2016年1月31日に阪堺上町線住吉-住吉公園間が正式に廃止されてから本日で4年が経ちましたが、今回は廃止から4年ということで訪問した2020年1月19日と26日の画像に廃止前と廃止後を含めた過去の画像を少しですが、ご覧いただけたらと思います。
こちらは2020年1月19日に撮影した住吉分岐点の画像です。一週間後の1月26日にも撮影しましたが、構図の上下のバランスがかなり悪かったので1月19日に撮影したものを採用しました。そして、今年はこれまでと違って住吉停留場3番のりばの横にあった整形外科さんが移転されて更地となって景色が大きく変わりました。
こちらの上の画像は昨年に撮影したまだ整形外科さんがあった頃の住吉分岐点です。
こちらの上の画像は2007年に撮影した住吉交叉点を渡って住吉公園へ向かう南海大阪軌道線時代の復刻塗装車のモ161形モ163です。
こちらの上の画像は2029年1月26日の画像で、廃止当時のダイヤの住吉公園発(8時32分)の最終列車の天王寺駅前行きが住吉停留場4番のりばを発車する本来の時刻と同じ時刻(8時33分)に住吉停留場2番のりばを発車した天王寺駅前行きをいつもお世話になっている同好の方と見送らせていただいた時のものです。今年は同時刻の列車が昨年7月20日のダイヤ改正で天浜運用となりましたので、1001形堺トラム1001「茶ちゃ」が充当されました。
そして、場所を少し移動しまして、こちらは廃止前の住吉-住吉公園間にあった踏切を渡る昭和40年代復刻車のモ161形モ161で、モ161形モ161の背後の道路の左側の白い建物はパチンコ屋さんでした。
こちらは昨年に撮影した同じ場所の踏切跡の道路ですが、廃止前にあた道路の左側のパチンコ屋さんは解体され、マンションの建設が始まっていました。
そして、今年はマンションが完成して昨年以上に景色が大きく変化しました。
そして、また少し場所を移動しまして、こちらは毎年定番で掲載しておりますが、南海本線住吉大社駅の改札までの階段の踊り場から見た廃止前の住吉公園駅ホームの先と上町線の線路です。
こちらは3年前に同じ場所で撮影したもので、線路とホームのあった場所は駐車場になりましたが、左奥に写っているパチンコ屋さんは廃止前の画像と同じくあるのが確認できます。
こちらは2年前に撮影した画像ですが、3年前まで画像の左奥にあったパチンコ屋さんの建物が取り壊されてなくなっています。徐々に変化しているのがわかります。
こちらは昨年に撮影した画像ですが、左奥のパチンコ屋さんの跡には建設中のマンションのクレーンが写っており、廃止前から駐車場だった場所の大部分が先述の建設中のマンションのモデルルームのプレハブになっているのが確認できます。
そして、こちらは今年に撮影した画像ですが、昨年建設中だったマンションのクレーンが写っていたところには左端に少しだけ完成したマンションが写っており、マンションのモデルルームのプレハブは昨年と同じくありますが、昨年あったモデルルームの横断幕は外されていました。
廃止から4年が経ち、住吉停留場3番のりば横に長年あった整形外科さんが移転されて更地となり、廃止区間のすぐ横で建設中だったマンションも完成し、住吉界隈の景色が大きく変わったことをこの1年で本当に痛感しました。また来年も更地となった整形外科さんの跡地に何か建物ができてまた景色が変わりそうです。
2020年1月31日金曜日
2020年1月23日木曜日
街区表示板と鉄道の旅 大阪市24区編 第13回 旭区
今回は今年初めての「街区表示板と鉄道の旅 大阪市24区編」の記事となりますが、昨年から通算して第13回の今回は旭区でございます。今回の旭区は1932年10月1日に東成区から分区されて誕生した区で、1943年4月1日に大阪市が22区制となった際に南部を城東区へ、西部を都島区へ分離、当時の鴫野町弁天島(現在の中央区城見)を当時の東区に編入して現在の区域となりました(詳しくはWikipediaをご覧ください)。
それでは今回の旭区最初の街区表示板は左の画像の「旭区森小路一丁目4」であります。
その「旭区森小路一丁目4」の街区表示板の住所に該当するのは京阪電鉄京阪本線森小路駅であります。こちらの上の画像は京阪電鉄京阪本線森小路駅西改札口で、駅舎の上の高架ホームには現行塗装の京阪2600系30番台が停車しています。
こちらの上の画像は反対側の東改札口を撮影したものです。
この京阪電鉄京阪本線森小路駅のホームの構造は島式ホーム2面4線となっておりますが、内側2線は通過線となっていることから柵で仕切られています。こちらの上の画像は森小路駅下りホームから出町柳方面を見たところです。
こちらの上の画像は同じく森小路駅下りホームから淀屋橋・中之島方面を見たところです。
こちらの上の画像は同じく森小路駅下りホームの屋根のある場所から通過線の柵を撮影したものですが、屋根のないところと比べて柵の網の目が細かくなっているのがわかります。
次は少し移動しまして、左の街区表示板の画像の「旭区千林一丁目11」であります。
その「旭区千林一丁目11」の街区表示板の住所に該当するのは京阪電鉄京阪本線千林駅であります。こちらの上の画像は京阪電鉄京阪本線千林駅西改札口で、大阪三大商店街のひとつとされる千林商店街に面しております。
こちらの上の画像は京阪電鉄京阪本線千林駅西改札口を正面から撮影したものです。
そして、こちらの上の画像は先ほども触れましたが、京阪電鉄京阪本線千林駅西改札口と面している千林商店街の様子で、アーケードには地下鉄千林大宮駅への矢印の案内がありました。また画像右のオーエスドラッグはかつて隆盛を極めたスーパーマーケットチェーンのダイエーが1号店を出店した場所であります。
そして、反対側の東改札口に行きますと改札口のシャッターが下りた状態で、貼り紙がありました。
そして、その貼り紙を見ますと「お知らせ 千林駅東改札口は、2019年7月21日(月)より使用中止しておりましたが、9月20日(金)をもって閉鎖いたします。 お客さまにはご不便をおかけいたしますが、ご理解のほどをよろしくお願いいたします。 京阪電気鉄道株式会社」と書かれてありました。
この京阪電鉄京阪本線千林駅のホームの構造は相対式ホーム2面4線となっておりますが、内側2線は通過線となっております。こちらの上の画像は千林駅下りホームから出町柳方面を見たところです。
こちらの上の画像は以前に撮影したものですが、千林駅上りホームに停車している1900系を後追い構図で撮影したものです。
この千林駅のホームには木造の長いベンチが今も残っております。
こちらの上の画像も以前に撮影したものですが、森小路-千林間を走る旧特急色の8000系K特急です。
次も少し移動しまして、左の街区表示板の画像の「旭区清水四丁目8」であります。
その「旭区清水四丁目8」の街区表示板の住所に該当するのは大阪メトロ今里筋線清水駅であります。こちらの上の画像は大阪メトロ今里筋線清水駅1号出入口であります。
こちらの上の画像は大阪メトロ今里筋線清水駅の改札口と切符売り場です。
この大阪メトロ今里筋線清水駅のホームの構造は島式ホーム1面2線となっております。こちらの上の画像は清水駅の駅名標と可動式ホーム柵を入れて撮影したものです。今回写し忘れましたが、画像奥の今里側に留置線があり、平日朝のラッシュ時や平日休日問わず終電には当駅止まりの列車も設定されています。
こちらの上の画像は80系を真横から撮影したものです。
次も少し移動しまして、左の街区表示板の画像の「旭区太子橋一丁目4」であります。
その「旭区太子橋一丁目4」の街区表示板の住所に該当するのは大阪メトロ谷町線・今里筋線太子橋今市駅であります。こちらの画像は所在地と住所が1番違いの「旭区太子橋一丁目3」になりますが、大阪メトロ谷町線・今里筋線太子橋今市駅6号出入口を撮影したものです。またこの太子橋今市駅の敷地はこの6号出入口を含めた谷町線の改札以西が旭区で、谷町線の残りの敷地と今里筋線の敷地は守口市となります。
こちらの上の画像は大阪メトロ谷町線太子橋今市駅の切符売り場と改札口です。
この大阪メトロ谷町線太子橋今市駅のホームの構造は島式ホーム1面2線となっております。こちらの上の画像は太子橋今市駅の駅名標と22系を絡めて撮影したものです。
こちらの上の画像は太子橋今市駅の駅名標と今里筋線への連絡通路を絡めて撮影したものです。
こちらの上の画像は先ほどの今里筋線への連絡通路を撮影したもので、これから今里筋線の乗り場へ向かいます。
谷町線のホームから今里筋線のホームへの移動は時間がかかりましたが、今里筋線のホームに到着です。こちらの上の画像は太子橋今市駅の駅名標と可動式ホーム柵を絡めて撮影したものです。
こちらの上の画像は80系が停車しているところを真横から撮影したものです。
そして、改札を出まして、今里筋線太子橋今市駅の改札口を撮影しました。
そして、地上に出まして、太子橋今市駅では唯一今里筋線仕様の出入口となる3号出入口を撮影しました。
次はそれなりに移動しまして、左の街区表示板の「旭区高殿四丁目22」であります。
その「旭区高殿四丁目22」の街区表示板の住所に該当するのは大阪メトロ谷町線関目高殿駅であります。こちらの画像は大阪メトロ谷町線関目高殿駅4号出入口を撮影したものです。
この大阪メトロ谷町線の関目高殿駅は1977年の都島-守口間の延伸時に関目駅の駅名で開業しましたが、後に地元自治会の要望で「関目(高殿)」と表記され、車内の自動アナウンスも「次は関目高殿、関目高殿でございます。」とアナウンスされるようになり、1997年に正式に現在の関目高殿駅に改称された経緯があります。こちらの上の画像は関目高殿駅の改札口と切符売り場です。
またこの大阪メトロ谷町線関目高殿駅のホームの構造は島式ホーム1面2線となっており、こちらの上の画像は関目高殿駅のホームを駅名標とLED式の発車標と絡めて撮影したものです。
こちらの上の画像は関目高殿駅の駅名標と22系を絡めて撮影したものです。
最後もそれなりに移動しまして、左の街区表示板の「旭区赤川一丁目1」であります。
その「旭区赤川一丁目1」の街区表示板の住所に該当するのはJRおおさか東線城北公園通駅であります。こちらの上の画像はJRおおさか東線城北公園通駅を赤川口側から撮影したものです。
こちらの上の画像は城北公園通駅の改札口と切符売り場を撮影したものです。
こちらの上の画像は城北公園通駅2番線ホームから撮影したもので、この城北公園通駅のホームは相対式ホーム2面2線となっております。
こちらの上の画像は1番線ホームに停車している201系を2番線ホームから撮影したものです。
最後にこのおおさか東線は貨物列車も走っており、訪問した際に偶然にもすぐに貨物列車がやって来たので撮影することができました。このおおさか東線が城東貨物線だった頃に数回貨物列車を撮影したことがありましたが、その頃はまだディーゼル機関車が牽引していましたので、この路線で電気機関車が牽引する貨物列車は今回初めての撮影となりました。またこの城北公園通駅の所在地の地名は「赤川」で、城北公園通駅の北側には淀川に架かる淀川橋梁(通称:赤川鉄橋)があり、おおさか東線開通前の城東貨物線時代の2013年10月31日までは列車が走る横を人が歩いて渡ることができる橋として有名でしたが、自分は一度も訪問したことがありませんでしたので今となってはもったいないことをしたと後悔しております。
今回の旭区の鉄道路線は昭和の大阪万博が開催される1年前の1969年3月31日までは京阪本線と大阪市電都島守口線でしたが、大阪市電が廃止され、1977年4月6日に当時の大阪市営地下鉄(現在の大阪メトロ)谷町線都島-守口間が延伸開業するまでは京阪本線のみが旭区の鉄道路線でしたが、その延伸開業した谷町線も大阪市電都島守口線の路線を踏襲せずに京阪本線とほぼ並行する形となったので、区域内で鉄道路線の偏りができてしまい、鉄道空白地帯が多い状態が21世紀になるまで続きました。21世紀に入って2006年12月24日に当時の大阪市営地下鉄(現在の大阪メトロ)今里筋線が開業し、さらに2019年3月16日にはJRおおさか東線が全線開通したことにより、区内南東部(大阪メトロ今里筋線清水駅や新森古市駅周辺)や北西部(JRおおさか東線城北公園通駅周辺)の鉄道空白地帯が埋まり、大阪市の中心部を通らずに鉄道で南北に移動できるようになったので利便性は昔と比べて格段に向上したように思います。
相変わらず記事の内容・画像とも粗い感じで申し訳ございませんが、今年もご愛顧のほどよろしくお願い致します。
それでは今回の旭区最初の街区表示板は左の画像の「旭区森小路一丁目4」であります。
その「旭区森小路一丁目4」の街区表示板の住所に該当するのは京阪電鉄京阪本線森小路駅であります。こちらの上の画像は京阪電鉄京阪本線森小路駅西改札口で、駅舎の上の高架ホームには現行塗装の京阪2600系30番台が停車しています。
こちらの上の画像は反対側の東改札口を撮影したものです。
この京阪電鉄京阪本線森小路駅のホームの構造は島式ホーム2面4線となっておりますが、内側2線は通過線となっていることから柵で仕切られています。こちらの上の画像は森小路駅下りホームから出町柳方面を見たところです。
こちらの上の画像は同じく森小路駅下りホームから淀屋橋・中之島方面を見たところです。
こちらの上の画像は同じく森小路駅下りホームの屋根のある場所から通過線の柵を撮影したものですが、屋根のないところと比べて柵の網の目が細かくなっているのがわかります。
次は少し移動しまして、左の街区表示板の画像の「旭区千林一丁目11」であります。
その「旭区千林一丁目11」の街区表示板の住所に該当するのは京阪電鉄京阪本線千林駅であります。こちらの上の画像は京阪電鉄京阪本線千林駅西改札口で、大阪三大商店街のひとつとされる千林商店街に面しております。
こちらの上の画像は京阪電鉄京阪本線千林駅西改札口を正面から撮影したものです。
そして、こちらの上の画像は先ほども触れましたが、京阪電鉄京阪本線千林駅西改札口と面している千林商店街の様子で、アーケードには地下鉄千林大宮駅への矢印の案内がありました。また画像右のオーエスドラッグはかつて隆盛を極めたスーパーマーケットチェーンのダイエーが1号店を出店した場所であります。
そして、反対側の東改札口に行きますと改札口のシャッターが下りた状態で、貼り紙がありました。
そして、その貼り紙を見ますと「お知らせ 千林駅東改札口は、2019年7月21日(月)より使用中止しておりましたが、9月20日(金)をもって閉鎖いたします。 お客さまにはご不便をおかけいたしますが、ご理解のほどをよろしくお願いいたします。 京阪電気鉄道株式会社」と書かれてありました。
この京阪電鉄京阪本線千林駅のホームの構造は相対式ホーム2面4線となっておりますが、内側2線は通過線となっております。こちらの上の画像は千林駅下りホームから出町柳方面を見たところです。
こちらの上の画像は以前に撮影したものですが、千林駅上りホームに停車している1900系を後追い構図で撮影したものです。
この千林駅のホームには木造の長いベンチが今も残っております。
こちらの上の画像も以前に撮影したものですが、森小路-千林間を走る旧特急色の8000系K特急です。
次も少し移動しまして、左の街区表示板の画像の「旭区清水四丁目8」であります。
その「旭区清水四丁目8」の街区表示板の住所に該当するのは大阪メトロ今里筋線清水駅であります。こちらの上の画像は大阪メトロ今里筋線清水駅1号出入口であります。
こちらの上の画像は大阪メトロ今里筋線清水駅の改札口と切符売り場です。
この大阪メトロ今里筋線清水駅のホームの構造は島式ホーム1面2線となっております。こちらの上の画像は清水駅の駅名標と可動式ホーム柵を入れて撮影したものです。今回写し忘れましたが、画像奥の今里側に留置線があり、平日朝のラッシュ時や平日休日問わず終電には当駅止まりの列車も設定されています。
こちらの上の画像は80系を真横から撮影したものです。
次も少し移動しまして、左の街区表示板の画像の「旭区太子橋一丁目4」であります。
その「旭区太子橋一丁目4」の街区表示板の住所に該当するのは大阪メトロ谷町線・今里筋線太子橋今市駅であります。こちらの画像は所在地と住所が1番違いの「旭区太子橋一丁目3」になりますが、大阪メトロ谷町線・今里筋線太子橋今市駅6号出入口を撮影したものです。またこの太子橋今市駅の敷地はこの6号出入口を含めた谷町線の改札以西が旭区で、谷町線の残りの敷地と今里筋線の敷地は守口市となります。
こちらの上の画像は大阪メトロ谷町線太子橋今市駅の切符売り場と改札口です。
この大阪メトロ谷町線太子橋今市駅のホームの構造は島式ホーム1面2線となっております。こちらの上の画像は太子橋今市駅の駅名標と22系を絡めて撮影したものです。
こちらの上の画像は太子橋今市駅の駅名標と今里筋線への連絡通路を絡めて撮影したものです。
こちらの上の画像は先ほどの今里筋線への連絡通路を撮影したもので、これから今里筋線の乗り場へ向かいます。
谷町線のホームから今里筋線のホームへの移動は時間がかかりましたが、今里筋線のホームに到着です。こちらの上の画像は太子橋今市駅の駅名標と可動式ホーム柵を絡めて撮影したものです。
こちらの上の画像は80系が停車しているところを真横から撮影したものです。
そして、改札を出まして、今里筋線太子橋今市駅の改札口を撮影しました。
そして、地上に出まして、太子橋今市駅では唯一今里筋線仕様の出入口となる3号出入口を撮影しました。
次はそれなりに移動しまして、左の街区表示板の「旭区高殿四丁目22」であります。
その「旭区高殿四丁目22」の街区表示板の住所に該当するのは大阪メトロ谷町線関目高殿駅であります。こちらの画像は大阪メトロ谷町線関目高殿駅4号出入口を撮影したものです。
この大阪メトロ谷町線の関目高殿駅は1977年の都島-守口間の延伸時に関目駅の駅名で開業しましたが、後に地元自治会の要望で「関目(高殿)」と表記され、車内の自動アナウンスも「次は関目高殿、関目高殿でございます。」とアナウンスされるようになり、1997年に正式に現在の関目高殿駅に改称された経緯があります。こちらの上の画像は関目高殿駅の改札口と切符売り場です。
またこの大阪メトロ谷町線関目高殿駅のホームの構造は島式ホーム1面2線となっており、こちらの上の画像は関目高殿駅のホームを駅名標とLED式の発車標と絡めて撮影したものです。
こちらの上の画像は関目高殿駅の駅名標と22系を絡めて撮影したものです。
最後もそれなりに移動しまして、左の街区表示板の「旭区赤川一丁目1」であります。
その「旭区赤川一丁目1」の街区表示板の住所に該当するのはJRおおさか東線城北公園通駅であります。こちらの上の画像はJRおおさか東線城北公園通駅を赤川口側から撮影したものです。
こちらの上の画像は城北公園通駅の改札口と切符売り場を撮影したものです。
こちらの上の画像は城北公園通駅2番線ホームから撮影したもので、この城北公園通駅のホームは相対式ホーム2面2線となっております。
こちらの上の画像は1番線ホームに停車している201系を2番線ホームから撮影したものです。
最後にこのおおさか東線は貨物列車も走っており、訪問した際に偶然にもすぐに貨物列車がやって来たので撮影することができました。このおおさか東線が城東貨物線だった頃に数回貨物列車を撮影したことがありましたが、その頃はまだディーゼル機関車が牽引していましたので、この路線で電気機関車が牽引する貨物列車は今回初めての撮影となりました。またこの城北公園通駅の所在地の地名は「赤川」で、城北公園通駅の北側には淀川に架かる淀川橋梁(通称:赤川鉄橋)があり、おおさか東線開通前の城東貨物線時代の2013年10月31日までは列車が走る横を人が歩いて渡ることができる橋として有名でしたが、自分は一度も訪問したことがありませんでしたので今となってはもったいないことをしたと後悔しております。
今回の旭区の鉄道路線は昭和の大阪万博が開催される1年前の1969年3月31日までは京阪本線と大阪市電都島守口線でしたが、大阪市電が廃止され、1977年4月6日に当時の大阪市営地下鉄(現在の大阪メトロ)谷町線都島-守口間が延伸開業するまでは京阪本線のみが旭区の鉄道路線でしたが、その延伸開業した谷町線も大阪市電都島守口線の路線を踏襲せずに京阪本線とほぼ並行する形となったので、区域内で鉄道路線の偏りができてしまい、鉄道空白地帯が多い状態が21世紀になるまで続きました。21世紀に入って2006年12月24日に当時の大阪市営地下鉄(現在の大阪メトロ)今里筋線が開業し、さらに2019年3月16日にはJRおおさか東線が全線開通したことにより、区内南東部(大阪メトロ今里筋線清水駅や新森古市駅周辺)や北西部(JRおおさか東線城北公園通駅周辺)の鉄道空白地帯が埋まり、大阪市の中心部を通らずに鉄道で南北に移動できるようになったので利便性は昔と比べて格段に向上したように思います。
相変わらず記事の内容・画像とも粗い感じで申し訳ございませんが、今年もご愛顧のほどよろしくお願い致します。
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