2019年11月20日水曜日

阪堺線住吉-住吉鳥居前間の七五三参り風景 2019

毎年ではありますが、この11月は七五三参りで阪堺電車沿線の阪堺線住吉-住吉鳥居前間の住吉大社は多くの参拝客の方々で賑わっておりますので、今年も七五三参りの季節の風景と阪堺電車の写真をご紹介したいと思います。


毎年ベタな構図でありますが、七五三参りの幟を背景に今年塗装が変更されたパンダ電車でおなじみのアドベンチャーワールドの広告車両のモ701形モ701が住吉-住吉鳥居前間を走っているところであります。


そして、今年も阪堺電車さんが協賛されている幟を撮影しました。


そして、今年は時計台のある北参道はコインパーキングのゲートが設置されましたので少し風景が変わりました。


そして、今年は2年ぶりに住吉大社内の賑わっている参道から撮影しましたが、その賑わっている参道の鳥居を横切っているのは先日からティーウェイ航空のラッピング車両となったモ161形モ164であります。


この七五三参りの時期が終わるともう師走です。早いもので今年もあと一か月と少しであります。


2019年11月16日土曜日

近鉄 「奈良駅地下化」「難波線開通」「鳥羽線・志摩線直通運転開始」50周年記念写真パネル展示

今回は10月19日と20日の2日間行われた「きんてつ鉄道まつり 2019」の高安車庫の会場で「奈良駅地下化」「難波線開通」「鳥羽線・志摩線直通運転開始」50周年記念写真パネル展示がされてましたのでその様子を。


こちらの上の画像は「きんてつ鉄道まつり 2019 in 高安」の記事の際にも掲載した画像ですが、「祝 50周年記念 ~「奈良駅地下化」「難波線開通」「鳥羽線・志摩線直通運転開始」~」の横断幕とその下の紅白幕を背景にパネルが展示されていました(一部横断幕と同じ高さにもパネルがありましたが)。


まずは「三大工事の着工~大阪万博をめざして~」と題されたパネルには「昭和40年代の日本の経済は、”いざなぎ景気”と呼ばれた空前の好況期を迎え、その象徴的なイベントが1970年大阪千里丘陵で開催された日本万国博覧会、いわゆる「大阪万博」であった。当社ではその開幕に合わせて、整備強化を図り、一大躍進を期した。 鉄道事業では1965年から1967年にかけて万国博関連三大工事が相次いで着工した。1969年に「奈良駅と付近線路の地下移設」を完成、1970年には万国博開幕と同時に「難波地下新線」「鳥羽新線の建設と志摩線の広軌化改良」を一挙に完成し、大阪都心への乗り入れと、大阪、名古屋から志摩への直通運転を実現した。 日本万国博では、当社は会場内でのロープウェイの建設運営の観客輸送等を行う一方、万国博観覧客の当社沿線への誘致にも力を注いだ。」という説明文と右上には当時の近鉄による万国博の広告と左下には大阪万博のロープウェイの画像が掲載されていました。


次の「奈良駅と付近線路の地下移設」と題されたパネルには「奈良線はもとは国鉄線を越え、油阪駅を経て道路の中央を併用軌道で通り、奈良駅に至っていた。 この軌道併用道路の交通量が年々増加し混雑してきたので、奈良県と奈良市では万博関連の都市計画街路整備事業として、線路を地下へ移設し道路を拡幅整備することになった。工事区間1.5キロのうち地下部分は1キロで1968年2月着工、昼夜兼行の突貫作業により2年足らずで完成、1969年12月9日開通した。 翌1970年3月11日駅ビルがオープンし、新装の街路や駅前広場と相まって、古都奈良の玄関口は世界の観光都市にふさわしい姿に一新した。」という説明文と右に奈良近鉄ビルの画像と下に近鉄奈良駅から廃駅となった旧油阪駅、当時新駅として開業した新大宮駅までの線路と付近の道路の地図が掲載されていました。


こちらの上の画像は地下駅と一体構造建築中だった頃の奈良近鉄ビルです。


こちらの上の画像は1969年12月8日に近鉄奈良駅で行われた地下線路開通のテープカットの模様です。


こちらの上の画像は地下線開通直後の近鉄奈良駅地下1階の東改札口の様子です。


こちらの上の画像は地上駅だった1968年当時の近鉄奈良駅駅舎です。


こちらの上の画像は地上駅だった頃の近鉄奈良駅のホームの様子です。


こちらの画像は地下線開通によって廃駅となった油阪駅です。


次の「難波地下新線の建設と開通」と題されたパネルには「難波線上本町・難波間2.0キロは1965年10月着工し、以来4年5カ月、複線機械シールドなど最新の技術を駆使して完成、日本万国博覧会開幕の1970年3月15日から営業を開始した。 これにより沿線のベッドタウンと都心が直結されて、通勤時分の飛躍的な短縮が実現したのをはじめ、都市交通の利便向上にも大きな役割を果たした。」という説明文と右上に近鉄難波線開通と日本万国博覧会開幕を記念した記念入場券、下に東は鶴橋から西は近鉄難波と湊町までの線路と道路の平面図と地下工事区間の断面図が掲載されていました。


こちらの上の画像は近鉄難波線開通前日の1970年3月14日の新聞広告です。


こちらの画像は近鉄難波線地下掘削工事の際に上本町から日本橋に到着したシールドの様子です。


こちらの画像は日本橋方面から見た難波駅トンネル内の様子です。


こちらの上の画像は1970年3月12日に行われた難波駅での祝賀列車出発のテープカットの模様です。


こちらの上の画像は1970年3月15日の難波駅開業当日の様子です。


こちらの上の画像は近鉄難波線開業前の1968年に難波駅中心部付近となる湊町から上本町方面を写されたもので、画像左の信号機のすぐ右には近鉄難波線の工事現場、そのまた右の道路(千日前通)には大阪市電が走っているのが写っております。


最後の「鳥羽新線の建設と志摩線の広軌化改良」と題されたパネルには「1967年、伊勢志摩総合開発計画を策定し、その基盤となる鉄道線については、宇治山田・鳥羽間に鳥羽線を建設するとともに、既設の志摩線鳥羽・賢島を広軌化して、大阪、京都、名古屋から賢島まで直通特急列車を運転することとした。 鳥羽線は1968年5月着工の大規模な機械力を駆使して工事を進め、宇治山田・五十鈴川間は1969年12月15日営業を開始した。 また、志摩線も1969年12月からバス代替輸送に切り替え、全線にわたり新線建設に匹敵する改良を行った。翌年1月末両線完成・試運転、2月28日竣工行事を挙行し、3月11日開業となった。 この工事完成により、伊勢志摩の総合的な交通体系が確立され、同地域の産業、観光の発展に大きく寄与した。」という説明文と右下に近鉄特急10100系の写真と鳥羽線全駅と志摩線の特急停車駅の路線図に「鳥羽新線建設と志摩線改良工事 完成記念 近畿日本鉄道」と記された資料が掲載されていました。


こちらの画像は宇治山田駅から鳥羽方面への高架橋工事の様子です。


こちらの上の画像は賢島駅新駅舎の建設中の様子と改良中の在来線のホームの様子です。


こちらの画像は志摩線白木付近の軌間拡幅工事の様子です。


こちらの上の画像は工事期間中に宇治山田駅で代行バスが停車している様子です。


こちらの上の画像は1970年3月に五十鈴川駅で行われたテープカットの模様です。


こちらの上の画像は鳥羽線・志摩線開通のワイドポスターです。


今回の50周年記念写真パネル展示は過去の近鉄の歴史がよくわかる素晴らしいものでしたので、また今後も近鉄の歴史に関する展示を「きんてつ鉄道まつり」内で開催されることを期待したいところです。


2019年11月11日月曜日

阪堺モ161形モ161による臨時特別電車「堺巡っトラム号」を撮る 2019 秋

11月3日と4日は阪堺電車で臨時特別電車「堺巡っトラム号」として運行されたモ161形モ161を撮影するために出掛けてきました。

このモ161形モ161による臨時特別電車「堺巡っトラム号」は百舌鳥・古市古墳群の世界文化遺産登録を記念して11月2日から4日までの3日間、秋季堺文化財特別公開に合わせて恵美須町-浜寺駅前間を1日2往復運行され、恵美須町・新今宮駅前・住吉鳥居前と堺市内区間(我孫子道-浜寺駅前)の各駅のみ乗降可能という通常とは違うダイヤで運行された電車で、2日間とも撮影の方が主でしたが、4日の2往復目の恵美須町から浜寺駅前までの往路に1回乗車しました。


こちらの上の画像は11月3日の2往復目の往路を綾ノ町で撮影したものです。


こちらの上の画像は11月4日の2往復目の往路が浜寺駅前に到着してから降車ホームに停車しているところを撮影したものです。


こちらの上の画像は11月3日の2往復目の復路を東湊-御陵前間で撮影したものです。


こちらの上の画像は11月4日の2往復目の復路を御陵前で後追い撮影したものです。


こちらの上の画像は11月3日の恵美須町からの返却回送を聖天坂で撮影したものです。


今回の「堺巡っトラム号」は臨時特別電車らしく通常の倍ほどのサイズの立派なヘッドマークが掲出されてして、この季節らしい紅葉が描かれた素敵なデザインのヘッドマークでした。


また車体側面の広告枠も今回の臨時特別電車「堺巡っトラム号」の途中停車駅の案内が掲出されていました。


そして、行先幕も今回は臨時特別電車ということで普段とは違い、こちらの上の画像の恵美須町停留場で撮影した往路の行先幕は「臨|浜寺駅前」と表示されていました。


またこちらの上の画像の浜寺駅前停留場で撮影した復路の行先幕は「臨|えびす町」と表示されていました。


そして、乗車したモ161の車内にも今回の臨時特別電車「堺巡っトラム号」の途中停車駅の案内が掲出されていました。


また停車する停留場にも今回臨時特別電車「堺巡っトラム号」の案内が掲出されていました。こちらはいつもお世話になっている同好の方からご教授いただいて住吉鳥居前停留場で撮影したものです。


今回の臨時特別電車「堺巡っトラム号」は久しぶりの恵美須町-浜寺駅前間の運行、貸切以外でのモ161形モ161の運用とありまして、沿線では多くの方が撮影されていました。そして、乗車した車内では添乗員の方が今回の文化財特別公開の案内を解りやすく説明されていて、通常とは違う臨時特別電車らしい車内で楽しかったのでまた行楽シーズンに運行してほしいと思いました。阪堺電車の職員の皆様、沿線や車内でお会いした同好の皆様、自分は3日と4日の2日間だけでしたが、ありがとうございました。


2019年11月8日金曜日

阪神8701・8801・8901形 フォト・ギャラリー

阪神8701・8801・8901形のフォト・ギャラリーです。


阪神本線姫島-淀川間の淀川橋梁を走る8701・8801・8901形。


こちらの画像は阪神電気鉄道 8701・8801・8901形 - MYSTERY TRAIN PHOTO GALLERYでも公開しております。


2019年11月3日日曜日

近鉄2680系2682F鮮魚列車を撮る その1

10月26日は近鉄2680系2682F(X82)鮮魚列車を撮影しました。


方向幕が故障して行先表示板を掲出して走っていることをネットで知りまして、一度でいいから撮影したいと思いながらなかなか実行できませんでしたが、今回どうにか撮影することができました。


2019年10月26日 大阪線松塚-大和高田 302レ X82


2019年10月30日水曜日

街区表示板と鉄道の旅 大阪市24区編 第10回 東淀川区

今回は毎月恒例となりつつある「街区表示板と鉄道の旅 大阪市24区編」の記事ですが、第10回となる今回は東淀川区でございます。今回の東淀川区は1925年に大阪市の第二次市域拡張に伴って西成郡全域が大阪市に編入された際に西成郡中津町、豊崎町、西中島町、神津町、豊里村、大道村、新庄村、中島村、北中島村が区域となり誕生しました。その後、1942年に北大道町、南大道町、橋寺町、豊里町、豊里三番町のそれぞれ淀川左岸区域が旭区へと編入されます。さらに1943年には新淀川左岸区域を大淀区として分離し、東海道本線(大阪駅~尼崎駅区間)以東の地域(塚本・加島)が西淀川区から編入されます。そして、1974年には東海道本線(吹田駅~大阪駅区間)以西を淀川区として分離し、現在の区域となります(詳しくはWikipediaをご覧ください)。


それでは今回の東淀川区最初の街区表示板ですが、本来の「東淀川区菅原五丁目2」の住所の街区表示板を見つけられませんでしたので、3番違い(近い番地のものも見つかりませんでしたので。。)の左の街区表示板の画像の「東淀川区菅原五丁目5」であります。


その3番違いの「東淀川区菅原五丁目5」の住所に該当するのはJRおおさか東線JR淡路駅で、現在の区域となって初めて開業したJRの駅であります。こちらの上の画像はJRおおさか東線JR淡路駅を西側から撮影したものです。


こちらの上の画像はJRおおさか東線JR淡路駅の改札口です。


こちらの上の画像はJRおおさか東線JR淡路駅のホームで、2面2線の相対式ホームとなっております。


こちらの上の画像は201系による新大阪行き普通列車が停車しているところです。


こちらの上の画像は今年の6月にJR淡路駅から少し北東に行ったところにある阪急京都本線の善隣社踏切から撮影したもので、ウグイス色の201系が走っている高架の路線がJRおおさか東線で、そのJRおおさか東線の下をくぐっているのが阪急京都本線です。その阪急京都本線の左側に写っているのが現在工事中の阪急京都本線・千里線の連続立体交差事業の阪急京都本線側の橋脚で、完成すると阪急淡路駅周辺は現在の阪急京都本線より少し東側に移設することとなります。


こちらの上の画像は同じく今年の6月に先ほどの阪急京都本線の善隣社踏切から少し移動して阪急千里線の西側から撮影したもので、画像の左側に写っているのは現在工事中の阪急千里線の橋脚で、こちらも完成すると現在の場所より少し東側に移設されるととなります。


こちらの上の画像は今月にJR淡路駅1番ホームから撮影したもので、左に写っている緑色の橋桁が現在工事中の立体交差事業の阪急千里線の橋桁、真ん中に写っている架線柱と下をくぐっている線路は現在の京都本線、右側にJR淡路駅のホームの壁と隣り合わせで写っているのが同じく現在工事中の立体交差事業の阪急京都本線の橋脚であります。


こちらの上の画像も同じく今月に撮影したJR淡路駅西側が先ほどの現在工事中の立体交差事業の阪急千里線の橋桁とJRおおさか東線の下をくぐって走っている現在の阪急京都本線の様子です。


そして、JR淡路駅と阪急淡路駅との連絡道となっている東淡路商店街に立っていた幟には「JR・阪急「淡路駅」直結近道 「のぼり」が目じるし」と書かれていましたが、実際に乗換えのために歩いてみると本当に近くて便利になったことを感しました。


次はほんの少し移動しまして、こちらも本来は「東淀川区東淡路四丁目17」の街区表示板の画像を掲載したかったのですが、自分にはみつけられませんでしたので、2番違いの左の街区表示板の画像の「東淀川区東淡路四丁目15」であります。


その2番違いの「東淀川区東淡路四丁目17」の住所に該当するのは阪急京都本線・千里線淡路駅です。こちらの上の画像は阪急淡路駅東口を撮影したもので、現在の阪急淡路駅東口は京都本線・千里線の連続立体交差事業の工事の関係で以前の場所から少し東側に移設されています。


こちらの上の画像は阪急淡路駅の西口で、こちらはまだ以前のままであります。


こちらの上の画像は大阪梅田・天神橋筋六丁目方面のりばの4・5号線側のホームから京都河原町・北千里方面のりばの2・3号線側のホームを撮影したもので、2号線には1300系(2代)1301F「古都」が停車しており、こちらの2・3号線側の風景はこれまで通りの阪急淡路駅の風景でありました。


こちらの上の画像は京都河原町・北千里方面のりばの2・3号線側のホームから京都本線京都河原町方面を撮影したものですが、奥の方に少し現在工事中の京都本線・千里線の連続立体交差事業の風景が見ることができます。


こちらの上の画像は大阪梅田・天神橋筋六丁目方面のりばの4・5号線側のホームから千里線北千里方面を撮影したものですが、こちら側の風景はまだ以前と変わらない風景でした。


こちらの上の画像は同じく大阪梅田・天神橋筋六丁目方面のりばの4・5号線側のホームで大阪メトロ66系リニューアル車がホームを挟んで並んでるのを初めて見ましたので撮影しました。こちらの梅田・天神橋筋六丁目方面のりばの4・5号線側のホームの東側には京都本線・千里線の連続立体交差事業の工事の囲いがされているのが確認できます。


こちらの上の画像は京都河原町・北千里方面のりばの2・3号線側のホームから大阪梅田・天神橋筋六丁目方面のりばの4・5号線側のホームを撮影したもので、4号線には大阪メトロ未更新車、5号線には阪急8300系8315Fがそれぞれ停車してます。先ほども書きましたように大阪梅田・天神橋筋六丁目方面のりばの4・5号線側のホームの東側では京都本線・千里線の連続立体交差事業の工事が行われており、こちらの京都河原町・北千里方面のりばの2・3号線側のホームから側から撮影した画像の方が工事の様子が分かりやすいので掲載しました。


また現在の阪急淡路駅のホーム・改札口間の移動は階段を昇降しますが、この風景もいつまで見られるかわかりませんので京都河原町・北千里方面のりばの2・3号線側のホームから地下道へ続く階段を撮影しました。


こちらの上の画像は階段を少し降りたところから地下道を撮影したものです。


こちらの上の画像は現在の地下道の様子で、画像奥の西口へ出る階段のところに売店があります。


こちらの上の画像は阪急淡路駅北側の千里線の千里北陽踏切から現在の阪急淡路駅を撮影したものです。


こちらの上の画像は阪急淡路駅南側の京都本線の一小川踏切の西側から撮影したもので、踏切の右側の京都本線・千里線の連続立体交差事業の工事の右手前の高架橋が京都本線崇禅寺側、その左隣の奥の高架橋が千里線柴島側、踏切の左側が淡路側の高架橋となります。


こちらの上の画像は阪急淡路駅南側の京都本線の一小川踏切から現在の阪急淡路駅を撮影したものです。


こちらの上の画像は千里線の住宅踏切から撮影したもので、京都本線・千里線の連続立体交差事業の工事の右側の橋脚が千里線、左奥に写っているのが京都本線の高架橋であります。


こちらの上の画像は阪急淡路駅から京都本線崇禅寺寄りの側道から撮影したので、京都本線・千里線の連続立体交差事業の工事の手前の橋桁が京都本線の高架橋、奥に写っているのが千里線の高架橋となります。


次は少し移動しまして、左の街区表示板の画像の「東淀川区下新庄五丁目1」であります。


その「東淀川区下新庄五丁目1」の住所に該当するのはもう見当がついてると思いますが、阪急千里線下新庄駅であります。こちらの上の画像は下新庄駅東口で、京都本線・千里線の連続立体交差事業の工事のために出入口が以前の姿から変わっていました。


こちらの上の画像は下新庄駅西口で、こちらは現在のところ工事の影響がないことから以前の姿のままでした。


こちらの上の画像は下新庄駅の改札口と切符売り場です。


こちらの上の画像は北千里方面のりばの1号線ホームから大阪梅田・天神橋筋六丁目方面のりばの2号線ホームを撮影したものです。かなりカーブしています。


こちらの上の画像は大阪梅田・天神橋筋六丁目方面のりばの2号線ホームから北千里方面のりばの1号線ホームを撮影したもので、1号線には停車している7300系7320Fによる北千里行き、2号線には発車したところの5300系5301Fによる梅田行きが写っております。


現在の大阪梅田・天神橋筋六丁目方面のりばの2号線ホームには行灯式の行先表示器が残っており、上の画像は10月になってから撮影したものですが、連続立体交差事業の工事の関係でいずれ撤去されることもあって「大阪梅田」への駅名変更へは対応せず、「梅田」表記のままとなっておりました。


こちらの上の画像は下新庄駅1号線ホームから北千里側を撮影したもので、隣の吹田駅にかけても連続立体交差事業の工事が行われており、橋脚が所々に立っているのが確認できます。


こちらの上の画像は下新庄駅東口の少し北側から下新庄駅を撮影したもので、駅周辺も工事の足場が組まれているのが確認できます。


こちらの上の画像は下新庄駅と淡路駅の間にある鳩が瀬踏切から下新庄側を向いて撮影したもので、この辺りになると現在の千里線の真上を走るように橋脚が立っているのがわかります。


こちらの上の画像は非常にわかりづらいですが、下新庄駅の南側の東海道新幹線の高架と立体交差する南側から淡路側を向いて撮影したもので、こちらも連続立体交差事業の橋脚が立っており、完成すると現在の東海道新幹線の上を走ることとなります。


次も少し移動しまして、左の街区表示板の画像の「東淀川区上新庄二丁目24」であります。


その「東淀川区上新庄二丁目24」の住所に該当するのはこちらももう見当がついてると思いますが、阪急京都本線上新庄駅であります。こちらの上の画像は南口となる阪急上新庄ビルであります。


こちらの上の画像は上新庄駅南改札口であります。


こちらの上の画像は京都河原町方面のりばの1号線ホームから大阪梅田・天神橋筋六丁目方面のりばの2号線ホームを撮影したものです。


こちらの上の画像は2号線ホームから南改札口へ続く通路で、長い坂道となっております。


こちらの上の画像は相川-上新庄間を走る8300系8300F復刻車です。


最後はそれなりに移動しまして、左の街区表示板の画像の「東淀川区北江口四丁目20」であります。


その「東淀川区北江口四丁目20」の住所に該当するのは大阪メトロ今里筋線井高野駅であります。こちらは大阪メトロ今里筋線井高野駅1号出入口であります。


こちらの上の画像は井高野駅の改札口であります。


こちらの上の画像は井高野駅のホームを駅名標を絡めて撮影したものです。


こちらの上の画像も横からの構図で申し訳ございませんが、井高野駅の1番線で80系を撮影したものです


こちらは2番のりばの車止めで、今後今里筋線が北へ延伸されるのか気になるところであります。


今回の東淀川区は現在の区域となってから2006年の今里筋線開業までは鉄道路線は阪急しかない状態で、1974年に分区した淀川区に国鉄(現在のJR)新大阪駅(東海道本線の隣の駅となる東淀川駅も淀川区が所在地です)や阪急十三駅などの乗降の多い駅があるので割を食ったようなイメージでしたが、先述した2006年の大阪メトロ今里筋線の開業で井高野、瑞光四丁目、だいどう豊里の駅が誕生し、今年になってJRおおさか東線の延伸によりJR淡路駅が誕生したことによって昔と比べて格段に利便性が向上したように思います。特にJR淡路駅は新大阪まで一本で行けることと大阪市の中心地を外して大阪市東部や東大阪市などに直接アクセスできることから利用されてる方が多く、阪急淡路駅との乗換えも現在の状態でも思っていたより苦にならないと思いましたので、阪急淡路駅周辺の連続立体交差事業が完成すればより一層便利になると思われます。


今回もいつものことながら記事の内容・画像とも粗い感じで申し訳ございませんが、今後もご愛顧のほどよろしくお願い致します。