2019年8月30日金曜日

街区表示板と鉄道の旅 大阪市24区編 第8回 西成区

今回は月末恒例となりつつある「街区表示板と鉄道の旅 大阪市24区編」の記事ですが、第8回となる今回は西成区でございます。前回が「東」の東成区でしたので今回は「西」の西成区を取り上げたということもありますが、今回の西成区も1925年に大阪市の第二次市域拡張により大阪市へ編入された西成郡(詳しくはWikipediaをご覧ください)今宮町・玉出町・津守村・粉浜村によって新設された区で、前回の東成区と誕生した年が同じということで今回取り上げることに決めました。先ほどの続きですが、1943年には住吉区と区の境界を一部調整し、区南部の粉浜町のほぼ全域と津守町の一部を住吉区に分離するとともに、山王町、松田町、聖天下、天下茶屋、天神ノ森、北加賀屋町の一部、桜井町の一部(当時の町名)を住吉区より編入して現在の区域となりました(詳しくはWikipediaをご覧ください)。


それでは今回の西成区最初の街区表示板は左の画像の「西成区花園北二丁目16」であります。


その「西成区花園北二丁目16」の街区表示板の住所に該当するのは大阪メトロ四つ橋線花園町駅3号出入口であります。本来の花園町駅の所在地は「西成区旭一丁目5」になるのですが、こちらの上の画像の3号出入口のある場所が花園町駅の所在地だとこちらが勘違いしてまして、この勘違いに気が付いたのも本日でしたので、今回は3号出入口のある「西成区花園北二丁目16」ということでご容赦を。。


こちらの上の画像は花園町駅1番線ホームで、花園町の駅名標と23系を絡めて撮ってみました。それで今回勘違いたままでこの花園町駅を選んだのは現在の四つ橋線の一番最初の開業区間(1942年5月10日に開業)である大国町-花園町間の駅という理由であります。


次は少し移動しまして、左の街区表示板の画像の「西成区太子一丁目6」であります。


その「西成区太子一丁目6」の街区表示板の住所に該当するのは大阪メトロ御堂筋線・堺筋線動物園前駅であります。こちらの上の画像は大阪メトロ動物園前駅4号出入口を撮影したものです。


この動物園前駅は1938年の御堂筋線難波-天王寺間延伸の際に設置された駅で、1969年に堺筋線が開業して乗換駅となり、当初は同線の終着駅でしたが、1993年に天下茶屋まで延伸されて現在の途中駅となりました。こちらの上の画像は北改札口で、現在もJRや阪堺電車の乗り換えに非常に便利な改札口ですが、1993年に天下茶屋まで延伸されるまではこの北改札口を利用して南海電車と徒歩連絡されていた方も多かったです。


こちらの上の画像は御堂筋線2番線ホームで、壁面にはライオンの親子のタイル画が写っています。この動物園前駅の御堂筋線ホームの壁面は様々な動物たちのタイル画となっており、小学校一年生の秋の遠足で天王寺動物園に行った時に初めてこの動物園前駅の動物のタイル画を見たのを今でも覚えております。


こちらの上の画像も同じく御堂筋線2番線ホームで、ゾウの親子のタイル画が写っております。


こちらの上の画像も同じく御堂筋線2番線ホームで、最新鋭の30000系が写ってますが、数年前からホームの柱にも動物たちの後姿の写真が貼られるようになっています。


こちら上の画像は堺筋線動物園駅1番線ホームを駅名標とのりば案内を入れて撮影したものです。この堺筋線動物園前駅は高校生の頃に一年間だけ御堂筋線との乗換えで利用してましたが、その時はまだ天下茶屋まで延伸されておらず、この時の感覚がまだ残っているのか、現在でもたまにこの動物園前駅が終着駅だと勘違いして列車を降りそうになってしまうこともありまして、延伸されてから四半世紀も経つのに。。もう若くないですね。。


こちらの上の画像は停車する66系を横から撮影したものです。66系もリニューアルされてまだまだ頑張っていますね。


そして、こちらの上の画像は柱に「堺筋急行ご案内」という掲示物があったので撮影したものです。現在は「堺筋準急」ですので「堺筋急行」は懐かしいと思って撮影しました。


次はほんの少し移動だけしまして、左の街区表示板の画像の「西成区萩之茶屋一丁目1」であります。


その「西成区萩之茶屋一丁目1」の街区表示板の住所に該当するのは阪堺電気軌道阪堺線新今宮駅前停留場であります。こちらの上の画像は停留場南側から撮影したものです。


こちらの上の画像は恵美須町方面上りホームを撮影したものです。


こちらの上の画像は新今宮駅前停留場の駅名標です。「新今宮駅前」の漢字表記の下に小さく旧停留場名の「(南霞町)」と書かれているのが確認できます。


こちらが南霞町停留場だった頃に恵美須町方面上りホームの様子です。屋根の駅名表記が「南霞町駅」となっていました。


こちらの上の画像は南霞町停留場時代の駅名標です。


次もほんの少しだけ移動しまして、左の街区表示板の画像の「西成区萩之茶屋一丁目2」であります。


その「西成区萩之茶屋一丁目2」の街区表示板の住所に該当するのは南海電鉄南海本線・高野線新今宮駅であります。こちらの新今宮駅の開業は1966年と、歴史のある駅の多い西成区の駅の中ではかなり新しい駅になります。


こちらの上の画像は新今宮駅の出入口の駅名標で、下にオレンジのラインが入っている南海のデザインのものとなっていますが、表記は南海とJRの両方のものとなっております。


こちらの上の画像は新今宮駅の南海電鉄では東出入口、JR西日本では西出入口となる場所で、正面が階段、左側にエレベーターがある構造になっております。


こちらの上の画像は2階にある南海単独の改札口です。


こちらの上の画像は2階にある南海単独の改札口から撮影した4階のJRとの連絡改札へ続く階段です。


こちらの上の画像は先ほどの階段を上りきったところから撮影した4階のJRとの連絡改札の様子です。


こちらの上の画像は先ほどとほぼ同じ場所から撮影したもので、左側に南海のきっぷうりばと定期券うりば、右奥にJR新今宮駅の改札口が写っています。


こちらの上の画像はJRの改札側から南海の改札口を撮影したものです。この新今宮駅でのJRと南海の乗り換えは一旦一方の会社の駅の改札を出場してからもう一方の会社の駅の改札に入場して乗り換えるようになっており、JRと近鉄の乗り換えが改札を1回通るだけの鶴橋とは違うスタイルとなっております。


また南海電鉄の新今宮駅は南海本線と高野線が走る複々線構造となっております。こちらの上の画像は南海本線4番線ホームに停車する7100系によるなんば行き区間急行です。


次は少し移動しまして、左の街区表示板の画像の「西成区岸里一丁目1」であります。


その「西成区岸里一丁目1」の街区表示板の住所に該当するのは南海電鉄南海本線・高野線と大阪メトロ堺筋線天下茶屋駅であります。先ほどの新今宮駅もですが、この天下茶屋駅も駅名と地名が一致しないです。


こちらの上の画像は南海電鉄南海本線・高野線天下茶屋駅の出入口であります。この南海電鉄天下茶屋駅は現在の西成区内では一番歴史のある駅で、1885年に開業しました。


こちらの上の画像は南海電鉄南海本線・高野線天下茶屋駅の改札口であります。


南海電鉄天下茶屋駅のホームもかつては地上で優等列車は通過してましたが、現在は南海本線・高野線共にホームは高架で、全列車停車となっております。こちらの上の画像は高野線の1番線ホームに停車する30000系特急「こうや」です。


こちらの上の画像は1982年まで存在した南海天下茶屋工場の跡地となる商業施設です。天下茶屋工場がまだあった頃はまだ大阪市営地下鉄(現在の大阪メトロ)堺筋線も天下茶屋まで延伸されてなく、天王寺支線(天王寺-天下茶屋間を走っていて、1984年に今池町-天下茶屋間が部分廃止され、1993年に全線廃止となりました。)が走っていました。


そして、こちらの上の画像は大阪メトロ堺筋線天下茶屋駅であります。


こちらの上の画像は大阪メトロ堺筋線天下茶屋駅の改札を入ったところで、のりば案内とLED式の行先案内が写っています。


こちらの上の画像は大阪メトロ堺筋線天下茶屋駅のホームに停車している66系リニューアル車です。関西国際空港開港直前の1993年に堺筋線がこの天下茶屋まで延伸され、南海の駅も同時に高架化されて優等列車も停まるようになり、格段に便利になりました。


次も少し移動しまして、左の街区表示板の画像の「西成区聖天下一丁目12」であります。


その「西成区聖天下一丁目12」の街区表示板の住所に該当するのは阪堺電気軌道阪堺線北天下茶屋停留場であります。この北天下茶屋停留場付近は昭和の風情が色濃く残っている地域で、下りホームには阪堺沿線の有名な場所のひとつとなっている喫茶店「コーヒールンバ」さんがあります。こちらの上の画像はその喫茶店「コーヒールンバ」さんを入れてモ161形モ170を撮影したものです。


次はそれなりに移動しまして、左の街区表示板の画像の「西成区橘三丁目3」であります。


その「西成区橘三丁目3」の街区表示板の住所に該当するのは南海電鉄高野線(汐見橋線)西天下茶屋駅であります。こちらの上の画像は2019年に撮影した西天下茶屋駅岸里玉出方面のりばの駅舎です。


そして、こちらの上の画像は2007年に撮影した同じ西天下茶屋駅岸里玉出方面のりばの駅舎で、駅名標が現在のものと違います。


こちらの上の画像は2019年に撮影した西天下茶屋駅岸里玉出方面のりばの駅舎の中にある改札口を撮影したものです。


こちらの上の画像は2019年に撮影した岸里玉出方面のりばの駅舎を西側から撮影したものです。


こちらの上の画像は2007年に撮影した同じ岸里玉出方面のりばの駅舎を西側から撮影したものです。こちら側からの構図だと現在のものとほとんど変化はみられません。


こちらの上の画像は2019年に撮影した汐見橋方面のりばの駅舎を撮影したものです。岸里玉出方面のりばの駅舎と比べると簡素なものとなっております。


こちらの上の画像は2006年に撮影した同じ汐見橋方面のりばの駅舎を撮影したものですが、駅名標が現在のものと違います。


こちらの上の画像は2019年に撮影した岸里玉出方面ホームに停車する2230系です。画像とは全く関係ありませんが、これで西成区内の「天下茶屋」という名の3駅はすべて紹介することができました。


次は少し移動しまして、左の街区表示板の画像の「西成区玉出東一丁目10」であります。


その「西成区玉出東一丁目10」の街区表示板の住所に該当するのは南海電鉄南海本線岸里玉出駅の玉出口であります。岸里玉出駅の本来の所在地は岸里口の住所である「西成区玉出東一丁目1」でありますが、見つかりませんでしたので玉出口の住所の方を採用させていただきました。この玉出口にあった旧玉出駅は1907年に開業しております。


こちらの上の画像は玉出口の改札口の様子です。画像の真ん中の奥にホームへ続く階段が小さいながら見えております。


先ほどの改札口からの階段を上りますと、こちらの上の画像のホームに到着しますが、こちらのホームは南海本線の島式ホームとなっており、なんば方面のりばとなる4番線の線路の西側には通過専用の線路があります。


そして、岸里口のある北側へ歩いている時になんば方面の通過線を3000系空港急行が通過して行きました。


そして、まだファインダーを覗いていると先ほどの3000系が汐見橋方面のりばの6番線に停車している2230系と遠目ながら並びましたので撮ってみました。


こちらの上の画像は汐見橋方面のりばの6番線に停車している先ほどの2230系です。


そして、岸里口側にある階段を経由して汐見橋方面のりばの6番線ホームに来まして、同ホームからなんば方面を撮影しました。


そして、反対側の和歌山市方面の様子も撮影しました。南海本線のホームが写っています。


そして、再び岸里口側にある階段を経由しまして、連絡通路を歩いて高野線ホームを目指します。


こちらの上の画像は高野線への連絡通路ののりば案内で、左から1番線の高野山・泉北高速線方面、2番線の今宮戎・萩ノ茶屋となっており、特に2番線の表記は高野線にしかホームのない今宮戎と萩ノ茶屋へ行く乗客への明確な表記となっているのでとてもわかりやすいと思いました。


こちらの上の画像は高野線2番線ホームからなんば方面を見たところで、なんば方面から6200系河内長野行き各停が来たところでした。


こちらの上の画像は高野線2番ホームに停車する6300系なんば行き各停を撮影したものです。


こちらの上の画像は高架化される前まで使用されていた高野線旧ホームで、現在より帝塚山側にホームがありました。


高野線ホームを後にしまして、岸里口に到着しました。こちらの上の画像は岸里口の改札口です。


そして、こちらの上の画像の岸里玉出駅の岸里口の外観を撮影しました。この岸里口にあった旧岸ノ里駅は高野線の駅が1900年に高野鉄道勝間(こつま)駅として、南海本線の駅が1913年に南海鉄道岸ノ里駅としてそれぞれ開業しております。高野鉄道勝間駅は阿倍野神社の最寄り駅であったことから1903年に阿倍野駅に改称し、1925年に南海鉄道と同じく岸ノ里駅に改称されたそうです(現在の岸里玉出駅になるまでの話も含めて詳しくはWikipediaをご覧ください)。


次も少し移動しまして、左の街区表示板の画像の「西成区天神ノ森二丁目3」であります。


その「西成区天神ノ森二丁目3」の街区表示板の住所に該当するのは阪堺電気軌道阪堺線天神ノ森停留場であります。こちらの上の画像は浜寺駅前方面下りホームに停車するモ501形モ502です。


こちらの上の画像は恵美須町方面上りホームに停車するモ161形モ161です。


こちらの上の画像は先ほどのモ161形モ161が発車したところを後追いで撮影したものですが、この構図はいつもお世話になっている同好の方が以前モ121形モ130で撮影されていたのを真似させていただいたものでして、まさか期間限定で通常運用されていたモ161形モ161を被写体にこの構図で撮れるとは思ってませんでしたので、撮れた時は本当にうれしかったのを思い出します。


こちらの上の画像は天神ノ森停留場西側にある天神ノ森天満宮の鎮守の森で、新緑の季節に撮影したもので緑がきれいです。左側に小さく天神ノ森天満宮の看板が見えます。


天神ノ森停留場を西側へ少し歩きますと、こちらの上の画像の天神ノ森天満宮の玄関となる鳥居に辿り着きます。


こちらの上の画像は天神ノ森天満宮の本殿です。


こちらの上の画像は天神ノ森天満宮の「由緒略記」なるもので、いろいろ記されてますが、応永年間(1394-1428年)に京都北野天満宮の御分霊を奉斎し、現在の本殿は元禄15年(1702年)7月に建設されたものだということがわかります。


次はほんの少し移動しまして、左の街区表示板の画像の「西成区玉出東一丁目12」であります。


その「西成区玉出東一丁目12」の街区表示板の住所に該当するのは南海玉出変電所であります。この南海玉出変電所の煉瓦造りの建物は1911年に建てられたもので、現在も南海電鉄高野線と阪堺電気軌道の電気を送っています。


また同じく「西成区玉出東一丁目12」の街区表示板の住所に該当するのが南海電鉄阪堺線(現在の阪堺電気軌道阪堺線)にかつて存在した宮ノ下停留場跡であります。この宮ノ下停留場は南海電鉄岸里玉出駅の際も触れましたが、阿倍野神社への参拝のために設けられた停留場で、いつもお世話になっている同好の方のお話によりますと昭和30年代まで存在していたそうです。こちらの上の画像は恵美須町方面の上りホーム跡を撮影したものです。


こちらの上の画像は浜寺駅前方面の下りホーム跡を撮影したものですが、左奥に小さいながらもあべのハルカスが写っています。


こちらの上の画像は先ほどの宮ノ下停留場跡下りホームの北側にある天神ノ森2号踏切を西側から撮影したもので、東側の奥には小さいながらも阿倍野神社が見えます。


こちらの上の画像は先ほどの踏切から歩いて行って撮影した阿倍野神社の入口で、阿倍野神社の住所は「阿倍野区北畠三丁目7」ですので本来なら管轄外ですが、撮影した立ち位置が「西成区天神ノ森二丁目6」付近でしたので今回は話の展開から特別ということで。。


そして、こちらの左の画像は先ほどの宮ノ下停留場跡上下ホームの間にある踏切を撮影したものです。


こちらの左の画像は先ほどの踏切の警報機の手前にあった標識の裏を撮影したもので、左側に何か書いてあります。


そして、こちらの左の画像は先ほどの標識の裏の左側に書いてあったものを拡大して撮影したもので、その書いてある一番右側には「踏切道名 宮ノ下1号踏切道」と書かれてますので、これがかつてこの場所に宮ノ下停留場が存在していた証明になるということをいつもお世話になっている同好の方から教えていただきました。いつも本当にありがとうございます。


そして、こちらの上の画像は宮ノ下停留場跡上りホーム付近を金太郎塗装のモ161形モ166が走っているところを後追いで撮影したものですが、撮影した時期がちょうど右の花壇のユキヤナギが見頃できれいでした。


そのユキヤナギが植わっている花壇の前に石碑がありましたので撮影してみました。


その撮影した石碑は「旧町名継承碑」というもので、全文そのままの内容は「旧町名継承碑 『岸松通一~三丁目』 当町は明治初頭、西成郡勝間村の一部であった 大正一四年四月大阪市に編入され西成区玉出町の一部となり、昭和二年一月岸松通一~三丁目となった。同四八年一一月住居表示の実施にともない天神ノ森二丁目・玉出東一~二丁目となった 町名は昔の海浜に当たり、付近の松原を「岸の松原」と呼びならわしたとの伝承に由来する。 平成九年二月 大阪市西成区役所」と書かれています。自分は町名変更という経験をしたことがないのでなんとも言えないのですが、これまで暮らしてきた町名に愛着を持っておられた方も多くおられると思いますので、歴史を伝える観点からもこういった「旧町名継承碑」は素晴らしいものだと思います。


今回の西成区は現在も南海電鉄南海本線・高野線、大阪メトロ御堂筋線・四つ橋線・堺筋線、阪堺電車阪堺線と多くの路線がありますが、かつては南海電鉄平野線や天王寺支線もありましたので、今昔とも鉄道密集地域といえると思います。現在も駅数も多いので今回ご紹介できなかったところも多々ありましたが、平成になってからの関西国際空港開港後の天下茶屋駅の利便性の向上は今回改めて感じましたし、その反対に歴史の重みを感じる場所も多くあっていろいろと楽しむことができました。また高野線の汐見橋-岸里玉出間がなにわ筋線のルートから外れましたので今後どうなるのか気になるところであります。


今回も毎度ながら記事の内容・画像とも粗い感じで申し訳ございませんが、今後もご愛顧のほどよろしくお願い致します。