2019年11月30日土曜日

街区表示板と鉄道の旅 大阪市24区編 第11回 西淀川区

今回はすっかり毎月恒例となりつつある「街区表示板と鉄道の旅 大阪市24区編」の記事ですが、第11回となる今回は西淀川区でございます。今回の西淀川区は1925年に大阪市の第二次市域拡張に伴って西成郡全域が大阪市に編入された際に新設された区で、当初は西成郡鷺洲町・千船町・稗島町・伝法町・歌島村・福村・川北村が区域となりました。その後、1941年に当時の東淀川区三津屋町・十三南之町三丁目の一部を西淀川区へ編入、当時の西淀川区塚本町の一部を東淀川区に編入する区域変更が実施され、更に1943年には大阪市の22区への分増区および行政区境界見直しが全市的で実施されたことに伴い、淀川以南の区域(旧伝法町(現在の伝法)と旧稗島町の一部(現在の高見)を此花区に、旧鷺洲町の現在の鷺洲・海老江・大開の一部となる地域が福島区に、同じく旧鷺洲町の現在の大淀北・大淀中・大淀南となる地域が当時の大淀区(現在の北区の一部)に)、および淀川以北の東海道本線以東の区域(旧鷺洲町の一部(現在の塚本)、旧歌島村の一部(加島・田川の一部)を当時の東淀川区(現在の淀川区の区域)に)を分離することになり、現在の区域となりました(詳しくはWikipediaをご覧ください)。


それでは今回の西淀川区最初の街区表示板は左の画像の「西淀川区福町二丁目3」であります。


その「西淀川区福町二丁目3」の住所に該当するのは阪神なんば線福駅であります。福駅は2面2線の相対式ホームで、改札口はホーム毎に独立している構造となっております。こちらの上の画像は阪神なんば線福駅尼崎・神戸三宮方面のりばの駅舎であります。


こちらの上の画像は阪神なんば線福駅尼崎・神戸三宮方面のりばの改札口であります。


こちらの上の画像は阪神なんば線福駅西九条・大阪難波・奈良方面のりばの駅舎であります。


こちらの上の画像は阪神なんば線福駅西九条・大阪難波・奈良方面のりばの改札口であります。


こちらの上の画像は阪神なんば線福駅西九条・大阪難波・奈良方面のりばの1番線ホームから尼崎方面を見たところであります。


こちらの上の画像は現在のなんば線でなく、まだ西大阪線だった頃の福駅の北側で尼崎方面から来る7801・7901形による西九条行きを撮影したものです。


こちらの上の画像は阪神なんば線福駅西九条・大阪難波・奈良方面のりばの1番線ホームから西九条方面を見たところであります。


こちらの上の画像はなんば線が開業した2009年に撮影した福駅に停車する近鉄1026系による東花園行き普通です。


こちらの上の画像はまだ西大阪線だった頃に伝法大橋の福側から撮影した7861・7961形と7801・7901形の混結編成の普通列車です。


次は少し移動しまして、左の街区表示板の画像の「西淀川区出来島一丁目13」であります。


その「西淀川区出来島一丁目13」の住所に該当するのは阪神なんば線出来島駅であります。こちらの上の画像は出来島駅の南側の道路から高架橋の駅名標を撮影したものです。


こちらの上の画像は出来島駅の西側の出入口を撮影したものです。


こちらの上の画像は出来島駅の改札口を撮影したものです。


こちらの上の画像は出来島駅西九条・大阪難波・奈良方面のりばの1番線ホームから尼崎方面を見たところであります。


こちらの上の画像はまだ西大阪線だった頃に撮影した4両編成の7801・7901形です。この出来島駅のホームは早くから近鉄車の6両編成分の有効長でしたので阪神車の4両編成だと駅停車も撮影することができました。


次はそれなりに移動しまして、左の街区表示板の画像の「西淀川区佃二丁目2」であります。


その「西淀川区佃二丁目2」の住所に該当するのは阪神電鉄阪神本線千船駅であります。こちらの上の画像は千船駅西側の出入口を撮影したものです。この千船駅のある佃という地域は歴史のある地域で、現在東京にある佃は江戸時代にこの大阪の佃の漁師の方々が移住してできた地域であり、佃煮も大阪の佃の方々が江戸に移住されてから作られたという説が一般的でありますが、江戸への移住以前に大阪の佃で既に作られていたという説もあり、歴史好きとしては非常に興味深い地域であります(この大阪の佃について詳しくはWikipediaをご覧ください)。


こちらの上の画像は千船駅東側の出入口を撮影したものです。


こちらの上の画像は千船駅の改札口を撮影したものです。


こちらの上の画像は千船駅大阪梅田方面のりばの1番線ホームから神戸三宮方面を見たところであります。


こちらの上の画像は千船駅2番線ホームの神戸三宮方から撮影した「Go!Go!灘五郷!」のラッピング車両の1000系による梅田行き急行です。


こちらの上の画像は千船駅尼崎・甲子園・西宮・神戸三宮・山陽姫路方面のりばの2番線ホームから神戸三宮方面を見たところであります。


こちらの上の画像は千船駅1番線ホームの大阪梅田方から撮影した「情たっぷりの城下町 尼崎」のヘッドマークを掲出した8000系による西宮行き急行です。


次は少し移動しまして、左の街区表示板の画像の「西淀川区姫里一丁目26」であります。


その「西淀川区姫里一丁目26」の住所に該当するのは阪神電鉄阪神本線姫島駅であります。こちらの上の画像は姫島駅の駅名が書かれた阪神本線の高架橋と姫島通りであります。


こちらの上の画像は姫島駅の改札口を撮影したものです。


こちらの上の画像は姫島駅大阪梅田方面のりばの1番線ホームから大阪梅田方面を見たところであります。


こちらの上の画像は姫島駅大阪梅田方面のりばの1番線ホームから撮影した5001形(2代)による高速神戸行き普通です。


こちらの上の画像は姫島駅大阪梅田方面のりばの1番線ホームから神戸三宮方面を見たところであります。


こちらの上の画像は姫島駅大阪梅田方面のりばの1番線ホームから撮影した9300系による梅田行き急行です。


次も少し移動しまして、左の街区表示板の画像の「西淀川区野里二丁目1」であります。


その「西淀川区野里二丁目1」の住所に該当するのは阪神バスと大阪シティバスの野里停留所であります。こちらの上の画像は住所の野里と反対側の姫里側にある野里停留所で、この野里停留所のある国道2号はかつて1975年5月6日までは路面電車の阪神国道線が走っており、現在バスの停留所となっているこの野里停留所付近にも路面電車の停留場があったそうです。


こちらの上の画像は野里停留所を住所通りに野里側から撮影したものです。画像に写っているバス停の大阪シティバスの方は現在も38系統が日中は1時間に1本ながら走っておりますが(姫島通にあるバス停の方には43系統が日中1時間2本走っております)、路面電車だった阪神国道線の代替となる阪神バスの野田甲子園線は1日1往復のみの免許維持路線となっており寂しい限りであります。


こちらの上の画像は野里停留所付近の国道2号に面した野里本町商店街の入口ですが、アーケードの商店街名の看板が取れてしまっています。


こちらの上の画像は野里本町商店街のアーケード内で寂しい感じに映っておりますが、昔近くに住んでいた友人から聞いた話ではやはり路面電車が走ってた頃が一番賑やかだったそうで、その後は流通構造などの変化で現在の姿になってしまったと思われます。


次も少し移動しまして、左の街区表示板の画像の「西淀川区御幣島一丁目8」であります。


その「西淀川区御幣島一丁目8」の住所に該当するのはJR東西線御幣島駅であります。こちらの上の画像はJR東西線御幣島駅3番出入口であります。


こちらの上の画像は御幣島駅の改札口と切符売り場であります。


御幣島駅のホームは島式1面2線の構造となっております。こちらの上の画像は北新地・京橋・四条畷方面の2番のりばに停車する207系による松井山手行きの普通列車と御幣島駅の駅名標を絡めて撮影したものです。


そして、こちらの上の画像は御幣島駅の駅名標と駅のシンボルとなっている「渡し船」(御幣島駅の周辺に川が多く、渡し船が航行していたことから決まったそうです)を撮影したものです。


またこのJR東西線御幣島駅の南側には国道2号と淀川通、みてじま筋が交差する歌島橋交差点があり、この歌島橋交差点からも御幣島駅に行き来することができます。こちらの上の画像は歌島橋交差点を写したものであります。このJR東西線御幣島駅の駅名も開業前の片福連絡線として工事をしていた頃の仮駅名がこの歌島橋交差点や歌島橋バスターミナルがあったことなどから「歌島橋」だったのですが、どういった経緯で現在の駅名に決定したのかは不明であります。


この歌島橋交差点は2009年4月1日から横断歩道がなくなり、歩行者と自転車は地下道を通って行き来するようになりました。御幣島駅へもこの地下道を通って行き来します。こちらの上の画像は歌島橋地下道の出入口であります。


こちらの上の画像は歌島橋地下道の中心となる場所で、各方面の出入口やJR東西線御幣島駅、地下駐輪場などに行き来することができます。


こちらの上の画像は歌島橋地下道からJR東西線御幣島駅の地下道への入口であります。


そして、こちらの上の画像はJR東西線御幣島駅へと続く地下道であります。


歌島橋交差点を取り上げたことに関連しまして、今回の最後は左の街区表示板の画像の「西淀川区御幣島二丁目4」であります。


そして、その「西淀川区御幣島二丁目4」の住所に該当するのは大阪市営バス歌島橋バスターミナル跡であります。


この歌島橋バスターミナルは2014年3月31日をもって廃止となり、現在は上の画像のように伸縮門扉で閉鎖されております。昔数回だけですが、利用したことがありましたので廃止は残念でなりません。


こちらの上の画像は歌島橋バスターミナルの看板を拡大したもので、澪標(みおつくし)のマークが入ったバスのイラストに味のある字体は昭和を思い出させてくれます。


またこの歌島橋バスターミナル跡の敷地内にはJR東西線御幣島駅の2番出入口があり、現在も使用されております。


こちらの上の画像は先ほどのJR東西線御幣島駅2番出入口のすぐ南側にある大阪シティバスの御幣島駅停留所であります。現在はこの御幣島駅停留所が歌島橋バスターミナルの後を引き継いでおります。


今回の西淀川区は現在の区域となってから1997年のJR東西線開業までの鉄道路線は阪神本線と西大阪線だけで、JRに乗るには淀川区との区界にある東海道本線塚本駅からのみでしたが、JR東西線の開業で御幣島駅や淀川区が所在地で西淀川区との区界にある加島駅が利用できるようになったことでJR東海道本線塚本駅や阪神本線姫島駅、千船駅などから少し離れていた国道2号やみてじま筋周辺の地域の利便性が向上し、2009年には西大阪線がなんば線となって難波方面へもアクセスできるようになって国道43号周辺の地域の利便性が向上し、区域間での利便性の格差が以前より解消されたと個人的には思います。


今回も毎度のことながら記事の内容・画像とも粗い感じで申し訳ございませんが、今後もご愛顧のほどよろしくお願い致します。