2019年2月28日木曜日

街区表示板と鉄道の旅 大阪市24区編 第2回 西区

今回は約1ヵ月ぶりとなる「街区表示板と鉄道の旅 大阪市24区編」の記事となりますが、第2回となる今回は西区でございます。今回の西区は前回の北区と同様に大阪市が市制を施行した1889年からあった最古の行政区であります(詳しくはWikipediaをご覧ください)。


西区最初の街区表示板は左の画像の「西区九条二丁目3」であります。


その「西区九条二丁目3」の街区表示板の住所に該当するのは上の画像の大阪メトロ中央線九条駅であります。地下鉄の駅は地下にあるのが普通で、駅の出入口も地上と駅のある地下とを行き来する階段があるものですが、この大阪メトロ中央線九条駅は高架駅ですので地上と高架駅との行き来は歩道橋となっております。画像は4号出入口です。


この大阪メトロ中央線は近鉄けいはんな線と相互乗り入れをしておりますので大阪メトロの車両の他に近鉄の車両も走っておりますが、今回は大阪メトロの車両の20系の画像を貼っておきます。


次も九条繋がり本来は「西区九条一丁目25」の街区表示板を掲載したかったのですが、自分には見つけることができませんでしたので今回は1番違いの「西区九条一丁目26」の街区表示板の画像を採用しました。


そして、こちらは本来撮影したかった街区表示板の「西区九条一丁目25」は阪神なんば線九条駅の住所で、こちらの阪神なんば線九条駅は今年の3月20日で開業から10周年を迎えることとなります。


こちらの阪神なんば線九条駅1号出入口と先程の大阪メトロ中央線九条駅2号出入口はすぐそばにあるので乗り換えも便利です。


そして、こちらは阪神なんば線九条駅の1号出入口側の改札口であります。


そして、こちらは阪神なんば線九条駅のホームで、こちらの阪神なんば線も近鉄と相互乗り入れをしているので阪神の車両以外に近鉄の車両も走っておりますが、今回は乗り入れ先の近鉄の車両の9820系の画像を貼っておきます。


そして、先程の九条から少し歩いてやって来ましたのがこちらの左の画像の街区表示板の「西区千代崎二丁目8」であります。


その「西区千代崎二丁目8」の街区表示板の住所に該当するのが左の画像の「大阪市電創業の地」の石碑であります。


この「大阪市電創業の地」の石碑の東側面には「明治三十六年九月に開業した大阪市電第一期線築港線は西区九條町(花園橋西詰)から築港埠頭までの約五キロ間で このあたりに花園橋停留場があった」と書かれていました。


そして、「大阪市電創業の地」の石碑のすぐ横の信号を渡ったところに大きなアーケードの商店街「ナインモール九条」がありまして、石碑を撮った後に歩きましたが、平成になってからよくいわれる「シャッター通り」ということはなく、現在でも頑張って商売をされているお店が多い印象でした。市電が走っていた頃はもっと賑やかだったのだと思います。


九条界隈から抜け出しまして次にやって来ましたのが左の画像の街区表示板の「西区北堀江一丁目1」であります。


その「西区北堀江一丁目1」の街区表示板の住所に該当するのが大阪メトロ四つ橋線四ツ橋駅であります。画像は「西区北堀江一丁目1」にある3号出入口です。


こちらの画像は「西区北堀江一丁目1」から北西側を見た四ツ橋交差点で、この四ツ橋交差点にはかつて「ダイヤモンドクロッシング」と呼ばれる大阪市電の南北線と東西線との交差点とその各線を繋ぐ複線の渡り線があったそうで、いつも阪堺でお世話になっている同好の方のお話では「南北と東西の交差点とその各線を繋ぐ複線の渡り線がある完全な形でのダイヤモンドクロッシングは日本の路面電車ではこの四ツ橋だけかもしれないです。」とのことでした。また「大阪市街電車唱歌」の中の「新町過ぎて四橋の 風景一目に見え渡る 線路もここは交差点 水は十字に流れたり」という5番の歌詞と「又電車にて立ち帰る 西長堀の変圧所 ここは特殊の軌条にて ダイヤモンドの名もしるし」という13番の歌詞でこの四ツ橋交差点のダイヤモンドクロッシングのことが出てくることを併せて教えてくださいました。そして、自分も大阪市電があった頃を妄想しながら四ツ橋交差点を撮影しておりました。


四ツ橋交差点繋がりで先ほどの「西区北堀江一丁目1」から西へ渡りまして次は左の画像の街区表示板の「西区北堀江一丁目7」でありますが、この「西区北堀江一丁目7」の街区表示板は恐らく元々上の画像の「西区北堀江一丁目1」の街区表示板と同じタイプのものが上から貼られていたものが剥がれてしまって元から貼られていた古いタイプの街区表示板が剥き出しになってしまったのではないかと思われます。


その「西区北堀江一丁目7」に該当するのは上の画像の大阪メトロ四つ橋線四ツ橋駅4号出入口であります。


こちらの上の画像は「西区北堀江一丁目7」に該当する四ツ橋交差点南西側から北東側を撮影したもので、この四ツ橋交差点北東側にはかつて日本で初めてプラネタリウムが導入された大阪市立電気科学館がありましたが、1989年5月に閉館となり、現在跡地は「ホワイトドームプラザ」という複合ビルとなっております。


続いても四ツ橋交差点繋がりで先ほどの「西区北堀江一丁目7」から北へ渡りまして次は左の画像の街区表示板の「西区新町一丁目5」であります。


その「西区新町一丁目5」に該当するのは上の画像の大阪メトロ四つ橋線四ツ橋駅2号出入口であります。


こちらの上の画像は「西区新町一丁目5」に該当する四ツ橋交差点北西側から南東側を撮影したもので、四ツ橋交差点南東側の少し東側にある阪神高速1号環状線より更に東側は「アメリカ村」と呼ばれる若者が買い物などで集まるスポットで場所自体は中央区になりますが、その「アメリカ村」の北西の端となるクリスタ長堀西荷捌場にはアンディ・ウォホールと並ぶポップアートの代表的な画家と知られるロイ・リキテンシュタインの巨大壁画「OSAKA VICKI」が描かれていて若者の街らしい風景も見ることができます。


これまた続きましても四ツ橋交差点繋がりで先ほどの「西区新町一丁目5」から東へ渡りまして次は左の画像の街区表示板の「西区新町一丁目4」であります。


その「西区新町一丁目4」に該当するのは上の画像の大阪メトロ四つ橋線四ツ橋駅1-A出入口であります。


こちらの上の画像は「西区新町一丁目4」に該当する四ツ橋交差点北東側から南西側を撮影したもので、こちらの四ツ橋交差点南西側も1990年代辺りから「堀江」と呼ばれる若者が買い物などで集まるスポットとなった地域で、この四ツ橋交差点南西側は「堀江」の北西端にあたりますが、四ツ橋筋と長堀通に面したところは昔から変わらずオフィスビルが立ち並んでおります。


そして、「西区新町一丁目4」に該当する四ツ橋交差点北東側から南へ渡りまして長堀通の中央分離帯にやって来ますと上の画像の「旧名所 四ツ橋跡」という史跡があります。この「旧名所 四ツ橋跡」は現在は埋め立てられている長堀川と西横堀川が十字に交差した地点に「ロ」の字型に実際に架けられていた4つの橋(西横堀川に架かる北側の「上繋橋(かみつなぎばし)」、同じく西横堀川に架かる南側の「下繋橋(しもつなぎばし)」、長堀川に架かる東側の「炭屋橋(すみやばし)」、同じく長堀川に架かる西側の「吉野屋橋(よしのやばし)」)のことで、実際は現在の四ツ橋交差点より少し東側にあたる現在の阪神高速1号環状線と長堀通の交差部に架けられていたそうで、現在の四ツ橋交差点の位置で長堀川に架けられていた橋は「西長堀橋(なしながほりばし)」だったそうです(詳しくはWikipediaをご覧ください)。


こちらの左の画像は「名所 四ツ橋跡」の石碑であります。


そして、上の画像は先ほどの「名所 四ツ橋跡」の石碑の右横にある石碑で、右側が四ツ橋があった頃の絵が描かれており、左側は右から「四ツ橋跡 もとここは、東西に流れる長堀川、南北に流れる西横堀川が交叉していた場所であった。 東に架けられていた橋を炭屋橋、西を吉野屋橋、南を下繋橋、北を上繋橋と言い、合わせてこれを四ツ橋と言った。 このあたりは大阪の中心部で、十字の川面を行き交う船や橋上の往来も激しく、納涼や観月にも適していたので、古来より有名であった。」という四ツ橋についての説明書きがあり、その説明書きの左に「すずしさに 四つ橋をよつ わたりけり」という小西来山の句と「後の月 入て貌よし 星の空」という上島鬼貫の句が記されています。


また上の画像の「旧名所 四ツ橋跡」の北側には現在の四ツ橋跡についての説明板があり、こちらには「四つ橋 四つ橋は 大阪人にとってなつかしい橋である ここより東の阪神高速道路下と長堀通りが交差する所を囲むように方形に架かっていた 西横堀川 長堀川の埋立てによって橋としての歴史を終え 地名として名を残すのみとなったが 橋を愛する人々の心に生き続けている この四つ橋を偲ぶよすがとして整備を行った 照明柱を中心に四つの橋を設置し 江戸時代の木橋を表現するため 橋の欄干と床面は木造とし 川面は砂利で埋めた床で 旧橋の親柱に埋込まれていた橋名板を照明柱の台座に残すとともに橋長は約一〇分の一 幅員は六分の一として正面には顕影碑を配置している また ここより東に向い阪神高速道路を隔てた横堀筋沿いに二つの句碑を並べて設置している 涼しさに 四つ橋を四つ わたりけり 来山 後の月 入て貌よし 星の空 鬼貫 これらの句碑は 変わりゆく時代の中 四つ橋を静かに見守っている」と記されています。


こちらの上の画像は先ほどの説明板に記されていた再現された四ツ橋で、画像の左端となる北側の上繋橋だけ他の三つの橋と比べて少し離れて架かっているのは実際に上繋橋だけ川の交差部より少し離れて架かっていたのを再現しているためであります。


続いてこちらの上の画像も先ほどの説明板に記されていた木橋の欄干で、橋の名前も記されてました。画像は吉野屋橋です。


続いて左の画像も先ほどの説明板に記されていた照明柱で、台座に橋名板らしきものが埋め込まれているのが見えます。


こちらの上の画像は照明柱の台座を拡大して撮影したもので、四面あるうちの二面だけですが、右側はひらがなで「よしのやばし」、左側は見づらいですが、漢字で「上繋橋」の橋名板が埋め込まれているのが確認できます。


そして、「旧名所 四ツ橋跡」のある長堀通の中央分離帯東側から中央分離帯西側にある「大阪市長堀バス駐車場」を撮影したのですが、真ん中に写っている交差点名と道路名の道路標識のある照明柱がよく目立っております。


あまりにも目立ちますので四ツ橋交差点の長堀通の中央分離帯西側にある「大阪市長堀バス駐車場」道路標識を拡大してみたものが左の画像ですが、道路名が「四つ橋筋」、交差点名が「四ツ橋」となっているのが確認できます。この表記の違いは道路を管理していた市の土木局(当時)と交通事業(市電に四ツ橋の電停があった)を管理していた電気局(当時)が監督官庁にそれぞれ別の表記で届け出たことに原因があるといわれているそうです(詳しくはWikipediaをご覧ください)。


こちらは大阪メトロの駅名標ですが、路線名が「四つ橋線」、駅名が「四ツ橋」となっており、こちらも大阪市営地下鉄時代から現在も変わりません。こちらの表記の違いは路線名は道路名を由来とし、駅名は地名(交差点名、または市電の電停名)を由来としたことからの違いだそうです(詳しくはWikipediaをご覧ください)。


そして、最後は大阪メトロ四つ橋線四ツ橋駅で撮影した23系の画像で今回は終了です。


今回も粗い感じでいいかげんな記事でありましたが、ご了承願いたいと思います。


不定期ではありますが、また次回もよろしくお願い致します。


2019年2月23日土曜日

阪堺モ701形モ707 フォト・ギャラリー

阪堺モ701形モ707のフォト・ギャラリーです。


阪堺線住吉停留場(1番のりば)に停車する「河合塾」の広告車両だった頃のモ701形モ707。


阪堺線住吉停留場(2番のりば)付近を走る「錦秀会グループ」の広告車両だった頃のモ701形モ707。


阪堺線住吉停留場(2番のりば)に停車する「舞昆のこうはら」の広告車両だった頃のモ701形モ707。


同じく阪堺線住吉停留場(2番のりば)に停車する「メガネの愛眼」の広告車両のモ701形モ707。


これらの画像は阪堺電気軌道 モ701形 モ707 - MYSTERY TRAIN PHOTO GALLERYでも公開しております。


2019年2月20日水曜日

阪急8000系8000Fによる「8000系30周年記念列車」を撮る その1

今回も先月の撮影分となりますが、1月20日に撮影した阪急8000系8000Fによる「8000系30周年記念列車」を取り上げてみたいと思います。この阪急8000系8000Fによる「8000系30周年記念列車」は8000系デビュー時の車体前面窓下飾り帯、車体側面のHマークと旧社章をラッピングで復元させたもので、1月19日から4月16日までの運行予定ですが、記念ヘッドマークの掲出が2月28日までということで早速阪急神戸本線へ撮りに行って来ました。


この日は特急運用に就いてましたが、午前中は天気が悪かったので駅に停車しているところを撮影しました。こちらは岡本駅に停車しているところを8000側から撮影したものです。


こちらは梅田駅で撮影した8000側の記念ヘッドマークです。


こちらは西宮北口に停車しているところを8100側から撮影したものです。


こちらは梅田駅で撮影した8100側の記念ヘッドマークです。


こちらも梅田駅で8100側の車体側面をラッピングで復元されたHマークを入れて撮影したものです。


こちらも梅田駅で撮影した車体側面にラッピングで復元された旧社章です。


2019年2月16日土曜日

阪堺モ701形モ711「岡崎屋質店」広告車両(2018年塗装更新車)を撮る

今回は先月の撮影分となりますが、昨年末に塗装が更新された「岡崎屋質店」の広告車両の阪堺モ701形モ711を取り上げてみたいと思います。


昨年末に塗装が更新された「岡崎屋質店」の広告車両の阪堺モ701形モ711を初めて撮影したのは年始の1月3日でしたが、その後の訪問時も運用入りしていることが多かったので比較的短期間で目的の構図を撮影することができました。こちらは2月3日の訪問時に阪堺線住吉停留場2番のりばに停車しているところを撮影したもので、最近になって塗装更新されて変化したモ701形やモ601形の姿と同様に車番がこれまでの切文字からステッカー貼りになって字体も変更されているのと戸袋窓下部に左から「出口 EXIT」、「入口 ENTRANCE」と漢字と英語でそれぞれ大きく表示されているのが確認できます。しかし、このモ711はこれまで変化したモ701形やモ601形とはお顔の車番の位置が違って若干位置が下になっているように見えます。


こちらも同じく2月3日に阪堺線住吉停留場2番のりばに停車しているところを後追いで撮影したものです。


こちらは同じ構図で1月13日に撮影したものですが、先程の2月13日の撮影分と比べてみると天井のクーラーの形状が違うことがわかります。このクーラーの形状の違いを知ったのは同好の方のTwitterでのツイートでして、いつも本当によく観察されてる方ですので頭が下がるばかりです。ありがとうございます。


こちらは2014年に同じ構図で撮影したもので変化する前の姿の時のものですが、1月13日の撮影分と同じ形状のクーラーが搭載されているのがわかります。


こちらは車体側面を少し拡大して撮影したもので、先述した戸袋窓下部の左から「出口 EXIT」、「入口 ENTRANCE」とそれぞれ漢字と英語で表記されてますが、最近塗装更新されて変化したモ701形やモ601形と同じく左側と中央の戸袋窓の大きさが違うのでそれぞれの大きさに合わせた表記となっていました。