この時期になると毎年同じ話題の記事となりますが、2016年1月31日に廃止(前日の2016年1月30日が最終営業日)されてから6年となる今年も阪堺上町線住吉-住吉公園間について振り返ってみたいと思います。昨年は直近に撮影した画像がなくて過去の画像ばかりでしたが、今回は直近に撮影した画像として昨年12月に撮影した画像がありますので、廃止前と廃止後も含めた過去に投稿した画像と比較してご覧にいただければと思います。
こちらの上の画像は2015年11月19日に撮影した住吉交叉点を渡って住吉公園へ向かう期間限定で通常運用に就いた時の昭和40年代復元車のモ161形モ161です。最終の営業日だった2016年1月30日に運用された時は系統板を掲出していましたが、この期間限定で通常運用に就いた時は「住吉公園」の方向幕で走っていました。
こちらの上の電車が写っていない住吉交叉点の画像は毎年掲載しておりますが、1994年秋頃に撮影したもので、上の2015年11月19日の画像と比べますとまだ薬局さんがなく、住吉停留場1番のりばの待合も昔のもので、1番のりばと交叉点の間に横断歩道があったり、住吉停留場3番のりばの屋根のテントもまだなかったりなど、細かいところで変わっているのが確認できます。
こちらの上の画像は2019年1月27日に撮影したものですが、一番上の2015年11月19日の画像と比べますと交叉点が分岐点になった以外は違いがほぼ見受けられません。
こちらは2020年1月19日に撮影したものですが、ひとつ上の2019年1月27日に撮影した画像と比べますと住吉停留場3番のりばの横に長年あった整形外科さんが移転されて更地となったことが確認できます。
こちらは2021年12月12日に撮影したものですが、ひとつ上の2020年1月19日に撮影した画像と比べますと更地だった住吉停留場3番のりばの横にマンションが建設されたことが確認できます。
そして、場所を少し移動しまして、こちらは廃止前の2015年12月23日に撮影した住吉-住吉公園間にあった踏切を渡る昭和40年代復刻車のモ161形モ161で、モ161形モ161の背後の道路の左側の白い建物はパチンコ屋さんでした。
こちらは2017年1月29日に撮影したもので、ひとつ上の2015年12月23日に撮影した画像と比べますと左側の白い建物のパチンコ屋さんは健在ですが、踏切と線路はなくなって道路となったことが確認できます。
こちらは2019年1月27日に撮影したもので、ひとつ上の2017年1月29日に撮影した画像と比べますと左側の白い建物のパチンコ屋さんが解体され、マンションの建設が始まったことが確認できます。
こちらは2020年1月19日に撮影したもので、ひとつ上の2019年1月27日に撮影した画像と比べますと建設中だったマンションが完成したのが確認できます。
こちらは2021年12月12日に撮影したもので、ひとつ上の2020年1月19日に撮影した画像と比べますとマンション手前の三角コーンがなくなり、すべてフェンスとなったことが確認できます。
そして、また少し場所を移動しまして、こちらは毎年定番で掲載しておりますが、2016年1月17日に撮影した南海本線住吉大社駅の改札までの階段の踊り場から見た廃止前の住吉公園駅ホームの先と上町線の線路です。
こちらは2017年1月22日に同じ場所で撮影したもので、線路とホームのあった場所は駐車場になりましたが、左奥に写っているパチンコ屋さんは廃止前の画像と同じくあるのが確認できます。
こちらは2018年1月28日に撮影した画像ですが、ひとつ上の2017年1月22日に撮影した画像と比べますと左奥にあったパチンコ屋さんの建物が取り壊されてなくなっていることが確認できます。
こちらは2019年1月27日に撮影した画像ですが、ひとつ上の2018年1月28日に撮影した画像と比べますと左奥のパチンコ屋さんの跡には建設中のマンションのクレーンが写っており、廃止前から駐車場だった場所の大部分が先述の建設中のマンションのモデルルームのプレハブになっているのが確認できます。
こちらは2020年1月19日に撮影した画像ですが、ひとつ上の2019年1月27日に撮影した画像と比べますと建設中だったマンションのクレーンが写っていたところには左端に少しだけ完成したマンションが写っており、マンションのモデルルームのプレハブは昨年と同じくありますが、昨年あったモデルルームの横断幕は外されたことが確認できます。
こちらは2021年12月12日に撮影した画像ですが、ひとつ上の2020年1月19日に撮影した画像と比べますとマンションのモデルルームのプレハブがなくなって元の駐車場となり、画像中央奥に住吉停留場3番のりば横に建設されたマンションが写っていることが確認できます。
廃止から6年が経ち、住吉停留場3番のりば横に長年あった整形外科さんが移転されてその跡地がマンションとなって住吉界隈の景色も大きく変化しましたが、阪堺電車沿線もあちらこちらでこれまで見慣れてきた景色が少しずつながら変わっていってますので、時代の移り変わりを痛感させられる今日この頃であります。
2022年1月31日月曜日
2022年1月16日日曜日
近鉄 信貴山口行き臨時準急を撮る
今回は先日に近鉄大阪線大阪上本町と信貴線信貴山口間で運転された臨時準急を取り上げてみたいと思います。
今年は寅年ということで寅のお寺で知られる信貴山朝護孫子寺への参拝を目的に1月1~3日、8~10日に3本(10、11、12時0分発)の臨時準急が2410系2両編成で設定されましたが、1月9日に撮影しました。
1本目の10時台は2410系2422F(W22)が充当されました。方向幕は「準急 信貴山口」がないので白になってましたが、代わりに往年の大きな角型の行先表示板と小さな丸い副標がダブルで掲出されていました。
こちらの1本目の大阪上本町方の大きな角型の行先表示板は白地に緑の長方形の縁取りの中に緑の横書きで「準急」とその下に緑の丸い縁取りに緑の縦書きで「信貴山口」と書かれたデザインとなっていました。
そして、小さな丸い副標は信貴山朝護孫子寺にある張り子の虎のイラストとなっていました。
そして、大阪上本町駅の8番線ホームの発車案内も「準急 信貴山口」と表示されていました。
そして、今回の信貴山口行き臨時準急は2両編成ということで4両編成以上の車両とは乗車位置が違うことから特別に乗車位置が設けられていました。
そして、先ほどの1本目の10時台の2410系2422F(W22)の信貴山口方を撮影したもので、小さな丸い副標は大阪上本町方と同じデザインのものでしたが、大きな角型の行先表示板は違うデザインのものとなっていました。
こちらの1本目の信貴山口方の大きな角型の行先表示板は一番外側が長方形の白い縁取りでその中の全体が緑地で上に白の横書きで「準急」とその下に白丸があり、その白丸の中に緑の縦書きで「信貴山口」と書かれたデザインとなっていました。
そして、2本目の11時台は2410系2424F(W24)が充当されました。小さな丸い副標は1本目のものと同じデザインのものでしたが、大きな角型の行先表示板は違うデザインのものとなっていました。
こちらの大阪上本町方の大きな角型の行先表示板は先ほどの1本目の信貴山口方の大きな角型の行先表示板と同じく、一番外側が長方形の白い縁取りでその中の全体が緑地で上に白の横書きで「準急」とその下に白丸があり、その白丸の中に緑の縦書きで左から「大阪上本町-信貴山口」と書かれたデザインとなっていました。
そして、先ほどの1本目の10時台の2410系2422F(W22)の信貴山口方を撮影したもので、小さな丸い副標は同じデザインのものでしたが、大きな角型の行先表示板は違うデザインのものとなっていました。
こちらの1本目の信貴山口方の大きな角型の行先表示板はが長方形の緑の縁取りでその中の上の1/4が白地で緑の横書きで「準急」、その下の3/4が緑地でその中央に白丸があり、その白丸の中に緑の縦書きで左から「大阪上本町-信貴山口」と書かれたデザインとなっていました。このデザインの行先表示板は大阪線では準急「大阪上本町-榛原」で使用されていました。
そして、3本目の12時台は再び2410系2422F(W22)が充当されました。小さな丸い副標はこれまでのものと同じデザインのものでしたが、大きな角型の行先表示板は違うデザインのものとなっていました。
こちらの3本目の大阪上本町方の大きな角型の行先表示板は緑の長方形の縁取りの中に双曲線があり、中央が緑地で、その緑地の上部に白の横書きで「準急」とその下に白の縦書きで左から「大坂上本町-信貴山口」と書かれたデザインとなっていました。このデザインの行先表示板は大阪線では準急「大阪上本町-高安」、「大阪上本町-五位堂」で使用されていました。
そして、3本目の信貴山口行き臨時準急に乗車して移動し、河内山本で3本目の信貴山口方を撮影しました。この3本目の信貴山口方も小さな丸い副標はこれまでのものと同じデザインのものでしたが、大きな角型の行先表示板は違うデザインのものとなっていました。
そして、この3本目の信貴山口方の大きな角型の行先表示板は先に大阪上本町駅で撮影したもので、白地に緑の長方形の縁取りの中に緑の横書きで「準急」とその下に小さな副標と同じく張り子の虎のイラスト、その下に黒の横書きで「信貴山口」と書かれたデザインとなっていました。
こちらは先ほどの河内山本で3本目の信貴山口行き臨時準急の折り返しの河内山本行きの2410系2422F(W22)と番線ホームに停車する当日の信貴線の定期運用だった1430系1431F(VW31)が並んだところを撮影したもので、2410系2422Fには「山本-信貴山口」の大きな角型の行先表示板が掲出されていました。今から45年ほど前ですが、生まれてから幼稚園児の頃まで河内山本に住んでまして、この「山本-信貴山口」の行先表示板は当時見ていたのでとても懐かしく感じました。
今年は寅年ということで寅のお寺で知られる信貴山朝護孫子寺への参拝を目的に1月1~3日、8~10日に3本(10、11、12時0分発)の臨時準急が2410系2両編成で設定されましたが、1月9日に撮影しました。
1本目の10時台は2410系2422F(W22)が充当されました。方向幕は「準急 信貴山口」がないので白になってましたが、代わりに往年の大きな角型の行先表示板と小さな丸い副標がダブルで掲出されていました。
こちらの1本目の大阪上本町方の大きな角型の行先表示板は白地に緑の長方形の縁取りの中に緑の横書きで「準急」とその下に緑の丸い縁取りに緑の縦書きで「信貴山口」と書かれたデザインとなっていました。
そして、小さな丸い副標は信貴山朝護孫子寺にある張り子の虎のイラストとなっていました。
そして、大阪上本町駅の8番線ホームの発車案内も「準急 信貴山口」と表示されていました。
そして、今回の信貴山口行き臨時準急は2両編成ということで4両編成以上の車両とは乗車位置が違うことから特別に乗車位置が設けられていました。
そして、先ほどの1本目の10時台の2410系2422F(W22)の信貴山口方を撮影したもので、小さな丸い副標は大阪上本町方と同じデザインのものでしたが、大きな角型の行先表示板は違うデザインのものとなっていました。
こちらの1本目の信貴山口方の大きな角型の行先表示板は一番外側が長方形の白い縁取りでその中の全体が緑地で上に白の横書きで「準急」とその下に白丸があり、その白丸の中に緑の縦書きで「信貴山口」と書かれたデザインとなっていました。
そして、2本目の11時台は2410系2424F(W24)が充当されました。小さな丸い副標は1本目のものと同じデザインのものでしたが、大きな角型の行先表示板は違うデザインのものとなっていました。
こちらの大阪上本町方の大きな角型の行先表示板は先ほどの1本目の信貴山口方の大きな角型の行先表示板と同じく、一番外側が長方形の白い縁取りでその中の全体が緑地で上に白の横書きで「準急」とその下に白丸があり、その白丸の中に緑の縦書きで左から「大阪上本町-信貴山口」と書かれたデザインとなっていました。
そして、先ほどの1本目の10時台の2410系2422F(W22)の信貴山口方を撮影したもので、小さな丸い副標は同じデザインのものでしたが、大きな角型の行先表示板は違うデザインのものとなっていました。
こちらの1本目の信貴山口方の大きな角型の行先表示板はが長方形の緑の縁取りでその中の上の1/4が白地で緑の横書きで「準急」、その下の3/4が緑地でその中央に白丸があり、その白丸の中に緑の縦書きで左から「大阪上本町-信貴山口」と書かれたデザインとなっていました。このデザインの行先表示板は大阪線では準急「大阪上本町-榛原」で使用されていました。
そして、3本目の12時台は再び2410系2422F(W22)が充当されました。小さな丸い副標はこれまでのものと同じデザインのものでしたが、大きな角型の行先表示板は違うデザインのものとなっていました。
こちらの3本目の大阪上本町方の大きな角型の行先表示板は緑の長方形の縁取りの中に双曲線があり、中央が緑地で、その緑地の上部に白の横書きで「準急」とその下に白の縦書きで左から「大坂上本町-信貴山口」と書かれたデザインとなっていました。このデザインの行先表示板は大阪線では準急「大阪上本町-高安」、「大阪上本町-五位堂」で使用されていました。
そして、3本目の信貴山口行き臨時準急に乗車して移動し、河内山本で3本目の信貴山口方を撮影しました。この3本目の信貴山口方も小さな丸い副標はこれまでのものと同じデザインのものでしたが、大きな角型の行先表示板は違うデザインのものとなっていました。
そして、この3本目の信貴山口方の大きな角型の行先表示板は先に大阪上本町駅で撮影したもので、白地に緑の長方形の縁取りの中に緑の横書きで「準急」とその下に小さな副標と同じく張り子の虎のイラスト、その下に黒の横書きで「信貴山口」と書かれたデザインとなっていました。
こちらは先ほどの河内山本で3本目の信貴山口行き臨時準急の折り返しの河内山本行きの2410系2422F(W22)と番線ホームに停車する当日の信貴線の定期運用だった1430系1431F(VW31)が並んだところを撮影したもので、2410系2422Fには「山本-信貴山口」の大きな角型の行先表示板が掲出されていました。今から45年ほど前ですが、生まれてから幼稚園児の頃まで河内山本に住んでまして、この「山本-信貴山口」の行先表示板は当時見ていたのでとても懐かしく感じました。