今回は「街区表示板と鉄道の旅 大阪市24区編」の記事になりますが、第5回となる今回は港区でございます。今回の港区は1925年に当時の西区と北区の一部を分離して新設された区で、1925年当時は現在の大正区の区域も港区でしたが、1932年に分区されました(詳しくはWikipediaをご覧ください)。
港区最初の街区表示板は左の画像の「港区波除三丁目11」であります。
その「港区波除三丁目11」の住所に該当するのはJR大阪環状線弁天町駅で、こちらの上の画像はJR弁天町駅南口であります。
こちらの上の画像はJR弁天町駅のホームで、内回りの1番線ホーム225系5000番台の関空紀州路快速が停車しているところです。
こちらはの上の画像はJR弁天町駅東側にある現在はコインパーキングですが、こちらは2014年4月6日に閉館した交通科学博物館があった場所であります。
交通科学博物館があった頃の外観の写真を撮ってませんでしたので、館内に展示されていた保存車の写真を少し見ていただきたいと思います。こちらの上の画像は230形蒸気機関車の233号機で、現在は京都鉄道博物館に保存されています。
こちらの上の画像の手前は蒸気機関車のD51 2号機で、現在は津山まなびの鉄道館に保存されています。そして、奥には20系寝台客車の食堂車となるナシ20 24で、こちらは京都鉄道博物館に保存されています。
こちらの上の画像は左からディーゼル機関車のDD13 638号機とDF50 18号機で、両方の機関車とも現在は津山まなびの鉄道館に保存されています。
こちらの左の画像はキハ81-3「くろしお」号で、こちらは京都鉄道博物館に保存されてますが、顔のみの撮影でもっときちんと撮っておくべきでした(汗)。
こちらの左の画像は80系クハ86001で、こちらも現在は京都鉄道博物館に保存されてますが、今となってはキハ81同様にもっときちんと撮っておくべきだったと後悔しております(汗)。
そして、同じく「港区波除三丁目11」の街区表示板の住所に該当するのは大阪メトロ中央線弁天町駅で、第2回の西区の回でご紹介した隣の九条駅同様に地下鉄でありながら高架駅であります。上の画像は2B出入口であります。
こちらの上の画像は本町・森ノ宮・長田・生駒・学研奈良登美ヶ丘方面行きの1番線ホームで乗り入れ先の近鉄の7000系が停車しているところです。
こちらの上の画像は1番線ホームの九条寄りから撮影した20系です。
次は少し移動しまして、左の街区表示板の画像の「港区築港三丁目5」であります。
その「港区築港三丁目5」の住所に該当するのは上の画像の大阪メトロ中央線大阪港駅であります。この大阪港駅も先ほどの弁天町駅同様に高架駅となっております。また現在この大阪港駅のある場所は大阪市営地下鉄(現在の大阪メトロ)中央線開通以前に大阪市電が走っていた頃には築港線と築港北海岸通線の合流点の三条通四丁目電停があった場所で、大阪市電時代の築港線終点となる大阪港電停大桟橋(現在の中央突堤)手前にあったそうです(詳しくはWikipediaをご覧ください)。
こちらの上の画像は現在の大阪港駅のホームで、島式1面2線のホームとなっております。この写真を撮影したのは早朝でしたので比較的空いてましたが、海遊館が開館する時間帯になると平日・休日問わずに観光客の方々で賑わう場所であります。
次はほんの少し移動しまして、左の街区表示板の画像の「港区海岸通一丁目5」であります。
その「港区海岸通一丁目5」の街区表示板の住所に該当するのは大阪港の中央突堤です。こちらの上の画像は先ほどの大阪メトロ中央線大阪港駅の文中に出てきました大阪市電築港線大阪港電停があったであろう中央突堤手前から撮影したものです。
次はそれなりに移動しまして、左の街区表示板の画像の「港区福崎三丁目1」であります。
その「港区福崎三丁目1」に該当するのは2006年4月1日まで存在したJR貨物大阪環状線の貨物支線(通称:大阪臨港線)浪速駅とその周辺であります。このかつて存在したJR貨物大阪環状線の貨物支線(通称:大阪臨港線)は現在のJR西日本大阪環状線の弁天町駅と大正駅の間にあった境川信号場から分岐していた貨物線で、全面廃止の2006年4月1日時点では浪速駅までの路線でしたが、1984年2月1日まではその先の大阪港駅(読みは「おおさかみなとえき」)及び大阪東港駅(読みは「おおさかとうこうえき」)までの路線でした(詳しくはWikipediaをご覧ください)。こちらの上の画像は浪速駅手前の三十間堀川に架かる橋梁で、今年の3月に廃線後初めて訪れましたが、まだ橋梁は残されたままでした。
こちらの上の画像はまだ廃線前にディーゼル機関車のDD51が単機で橋梁を渡っているところです。
こちらの上の画像はかつての浪速駅の敷地の一部で現在は佐川急便の営業所となっておりますが、入口の左側にまだ「浪速駅」へ案内する矢印の看板が残っているのが確認できます。
こちらの上の画像は「浪速駅」へ案内する矢印の看板を拡大して撮影したもので、今回はこれで終了です。
今回の港区に関しましては最後の大阪臨港線の廃線跡の一部を初めて訪問できたのが一番の収穫でありました。
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