳥・古市古墳群世界文化遺産登録記念キャンペーン」のヘッドマークを掲出した阪堺1001形堺トラム1001「茶ちゃ」です。


そして、個人的に今年は最近ご無沙汰していた近畿圏の鉄道会社にも少し足を延ばすことができました。こちらの画像は近江鉄道を訪問した際に撮影した当時引退間近だった700形あかね号です。


そして、山陽電車で7月から走り始めたクリーム色と紺色のツートンカラー復刻塗装車となった3000系3030Fを撮りに行くこともできました。


また11月には約15年ぶりに三岐鉄道を訪問して初めて貨物列車も撮影することができました。


最後は12月8日に撮影した阪堺電車恵美須町駅の様子で、現在の恵美須町駅の南側には新しいホームが作られているのが確認できます。恐らく近々完成して移転するようですので、現在の姿もそう長くはないようです。


今回で幣ブログの2019年の記事は最後となります。この1年間で記事を読んでくださった方々、本当にありがとうございました。今年もメインの阪堺はもちろん、それに加えて近郊ながら様々な場所へ行くことができて充実してましたが、その充実感と反比例するように急激に体力の衰えを感じるようになりましたので、来年は今年より撮影や投稿のペースが落ちると思いますが、引き続きご愛顧のほどよろしくお願い申し上げます。それでは良いお年をお迎えください。


2019年12月26日木曜日

街区表示板と鉄道の旅 大阪市24区編 第12回 大正区

今月はいつもより少し早い「街区表示板と鉄道の旅 大阪市24区編」の記事ですが、大阪市24区の折り返し地点となる第12回の今回は大正区でございます。今回の大正区は1932年に尻無川左岸かつ岩崎運河以南が港区より分区されて誕生した区であります(詳しくはWikipediaをご覧ください)。


それでは今回の大正区最初の街区表示板は左の画像の「大正区三軒家西一丁目2」であります。


その「大正区三軒家西一丁目2」の住所に該当するのは大阪メトロ長堀鶴見緑地線大正駅であります。こちらの上の画像は大阪メトロ長堀鶴見緑地線大正駅の1号出入口であります。


こちらの上の画像は大阪メトロ長堀鶴見緑地線大正駅の改札口(手前)と切符売り場(奥)であります。


改札内からホームへの階段を降りて行きますとのりば案内が見えまして、1番線が心斎橋・京橋・門真南方面、2番線が降車専用と表示されています。2番線が降車専用となっているのは大正駅のドーム前千代崎側のすぐから尻無川を潜るシールド工法となっていることから渡り線を設けられず、その反対側に引上げ線を設けて、その引上げ線から1番線に入線する構造となっているからであります。また将来この大正から鶴町まで延伸される計画がありますが、費用対効果や収支採算性などの観点から延伸は難しいようであります。


こちらの上の画像は大正駅の駅名標と70系を絡めて撮影したものです。


次はそれなりに移動しまして、左の街区表示板の画像の「大正区鶴町四丁目11」であります。


その「大正区鶴町四丁目11」の住所に該当するのは大阪シティバス鶴町営業所であります。こちらの上の画像は左が大阪シティバス鶴町営業所で、右が鶴町車庫であります。


こちらの上の画像は大阪シティバス鶴町営業所の表札であります。


こちらの上の画像は鶴町車庫からバスが出庫してくるところを撮影したものです。今回大阪シティバスでこの鶴町営業所と車庫を訪れたのはかつて大阪市電の鶴町車庫として使われていた形跡が残っていないかということと大阪メトロ長堀鶴見緑地線の延伸予定区間の終点ということが理由だったのですが、大阪市電の鶴町車庫の形跡は見つけることができず、大阪メトロ長堀鶴見緑地線の延伸予定区間についても実際にその区間のバスに乗車してみますと、日中でもかなりの本数が走ってるのであまり待たなくいいのでありがたいのですが、所用時間は25分ほどで決して早いとはいえず、大正から千島辺りまでは休日夕方でもなかなかの混雑で、輸送力を考えると地下鉄の延伸はあった方がいいのかなと思うのですが、この地域は高齢者の方が多いのでバスの方がバリアフリーの観点から考えても乗降のしやすさであったり、停留所が短い区間で設定されていたりと現状の方がいいのかなと思ったりもしますので、なかなか難しい問題であります。


次もそれなりに移動しまして、左の街区表示板の画像の「大正区三軒家東一丁目8」であります。


その「大正区三軒家東一丁目8」の住所に該当するのはJR大阪環状線大正駅であります。こちらの上の画像はJR大阪環状線大正駅の出入口(北側)であります。


こちらの上の画像はJR大阪環状線大正駅の改札口(北側)であります。


こちらの上の画像はJR大阪環状線大正駅の改札口(南側)であります。


こちらの上の画像はJR大阪環状線大正駅のホームで、323系が入線してきたところを撮影したものです。


こちらの上の画像は別の日にJR大阪環状線大正駅の南西側から高架橋の駅名標と323系を絡めて撮影したものです。


最後は少し移動しまして、左の街区表示板の画像の「大正区三軒家西二丁目3」であります。


その「大正区三軒家西二丁目3」の住所に該当するのは尻無川をはさんで京セラドーム(大阪ドーム)を背景に列車を撮影できるスポットであります。この大正区は大正駅以外に駅がありませんので記事の量を増やすために半ば強引に撮影地も選んでしまいました。こちらの上の画像は2003~2005年頃に103系と撮影したものです。


こちらの上の画像は先ほどの画像と比べると画角が違い、手前にフェンスがあったり、ドームの手前に病院ができたりと風景も違いますが、ほぼ同じ場所から現在の323系と撮影したものです。


今回の大正区は先ほども書きましたように鉄道の駅はJRと大阪メトロの大正駅のみで、大正駅周辺以外の地域へ公共の交通手段で移動する場合はバスか渡船となり、今後は大阪メトロ長堀鶴見緑地線大正から鶴町への延伸計画が気になるところですが、今回訪れてみて様々な観点から考えますと地元の方々にとって地下鉄の延伸と現状のままのどちらが良いのかなかなか難しいなと思ったのが正直な感想でした。


今回も全く成長もなく記事の内容・画像とも粗い感じで申し訳ございませんが、今後もご愛顧のほどよろしくお願い致します。


2019年12月23日月曜日

三岐鉄道の貨物列車を撮る その1

今回は先月の11月17日に訪問した三岐鉄道での撮影分から貨物列車の画像を公開したいと思います。三岐鉄道は2005年のお正月に一度友人と訪れたことはありましたが、正月休みで貨物列車の運用はありませんでしたので今回が初めての撮影となりました。


まずはED45形が牽引するタキです。


次はED5081形が牽引するホキです。


今回初めて三岐鉄道の貨物列車を撮影しましたが、当日は天気に恵まれて青空の下で撮影できて良かったです。また訪れたいと思いました。


2019年12月20日金曜日

南海9000系 フォト・ギャラリー

南海9000系のフォト・ギャラリーです。


南海本線新今宮-天下茶屋間を走る9000系。


こちらの上の画像は南海電気鉄道 9000系 - MYSTERY TRAIN PHOTO GALLERYでも公開しております。


2019年12月16日月曜日

阪堺 モ701形モ703「岡崎屋質店」広告車両(2019年塗装更新車)を撮る

今回は最近の撮影分ですが、10月末に塗装が更新された「岡崎屋質店」の広告車両の阪堺モ701形モ703について取り上げてみたいと思います。


この10月末に塗装が更新された「岡崎屋質店」の広告車両の阪堺モ701形モ703は11月に入ってから何度か撮影してたのですが、失敗しまくりで満足できるものが1枚もなく、12月8日になってようやくいつもの住吉停留場2番のりばに停車しているところをどうにかマシな形で撮影することができました。今回塗装更新されたモ701形モ703も最近になって塗装更新されて変化したモ701形やモ601形の姿と同様に車番がこれまでの切文字からステッカー貼りになって字体も変更されているのと戸袋窓下部に左から「出口 EXIT」、「入口 ENTRANCE」と漢字と英語でそれぞれ大きく表示されているのが確認できます。


こちらも12月8日に上町線帝塚山三丁目停留場天王寺駅前方面のりばに停車しているところを後追いで撮影したものです


こちらは2014年に阪堺線住吉停留場2番のりばに停車しているところを後追い撮影した変化する前のモ703です。この頃は左扉の赤文字の文言が現在のように2列になっておらず、「ダイヤモンド」が入っていなかったのが確認できます。


こちらも12月8日に車体側面を少し拡大して撮影したものですが、先述した戸袋窓下部の左から「出口 EXIT」、「入口 ENTRANCE」とそれぞれ漢字と英語で表記されており、昨年途中から塗装更新されて変化したモ701形やモ601形と同様に左側と中央の戸袋窓の大きさが違うことからそれぞれの大きさに合わせた表記となっておりました。


2019年12月11日水曜日

阪急6300系6354F快速特急A「京とれいん」を撮る その1

今回はかなり前の撮影分になりますが、7月6日に阪急京都本線へ出掛けた時に撮影した阪急6300系6354F快速特急A「京とれいん」であります。


この6300系6354F「京とれいん」は「快速特急」の種別だった時に一度だけ撮影したことがありましたが、今年の1月19日のダイヤ改正で新たに「快速特急A」という種別が設定されて十三が通過となってから初めての撮影でしたのでどうにか撮影ができて良かったです。


こちらの上の画像はまだ快速特急だった頃の6300系6354F「京とれいん」です。


2019年12月6日金曜日

近鉄30000系 フォト・ギャラリー

近鉄30000系のフォト・ギャラリーです。


大阪線伊賀神戸駅に停車する30000系Vista EX重連。


京都線富野荘-新田辺間の木津川橋梁を走る30000系Vista EX。


大阪線五位堂-築山間を走る30000系Vista EX。


橿原線橿原神宮前駅に停車する30000系Vista EX。


これらの画像は近畿日本鉄道 30000系 - MYSTERY TRAIN PHOTO GALLERYでも公開しております。


2019年12月3日火曜日

阪堺モ161形モ164「ティーウェイ航空」広告車両(2019年ラッピング車両)を撮る

青色の雲電車塗装の阪堺モ161形モ164が一部ラッピングされて10月末より韓国の格安航空会社の「ティーウェイ航空」の広告車両となって走り始めましたが、11月10日の訪問時に撮ることができました。


この日は朝から天気が良く、このモ164が出庫してきた8時前にはどこもあまり良い光線状態のところはありませんでしたのでしばらく見送りましたが、光線状態の良くなった10時頃から阪堺線住吉停留場2番のりば停車の後追い構図での撮影を始めて10時台と11時台の二度同じ構図で撮影をしまして、今回は11時台の撮影分を採用しました。車体側面の広告はパステルカラーを基調にチェジュ島の観光スポットや飛行機のイラストなどが描かれたデザインのもので、関空(関西国際空港)とチェジュ島との便をPRするものとなっておりました。


2019年11月30日土曜日

街区表示板と鉄道の旅 大阪市24区編 第11回 西淀川区

今回はすっかり毎月恒例となりつつある「街区表示板と鉄道の旅 大阪市24区編」の記事ですが、第11回となる今回は西淀川区でございます。今回の西淀川区は1925年に大阪市の第二次市域拡張に伴って西成郡全域が大阪市に編入された際に新設された区で、当初は西成郡鷺洲町・千船町・稗島町・伝法町・歌島村・福村・川北村が区域となりました。その後、1941年に当時の東淀川区三津屋町・十三南之町三丁目の一部を西淀川区へ編入、当時の西淀川区塚本町の一部を東淀川区に編入する区域変更が実施され、更に1943年には大阪市の22区への分増区および行政区境界見直しが全市的で実施されたことに伴い、淀川以南の区域(旧伝法町(現在の伝法)と旧稗島町の一部(現在の高見)を此花区に、旧鷺洲町の現在の鷺洲・海老江・大開の一部となる地域が福島区に、同じく旧鷺洲町の現在の大淀北・大淀中・大淀南となる地域が当時の大淀区(現在の北区の一部)に)、および淀川以北の東海道本線以東の区域(旧鷺洲町の一部(現在の塚本)、旧歌島村の一部(加島・田川の一部)を当時の東淀川区(現在の淀川区の区域)に)を分離することになり、現在の区域となりました(詳しくはWikipediaをご覧ください)。


それでは今回の西淀川区最初の街区表示板は左の画像の「西淀川区福町二丁目3」であります。


その「西淀川区福町二丁目3」の住所に該当するのは阪神なんば線福駅であります。福駅は2面2線の相対式ホームで、改札口はホーム毎に独立している構造となっております。こちらの上の画像は阪神なんば線福駅尼崎・神戸三宮方面のりばの駅舎であります。


こちらの上の画像は阪神なんば線福駅尼崎・神戸三宮方面のりばの改札口であります。


こちらの上の画像は阪神なんば線福駅西九条・大阪難波・奈良方面のりばの駅舎であります。


こちらの上の画像は阪神なんば線福駅西九条・大阪難波・奈良方面のりばの改札口であります。


こちらの上の画像は阪神なんば線福駅西九条・大阪難波・奈良方面のりばの1番線ホームから尼崎方面を見たところであります。


こちらの上の画像は現在のなんば線でなく、まだ西大阪線だった頃の福駅の北側で尼崎方面から来る7801・7901形による西九条行きを撮影したものです。


こちらの上の画像は阪神なんば線福駅西九条・大阪難波・奈良方面のりばの1番線ホームから西九条方面を見たところであります。


こちらの上の画像はなんば線が開業した2009年に撮影した福駅に停車する近鉄1026系による東花園行き普通です。


こちらの上の画像はまだ西大阪線だった頃に伝法大橋の福側から撮影した7861・7961形と7801・7901形の混結編成の普通列車です。


次は少し移動しまして、左の街区表示板の画像の「西淀川区出来島一丁目13」であります。


その「西淀川区出来島一丁目13」の住所に該当するのは阪神なんば線出来島駅であります。こちらの上の画像は出来島駅の南側の道路から高架橋の駅名標を撮影したものです。


こちらの上の画像は出来島駅の西側の出入口を撮影したものです。


こちらの上の画像は出来島駅の改札口を撮影したものです。


こちらの上の画像は出来島駅西九条・大阪難波・奈良方面のりばの1番線ホームから尼崎方面を見たところであります。


こちらの上の画像はまだ西大阪線だった頃に撮影した4両編成の7801・7901形です。この出来島駅のホームは早くから近鉄車の6両編成分の有効長でしたので阪神車の4両編成だと駅停車も撮影することができました。


次はそれなりに移動しまして、左の街区表示板の画像の「西淀川区佃二丁目2」であります。


その「西淀川区佃二丁目2」の住所に該当するのは阪神電鉄阪神本線千船駅であります。こちらの上の画像は千船駅西側の出入口を撮影したものです。この千船駅のある佃という地域は歴史のある地域で、現在東京にある佃は江戸時代にこの大阪の佃の漁師の方々が移住してできた地域であり、佃煮も大阪の佃の方々が江戸に移住されてから作られたという説が一般的でありますが、江戸への移住以前に大阪の佃で既に作られていたという説もあり、歴史好きとしては非常に興味深い地域であります(この大阪の佃について詳しくはWikipediaをご覧ください)。


こちらの上の画像は千船駅東側の出入口を撮影したものです。


こちらの上の画像は千船駅の改札口を撮影したものです。


こちらの上の画像は千船駅大阪梅田方面のりばの1番線ホームから神戸三宮方面を見たところであります。


こちらの上の画像は千船駅2番線ホームの神戸三宮方から撮影した「Go!Go!灘五郷!」のラッピング車両の1000系による梅田行き急行です。


こちらの上の画像は千船駅尼崎・甲子園・西宮・神戸三宮・山陽姫路方面のりばの2番線ホームから神戸三宮方面を見たところであります。


こちらの上の画像は千船駅1番線ホームの大阪梅田方から撮影した「情たっぷりの城下町 尼崎」のヘッドマークを掲出した8000系による西宮行き急行です。


次は少し移動しまして、左の街区表示板の画像の「西淀川区姫里一丁目26」であります。


その「西淀川区姫里一丁目26」の住所に該当するのは阪神電鉄阪神本線姫島駅であります。こちらの上の画像は姫島駅の駅名が書かれた阪神本線の高架橋と姫島通りであります。


こちらの上の画像は姫島駅の改札口を撮影したものです。


こちらの上の画像は姫島駅大阪梅田方面のりばの1番線ホームから大阪梅田方面を見たところであります。


こちらの上の画像は姫島駅大阪梅田方面のりばの1番線ホームから撮影した5001形(2代)による高速神戸行き普通です。


こちらの上の画像は姫島駅大阪梅田方面のりばの1番線ホームから神戸三宮方面を見たところであります。


こちらの上の画像は姫島駅大阪梅田方面のりばの1番線ホームから撮影した9300系による梅田行き急行です。


次も少し移動しまして、左の街区表示板の画像の「西淀川区野里二丁目1」であります。


その「西淀川区野里二丁目1」の住所に該当するのは阪神バスと大阪シティバスの野里停留所であります。こちらの上の画像は住所の野里と反対側の姫里側にある野里停留所で、この野里停留所のある国道2号はかつて1975年5月6日までは路面電車の阪神国道線が走っており、現在バスの停留所となっているこの野里停留所付近にも路面電車の停留場があったそうです。


こちらの上の画像は野里停留所を住所通りに野里側から撮影したものです。画像に写っているバス停の大阪シティバスの方は現在も38系統が日中は1時間に1本ながら走っておりますが(姫島通にあるバス停の方には43系統が日中1時間2本走っております)、路面電車だった阪神国道線の代替となる阪神バスの野田甲子園線は1日1往復のみの免許維持路線となっており寂しい限りであります。


こちらの上の画像は野里停留所付近の国道2号に面した野里本町商店街の入口ですが、アーケードの商店街名の看板が取れてしまっています。


こちらの上の画像は野里本町商店街のアーケード内で寂しい感じに映っておりますが、昔近くに住んでいた友人から聞いた話ではやはり路面電車が走ってた頃が一番賑やかだったそうで、その後は流通構造などの変化で現在の姿になってしまったと思われます。


次も少し移動しまして、左の街区表示板の画像の「西淀川区御幣島一丁目8」であります。


その「西淀川区御幣島一丁目8」の住所に該当するのはJR東西線御幣島駅であります。こちらの上の画像はJR東西線御幣島駅3番出入口であります。


こちらの上の画像は御幣島駅の改札口と切符売り場であります。


御幣島駅のホームは島式1面2線の構造となっております。こちらの上の画像は北新地・京橋・四条畷方面の2番のりばに停車する207系による松井山手行きの普通列車と御幣島駅の駅名標を絡めて撮影したものです。


そして、こちらの上の画像は御幣島駅の駅名標と駅のシンボルとなっている「渡し船」(御幣島駅の周辺に川が多く、渡し船が航行していたことから決まったそうです)を撮影したものです。


またこのJR東西線御幣島駅の南側には国道2号と淀川通、みてじま筋が交差する歌島橋交差点があり、この歌島橋交差点からも御幣島駅に行き来することができます。こちらの上の画像は歌島橋交差点を写したものであります。このJR東西線御幣島駅の駅名も開業前の片福連絡線として工事をしていた頃の仮駅名がこの歌島橋交差点や歌島橋バスターミナルがあったことなどから「歌島橋」だったのですが、どういった経緯で現在の駅名に決定したのかは不明であります。


この歌島橋交差点は2009年4月1日から横断歩道がなくなり、歩行者と自転車は地下道を通って行き来するようになりました。御幣島駅へもこの地下道を通って行き来します。こちらの上の画像は歌島橋地下道の出入口であります。


こちらの上の画像は歌島橋地下道の中心となる場所で、各方面の出入口やJR東西線御幣島駅、地下駐輪場などに行き来することができます。


こちらの上の画像は歌島橋地下道からJR東西線御幣島駅の地下道への入口であります。


そして、こちらの上の画像はJR東西線御幣島駅へと続く地下道であります。


歌島橋交差点を取り上げたことに関連しまして、今回の最後は左の街区表示板の画像の「西淀川区御幣島二丁目4」であります。


そして、その「西淀川区御幣島二丁目4」の住所に該当するのは大阪市営バス歌島橋バスターミナル跡であります。


この歌島橋バスターミナルは2014年3月31日をもって廃止となり、現在は上の画像のように伸縮門扉で閉鎖されております。昔数回だけですが、利用したことがありましたので廃止は残念でなりません。


こちらの上の画像は歌島橋バスターミナルの看板を拡大したもので、澪標(みおつくし)のマークが入ったバスのイラストに味のある字体は昭和を思い出させてくれます。


またこの歌島橋バスターミナル跡の敷地内にはJR東西線御幣島駅の2番出入口があり、現在も使用されております。


こちらの上の画像は先ほどのJR東西線御幣島駅2番出入口のすぐ南側にある大阪シティバスの御幣島駅停留所であります。現在はこの御幣島駅停留所が歌島橋バスターミナルの後を引き継いでおります。


今回の西淀川区は現在の区域となってから1997年のJR東西線開業までの鉄道路線は阪神本線と西大阪線だけで、JRに乗るには淀川区との区界にある東海道本線塚本駅からのみでしたが、JR東西線の開業で御幣島駅や淀川区が所在地で西淀川区との区界にある加島駅が利用できるようになったことでJR東海道本線塚本駅や阪神本線姫島駅、千船駅などから少し離れていた国道2号やみてじま筋周辺の地域の利便性が向上し、2009年には西大阪線がなんば線となって難波方面へもアクセスできるようになって国道43号周辺の地域の利便性が向上し、区域間での利便性の格差が以前より解消されたと個人的には思います。


今回も毎度のことながら記事の内容・画像とも粗い感じで申し訳ございませんが、今後もご愛顧のほどよろしくお願い致します。