2020年5月30日土曜日

加川良さんと帝塚山界隈

今回は鉄道と音楽でありますが、1970年代から活躍されていたフォーク・シンガーの故・加川良さんの音楽と一時期お住まいだった当時の南海上町線(現在の阪堺上町線)帝塚山界隈との関わりについて(知っている範囲で全く詳しくありませんですが)少し触れてみたいと思います。


こちらの上の画像は加川良さんが1974年11月10日に発表された通算4枚目のアルバム『アウト・オブ・マインド』のジャケットですが、このジャケットに描かれているのが当時の南海上町線(現在の阪堺上町線)姫松停留場の待合室でして、加川良さんは当時帝塚山の中でもこの姫松界隈にお住まいだったそうです。またこの『アウト・オブ・マインド』には中川イサトさん、村上律さん、佐藤博さん、田中章弘さん、林敏明さん、長野たかしさん、鈴木茂さん、中川五郎さん、高田渡さんといったミュージシャンの方々が参加されていて、アルバム全体のサウンドは”カントリー・ロック”と呼ばれるジャンルが一番しっくりくると思いますが、その中でもアルバムB面の3曲目(CDでは8曲目)の「かかしのブルース」は以前風をあつめて / はっぴいえんどの記事の時にも触れました鈴木茂さん、佐藤博さん、田中章弘さん、林敏明さんらによるアメリカ南部志向のファンキーな演奏の楽曲で、鈴木茂さんがこのアルバムの録音に参加した後すぐに渡米して海外のミュージシャンと初ソロ・アルバム『BAND WAGON』を録音して発表するのですが、その後日本でライブ演奏する際のバンドとしてこのアルバムの録音を通じて知り合った佐藤博さん、田中章弘さん、林敏明さんを誘って結成されたのが”ハックルバック”で、ライブ演奏以外にもスタジオ録音もされていたそうですが、そのスタジオ録音の中の1曲(「砂の女」)に帝塚山出身の桑名正博さんが参加しているということを知りまして、同じ帝塚山ゆかりのミュージシャンの桑名正博さんと加川良さんが偶然にも鈴木茂さんを経由して繋がっていたことに驚いた次第であります(ご本人同士の交流があったのかはわからないのですが)。


こちらの上の画像は2018年に撮影した姫松停留場の待合室で、現在も使用されています。


こちらの上の画像は姫松停留場下りホームに停車するこのアルバムが発表された当時の塗装だった金太郎塗装のモ501形モ505です(2017年撮影)。この姫松界隈の風景を見てますとこのアルバム『アウト・オブ・マインド』で個人的に一番好きな楽曲「あした天気になあれ」のサビの”一番電車を見送って 目覚めの紅茶を飲んで”のところをつい口ずさんでしまいそうになります。


そして、こちらの上の画像は1972年に発表されたセカンド・アルバム『親愛なるQに捧ぐ』のジャケットで、このアルバムに収録されている「白い家」がかつて帝塚山にあった”白い家”というカフェのことを歌ったもので、路面電車も歌詞の中に登場します。


カントリー風のほのぼのとした楽曲ですので、是非聴いてみてください。


こちらの上の画像は帝塚山三丁目停留場上りホームに停車する同じくこのアルバムが発表された当時の塗装だった金太郎塗装のモ161形モ166です(2018年撮影)。


自分が加川良さんを知ったのは吉田拓郎さんのアルバム『元気です。』に収録されている「加川良の手紙」を聴いたことがきっかけでして、その後かなり時間が空いて15年ほど前にファースト・アルバム『教訓』を買って聴いて、その後は違うアルバムを買うこともなかったのですが、数年前に住吉でいつもお世話になっている同好の方がアルバム『アウト・オブ・マインド』をジャケットのことも絡めて薦めてくださったのでCDを買いまして、楽曲「白い家」のこともご教授くださったのでアルバム『親愛なるQに捧ぐ』も買って聴くようになりました。ありがとうございます。


そして、帝塚山で音楽といえば毎年この時期に開催されている帝塚山音楽祭ですが、今年は新型コロナウイルスの感染拡大防止のため中止となりました(詳細は帝塚山音楽祭公式ウェブサイト帝塚山音楽祭 開催中止のお知らせをご覧ください)。来年以降は収束して開催されることを祈るばかりです。


2020年5月23日土曜日

京阪13000系 フォト・ギャラリー

京阪13000系のフォト・ギャラリーです。


宇治線桃山南口-六地蔵間を走る13000系。


こちらの画像は京阪電気鉄道 13000系 - MYSTERY TRAIN PHOTO GALLERYでも公開しております。


2020年5月16日土曜日

惜別 阪急3000系

先日阪急3000系の最後の編成となった3054Fが正雀へ廃車回送されたとのことですので、今回は過去に掲載した画像ですが、在りし日の阪急3000系の姿をご覧ください。


2007年に伊丹線稲野-塚口間で撮影した3080Fです。行先表示板を掲出した姿が懐かしいです。


同じく2007年に神戸本線神崎川で撮影した3052Fです。


2009年に宝塚本線岡町で撮影した3066Fで、1995年より宝塚本線用にスカートが設置された編成でした。


1964年のデビューから50年以上、本当にお疲れ様でした。


2020年5月11日月曜日

阪堺標準塗装だった頃の阪堺モ161形

今回は過去に掲載した画像がほとんどですが、新緑の季節ということもありまして、南海大阪軌道線時代の緑色と比べてかなり明るい緑色に白帯が入った阪堺標準塗装だった頃のモ161形の画像をまとめてみました。


最初はトップナンバーのモ161で、2007年に阪堺線安立町停留場で撮影したものです。


こちらも同じくトップナンバーのモ161で、こちらは2010年に阪堺線住吉停留場(2番のりば)に停車しているところを撮影したものです。こちらのモ161は現在昭和40年代復元車となっております。


こちらはモ164で、2008年に阪堺線浜寺駅前停留場で撮影したものです。こちらのモ164は現在青色の雲電車塗装で車体側面に広告ラッピングが施されております。


こちらはモ165で、2005年に阪堺線住吉鳥居前停留場に停車しているところを撮影したものです。撮影当時は車体側面に阪堺電車の公式ウェブサイトのURLが記載されていました。こちらのモ165は現在既に廃車となっております。


こちらはモ166で、2005年に上町線阿倍野停留場で撮影したものです。こちらのモ166は現在金太郎塗装となっております。


こちらはモ167で、2005年に上町線北畠停留場に停車しているところを撮影したものです。


こちらも同じくモ167で、2007年に上町線と阪堺線との住吉交叉点を走っているところを撮影したものです。こちらのモ167は現在既に廃車となっております。


こちらはモ168で、2007年に上町線住吉停留場(4番のりば)に入線するところを撮影したものです。


こちらも同じくモ168で、2010年に阪堺線住吉停留場(2番のりば)に停車しているところを撮影したものです。こちらのモ168も現在既に廃車となり、大阪府貝塚市にあるレストラン「森の小径」に青色の雲電車塗装で静態保存されております。


こちらはモ170で、2003年に上町線帝塚山四丁目停留場で撮影したものです。こちらのモ170にも撮影当時は車体側面に公式ウェブサイトのURLが記載されていました。こちらのモ170も現在既に廃車となっております。


こちらはモ172で、2007年に上町線帝塚山四丁目で撮影したものです。こちらのモ172には当時映画『ROCKY THE FINAL』のラッピングが施されていました。


こちらも同じくモ172で、2010年に阪堺線住吉停留場(2番のりば)に停車しているところを撮影したものです。こちらのモ172も現在既に廃車となり、阪堺標準塗装で大阪府大阪市東住吉区のめぐむ保育園に静態保存されております。


こちらが先述の阪堺標準塗装で大阪府大阪市東住吉区のめぐむ保育園に静態保存されているモ172です(2019年6月23日に敷地外より撮影)。


最後はモ175で、2003年に阪堺線我孫子道停留場(1番のりば)に停車しているところを撮影したものです。こちらのモ175も現在既に廃車となり、香川県丸亀市の「パブリックプラザ丸亀」に静態保存されております。


自分が当時撮影できた阪堺標準塗装は9両(モ161・モ164・モ165・モ166・モ167・モ168・モ170・モ172・モ175)で、モ162とモ163の2両は当時熱烈な南海ファンで「南海太郎」の名でその筋の方々から知られていた故・平芳資也さんが私費を投じて南海大阪軌道線時代の復元塗装にしてくださっていたので阪堺標準塗装での姿は見たことがなく、モ169・モ171・モ173・モ174の4両は自分が撮影を始めた頃には既に廃車だったかもしれませんが、残念ながら現役時に阪堺標準塗装として撮影する機会には恵まれませんでした。


今後もまだしばらくは今回のような過去の画像を使っての記事が続きますが、ご了承願います。


2020年5月3日日曜日

南海2000系 フォト・ギャラリー

南海2000系のフォト・ギャラリーです。


高野線浅香山-我孫子前間を走る2000系。


高野線紀伊清水-橋本間の紀ノ川橋梁を渡る2000系。


南海本線新今宮-天下茶屋間を走る2000系。


高野線我孫子前-浅香山間の大和川橋梁を渡る「真田赤備え列車」のラッピングを施された2000系(前4両) +2000系(後4両)。


これらの画像は南海電気鉄道 2000系 - MYSTERY TRAIN PHOTO GALLERYでも公開しております。