2019年11月16日土曜日

近鉄 「奈良駅地下化」「難波線開通」「鳥羽線・志摩線直通運転開始」50周年記念写真パネル展示

今回は10月19日と20日の2日間行われた「きんてつ鉄道まつり 2019」の高安車庫の会場で「奈良駅地下化」「難波線開通」「鳥羽線・志摩線直通運転開始」50周年記念写真パネル展示がされてましたのでその様子を。


こちらの上の画像は「きんてつ鉄道まつり 2019 in 高安」の記事の際にも掲載した画像ですが、「祝 50周年記念 ~「奈良駅地下化」「難波線開通」「鳥羽線・志摩線直通運転開始」~」の横断幕とその下の紅白幕を背景にパネルが展示されていました(一部横断幕と同じ高さにもパネルがありましたが)。


まずは「三大工事の着工~大阪万博をめざして~」と題されたパネルには「昭和40年代の日本の経済は、”いざなぎ景気”と呼ばれた空前の好況期を迎え、その象徴的なイベントが1970年大阪千里丘陵で開催された日本万国博覧会、いわゆる「大阪万博」であった。当社ではその開幕に合わせて、整備強化を図り、一大躍進を期した。 鉄道事業では1965年から1967年にかけて万国博関連三大工事が相次いで着工した。1969年に「奈良駅と付近線路の地下移設」を完成、1970年には万国博開幕と同時に「難波地下新線」「鳥羽新線の建設と志摩線の広軌化改良」を一挙に完成し、大阪都心への乗り入れと、大阪、名古屋から志摩への直通運転を実現した。 日本万国博では、当社は会場内でのロープウェイの建設運営の観客輸送等を行う一方、万国博観覧客の当社沿線への誘致にも力を注いだ。」という説明文と右上には当時の近鉄による万国博の広告と左下には大阪万博のロープウェイの画像が掲載されていました。


次の「奈良駅と付近線路の地下移設」と題されたパネルには「奈良線はもとは国鉄線を越え、油阪駅を経て道路の中央を併用軌道で通り、奈良駅に至っていた。 この軌道併用道路の交通量が年々増加し混雑してきたので、奈良県と奈良市では万博関連の都市計画街路整備事業として、線路を地下へ移設し道路を拡幅整備することになった。工事区間1.5キロのうち地下部分は1キロで1968年2月着工、昼夜兼行の突貫作業により2年足らずで完成、1969年12月9日開通した。 翌1970年3月11日駅ビルがオープンし、新装の街路や駅前広場と相まって、古都奈良の玄関口は世界の観光都市にふさわしい姿に一新した。」という説明文と右に奈良近鉄ビルの画像と下に近鉄奈良駅から廃駅となった旧油阪駅、当時新駅として開業した新大宮駅までの線路と付近の道路の地図が掲載されていました。


こちらの上の画像は地下駅と一体構造建築中だった頃の奈良近鉄ビルです。


こちらの上の画像は1969年12月8日に近鉄奈良駅で行われた地下線路開通のテープカットの模様です。


こちらの上の画像は地下線開通直後の近鉄奈良駅地下1階の東改札口の様子です。


こちらの上の画像は地上駅だった1968年当時の近鉄奈良駅駅舎です。


こちらの上の画像は地上駅だった頃の近鉄奈良駅のホームの様子です。


こちらの画像は地下線開通によって廃駅となった油阪駅です。


次の「難波地下新線の建設と開通」と題されたパネルには「難波線上本町・難波間2.0キロは1965年10月着工し、以来4年5カ月、複線機械シールドなど最新の技術を駆使して完成、日本万国博覧会開幕の1970年3月15日から営業を開始した。 これにより沿線のベッドタウンと都心が直結されて、通勤時分の飛躍的な短縮が実現したのをはじめ、都市交通の利便向上にも大きな役割を果たした。」という説明文と右上に近鉄難波線開通と日本万国博覧会開幕を記念した記念入場券、下に東は鶴橋から西は近鉄難波と湊町までの線路と道路の平面図と地下工事区間の断面図が掲載されていました。


こちらの上の画像は近鉄難波線開通前日の1970年3月14日の新聞広告です。


こちらの画像は近鉄難波線地下掘削工事の際に上本町から日本橋に到着したシールドの様子です。


こちらの画像は日本橋方面から見た難波駅トンネル内の様子です。


こちらの上の画像は1970年3月12日に行われた難波駅での祝賀列車出発のテープカットの模様です。


こちらの上の画像は1970年3月15日の難波駅開業当日の様子です。


こちらの上の画像は近鉄難波線開業前の1968年に難波駅中心部付近となる湊町から上本町方面を写されたもので、画像左の信号機のすぐ右には近鉄難波線の工事現場、そのまた右の道路(千日前通)には大阪市電が走っているのが写っております。


最後の「鳥羽新線の建設と志摩線の広軌化改良」と題されたパネルには「1967年、伊勢志摩総合開発計画を策定し、その基盤となる鉄道線については、宇治山田・鳥羽間に鳥羽線を建設するとともに、既設の志摩線鳥羽・賢島を広軌化して、大阪、京都、名古屋から賢島まで直通特急列車を運転することとした。 鳥羽線は1968年5月着工の大規模な機械力を駆使して工事を進め、宇治山田・五十鈴川間は1969年12月15日営業を開始した。 また、志摩線も1969年12月からバス代替輸送に切り替え、全線にわたり新線建設に匹敵する改良を行った。翌年1月末両線完成・試運転、2月28日竣工行事を挙行し、3月11日開業となった。 この工事完成により、伊勢志摩の総合的な交通体系が確立され、同地域の産業、観光の発展に大きく寄与した。」という説明文と右下に近鉄特急10100系の写真と鳥羽線全駅と志摩線の特急停車駅の路線図に「鳥羽新線建設と志摩線改良工事 完成記念 近畿日本鉄道」と記された資料が掲載されていました。


こちらの画像は宇治山田駅から鳥羽方面への高架橋工事の様子です。


こちらの上の画像は賢島駅新駅舎の建設中の様子と改良中の在来線のホームの様子です。


こちらの画像は志摩線白木付近の軌間拡幅工事の様子です。


こちらの上の画像は工事期間中に宇治山田駅で代行バスが停車している様子です。


こちらの上の画像は1970年3月に五十鈴川駅で行われたテープカットの模様です。


こちらの上の画像は鳥羽線・志摩線開通のワイドポスターです。


今回の50周年記念写真パネル展示は過去の近鉄の歴史がよくわかる素晴らしいものでしたので、また今後も近鉄の歴史に関する展示を「きんてつ鉄道まつり」内で開催されることを期待したいところです。


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