今回は4ヶ月ぶりの再開となる「街区表示板と鉄道の旅 大阪市24区編」の記事となりますが、第17回目となる今回は大阪市内で唯一紫色の街区表示板の福島区でございます。今回の福島区は1943年4月1日に大阪市を13区から22区にする分増区が行われた際に西淀川区の海老江・鷺洲地区と此花区の福島・野田地区に北区の一部(堂島浜)が加わって誕生した区であります(詳しくはWikipediaをご覧ください)。
それでは今回の福島区最初の街区表示板ですが、本来の「福島区海老江八丁目17」の住所の街区表示板を見つけられませんでしたので、3番違い(近い番地のものも見つかりませんでしたので。。)の左の街区表示板の画像の「福島区海老江八丁目14」であります。
その3番違いの「福島区海老江八丁目14」の住所に該当するのは阪神電鉄阪神本線淀川駅で、こちらの上の画像は阪神電鉄阪神本線淀川駅の東側の出入口であります。
そして、こちらの上の画像は阪神電鉄阪神本線淀川駅の西側の出入口であります。
こちらの上の画像は阪神電鉄阪神本線淀川駅の切符売り場と改札口であります。
そして、改札口を入ってコンコースの真正面には現在の高架化される前に架けられていた阪神本線新淀川旧橋梁鋼構桁沓部分が展示されております。
そして、阪神電鉄阪神本線淀川駅のホームは相対式ホーム2面2線となっており、こちらの上の画像は大阪梅田方面の1番ホームから神戸三宮方面を撮影したもので、駅のすぐ北側に淀川が流れております。
こちらの上の画像は神戸三宮・姫路方面の2番ホームから神戸三宮方面を撮影したもので、こちら側からは淀川橋梁のトラス橋がよく見えまして、有名な撮影地となっております。
こちらの上の画像はこの先ほどの2番ホームから2008年に撮影した8701・8801・8901形です。
そして、こちらの上の画像は大阪梅田方面の1番ホームから大阪梅田方面を撮影したものです。
こちらの上の画像は神戸三宮・姫路方面の2番ホームから大阪梅田方面を撮影したもので、こちら側から見ると阪神本線らしく隣の野田駅側から大きなカーブとなっているのがよくわかります。
そして、先ほどの大きなカーブから旧塗装の8000系が淀川駅を通過するところを2007年に撮影したものです。
そして、一番最初の淀川駅の東側の出入口を少し野田駅寄りに歩いたところには阪神本線が高架化される前の旧線の遺構が残ってまして、こちらの上の画像の現在の阪神本線のすぐ東側にあるのが旧線のコンクリート橋台跡で、こちらは三宮側であります。
そして、旧線のコンクリート橋台跡の三宮側にはレールの跡が確認できます。
そして、こちらの上の画像は同じく旧線のコンクリート橋台跡で、こちらは先ほどの三宮側から振り向いた梅田側になります。
そして、旧線のコンクリート橋台跡の梅田側にもレールの跡が確認できます。
次は少し移動しまして、左の街区表示板の画像の「福島区海老江一丁目1」であります。
その「福島区海老江一丁目1」の住所に該当するのは阪神電鉄阪神本線野田駅で、こちらの上の画像は阪神電鉄阪神本線野田駅の外観を南側から撮影したものです。
こちらの上の画像は阪神電鉄阪神本線野田駅の改札口を撮影したものです。
この阪神電鉄阪神本線野田駅は島式ホーム2面4線を持つ待避可能な高架駅で、こちらの上の画像は大阪梅田方面1・2番ホームから大阪梅田方を撮影したものです。
こちらの上の画像は神戸三宮・姫路方面3・4番ホームの大阪梅田方から撮影した1000系1207F「Go!Go!灘五郷!」ラッピング車両です。
こちらの上の画像は阪神電鉄阪神本線野田駅の北側で、現在バスターミナルとなっておりますが、1975年5月5日まで走っていた路面電車の阪神国道線・北大阪線の駅があった場所であります。
こちらの上の画像は先ほどのバスターミナルの道路を挟んで北側にある阪神電鉄の本社ビルで、本社ビルの西側にある道路はかつて路面電車の阪神北大阪線が走っていました。
こちらの上の画像は阪神電鉄の本社ビルの玄関にあった石碑で、「みなさまと共に <新たな100年に向けて> 当社は、明治38年(1905年)4月12日に、神戸~大阪間の移送営業を開始して以来、開業100周年を迎えました。 長年のご支援に感謝いたしますとともに、新たな未来に向かって、皆様と共に歩んでまいります。 阪神電気鉄道株式会社 開業百周年記念 平成17年(2005年)4月12日」と書かれていました。
次も少し移動しまして、左の街区表示板の画像の「福島区福島五丁目8」であります。
その「福島区福島五丁目8」の住所に該当するのは阪神電鉄阪神本線福島駅で、こちらの上の画像は「福島区福島五丁目8」の住所に該当する出入口の外観をなにわ筋を挟んで西側(「福島区福島五丁目9」側)から撮影したものです。この阪神電鉄阪神本線福島駅も現在は地下駅ですが、かつては地上駅でなにわ筋に踏切があったことから自動車の渋滞が慢性化しておりました。
こちらの上の画像は同じく「福島区福島五丁目8」の住所に該当する出入口の外観をなにわ筋東側(「福島区福島五丁目8」側)で撮影したものです。
そして、先ほどの出入口の階段を降りますと「阪神電車のりば JR新福島駅とは、連絡しておりません。」と案内があり、すぐ隣にあるJR新福島駅と地下で繋がっていないことを注意喚起されています。
こちらの上の画像は阪神電鉄阪神本線福島駅の切符売り場と改札口です。
この阪神電鉄阪神本線福島駅のホームは相対式ホーム2面2線となっております。
こちらの上の画像は阪神電鉄阪神本線福島駅の大阪梅田方面1番ホームで駅名標と5550系を絡めて撮影したものです。
次はほんの少し移動しまして、左の街区表示板の画像の「福島区福島五丁目9」であります。
その「福島区福島五丁目9」の住所に該当するのはJR東西線線新福島駅で、こちらの上の画像は「福島区福島五丁目9」の住所に該当するJR東西線新福島駅1号出入口を撮影したものです。
こちらの上の画像はJR東西線新福島駅の切符売り場を撮影したものです。阪神電鉄阪神本線福島駅はすぐ隣にありますが、先述しましたようにこのJR東西線新福島駅とは地下通路で繋がっておりません。
こちらの上の画像はJR東西線新福島駅の改札口を撮影したものです。
JR東西線新福島駅のホームは島式ホーム1面2線となっております。
こちらの上の画像はJR東西線新福島駅のホームの壁の駅名標と駅のシンボルである「逆櫓の松」(「平家物語」に記されている逆櫓の松の故事に因んだもの)を撮影したものです。
こちらの上の画像はJR東西線新福島駅の駅名標と207系を絡めて撮影したものです。
次は少し移動しまして、こちらも本来の「福島区海老江五丁目2」の街区表示板を見つけられませんでしたので、1番違いの左の街区表示板の画像の「福島区海老江五丁目1」であります。
その「福島区海老江五丁目1」の住所に該当するのはJR東西線海老江駅で、こちらの上の画像は「福島区海老江五丁目1」の住所に該当するJR東西線海老江駅1号出入口を撮影したものです。
こちらの上の画像はJR東西線海老江駅の改札口と切符売り場を撮影したものです。
このJR東西線海老江駅は地下通路で大阪メトロ千日前線野田阪神駅とも繋がっており、地下の出入口から地上に出ると阪神電鉄阪神本線野田駅にもアクセスできることから地下通路には「地下鉄・阪神電車連絡口」と書かれた案内があります。
またこのJR東西線海老江駅のホームは島式ホーム1面2線となっております。
こちらの上の画像はJR東西線海老江駅のホームの壁の駅名標と駅のシンボルである「野田藤(のだふじ)」(かつて海老江駅周辺が藤の名所であったことに因んだもの)を撮影したものです。
こちらの上の画像はJR東西線海老江駅の駅名標と207系を絡めて撮影したものです。
次はほんの少し移動しまして、左の街区表示板の画像の「福島区大開一丁目14」であります。
その「福島区大開一丁目14」の住所に該当するのは大阪メトロ千日前線野田阪神駅で、こちらの上の画像は「福島区大開一丁目14」の住所に該当する大阪メトロ千日前線野田阪神駅8号出入口を撮影したものです。
こちらの上の画像は大阪メトロ千日前線野田阪神駅の改札口を撮影したものです。
この大阪メトロ千日前線野田阪神駅のホームは相対式ホーム2面2線となっておりますが、当駅発の旅客列車はすべて1番ホームからとなっており、2番ホームは朝夕ラッシュ時のみ当駅到着後に森之宮検車場に向かう列車のみとなっております。こちらの上の画像は1番ホームに停車する25系を撮影したものです。
こちらの上の画像は同じく大阪メトロ千日前線野田阪神駅の1番ホームから駅名標と25系を絡めて撮影したものです。
こちらの上の画像も同じく大阪メトロ千日前線野田阪神駅1番ホームから25系と向い側の2番ホームを絡めて撮影したものです。
そして、大阪メトロ千日前線野田阪神駅2番ホームの柱には「ヒゲ文字」と呼ばれる字体の駅名標が残っており、奥の壁の現在の駅名標と絡めて撮影しました。
次も少し移動しまして、左の街区表示板の画像の「福島区吉野三丁目1」であります。
その「福島区吉野三丁目1」の住所に該当するのは2カ所ありまして、まず最初の1カ所目は大阪メトロ千日前線玉川駅であります。こちらの上の画像は「福島区吉野三丁目1」の住所に該当する大阪メトロ千日前線玉川駅4号出入口であります。
この大阪メトロ千日前線玉川駅の改札口は3カ所ありますが、こちらの上の画像は大阪メトロ千日前線玉川駅北寄りの南巽方面1番ホーム側にある改札口を撮影したものです。
大阪メトロ千日前線玉川駅のホームは相対式ホーム2面2線となっており、こちらの上の画像は野田阪神方面2番ホームで玉川駅の駅名標と25系を絡めて撮影したものです。
そして、「福島区吉野三丁目1」の住所に該当する2カ所目はJR大阪環状線野田駅で、こちらの上の画像は「福島区吉野三丁目1」の住所に該当するJR大阪環状線野田駅の出入口を南側から撮影したものです。
こちらの上の画像はJR大阪環状線野田駅の改札口であります。
この大阪環状線野田駅のホームは島式ホーム1面2線となっております。
こちらの上の画像はJR大阪環状線野田駅ホームの福島方を撮影したものです。
こちらの上の画像は先ほどの画像のJR大阪環状線野田駅ホームの福島方を望遠で撮影したもので、3本の線路がありますが、右から大阪環状線内回り、真ん中が大阪環状線外回り、左が東海道本線支線(梅田貨物線)(正確には西九条-福島間は大阪環状線の線増扱いとなるそうですので、この画像に写っている区間は大阪環状線となります)となっております。
また貨物線の外側に舗装された道路のような箇所がありますが、この箇所はかつて地上で二つの路線に分かれ、片方は大阪市中央卸売市場への貨物支線(中央市場線)、もう片方は三菱ガス化学大阪工場や福山通運大阪流通センター、レンゴー淀川製紙工場などへ向かう専用線で、専用線はもともと三菱製紙が敷設したものだったそうです。
こちらの上の画像は貨物線の外側の舗装された箇所を振り向いて撮影したものです。
そして、こちらの上の画像は駅から降りて先ほどの貨物線の外側の舗装された箇所を地上から撮影したもので、スロープになっていることが確認できます。
こちらの上の画像は先ほど地上から撮影した画像の北側から撮影したもので、先ほどのスロープから分岐して自分が立っていた場所へ専用線が伸び、画像の右側へ貨物支線(中央市場線)が伸びていたようです。今回は貨物支線の中央市場線跡を辿っていきます。
そして、先ほどの画像より少し西へ移動しましたが、そのまま北側を移動しますと民家ばかりで撮影できませんでしたので、JR大阪環状線の高架の南側へ移動しました。こちらの上の画像のこのコインパーキング辺りで貨物支線の中央市場線はJR大阪環状線の高架を潜っていたそうです。
先ほどの画像の場所を180度振り向きますとこちらの上の画像の遊歩道となってまして、遊歩道を歩いて行きます。
遊歩道はタイルが敷かれていてよく整備されております。
途中には花壇があったりもします。
「野田緑道」と書かれた石碑がありました。
進んでいきますと屋根付きのベンチがあったりして、この辺りは少し広いので公園のような感じがします。
更に進みますと道が狭くなっていきます。
まだまだ狭い遊歩道を進んでいきます。
路地と交差しますが、更に先へと進んでいきます。
更に信号を渡って先へ進みます。
そして、タイル張りの遊歩道の先には土の遊歩道が見えてきました。
そして、土の遊歩道を歩いていきますと奥に小さく中央市場らしき建物が見えてきました。
そして、土の遊歩道を歩き切りますと「ターレー」と呼ばれる運搬車、フォークリフトなどが見えましたので、中央市場に到着です。この画像の辺りが当時の貨物支線(中央市場線)の大阪市場駅があった場所だそうです。
そして、こちらの上の画像が現在の大阪市中央卸売市場であります。
そして、JR大阪環状線野田駅周辺に戻りまして、323系が走っているところを撮影しました。そして、野田駅周辺の大阪環状線の高架橋の柱には大阪市中央卸売市場の最寄り駅らしく、魚や野菜、果物などの絵が描かれております。
最後は少し移動しまして、左の街区表示板の画像の「福島区福島七丁目1」であります。
その「福島区福島七丁目1」の住所に該当するのはJR大阪環状線福島駅で、こちらの上の画像は「福島区福島七丁目1」の住所に該当するJR大阪環状線福島駅出入口を南側から撮影したものです。
こちらの上の画像はJR大阪環状線福島駅の切符売り場(手前)と改札口(奥)であります。
このJR大阪環状線福島駅のホームは島式ホーム1面2線となっております。
そして、JR大阪環状線福島駅の北側には先述しました東海道本線支線(梅田貨物線)の踏切があります。
そして、この東海道本線支線(梅田貨物線)の踏切のすぐ西側から徐々に上り坂となっており、上ってからは西九条まで大阪環状線の隣を走ります。
今回最後の画像はJR大阪環状線福島駅の北側から撮影した環状線ホームに停車する323系と東海道本線支線(梅田貨物線)の踏切を通過する283系特急「はるか」です。
福島区は大阪の中心地の梅田(北区)が隣にあることから鉄道路線は充実しており、昭和の頃から利便性の高い区でありましたが、さらに平成の時代に突入して1997年にJR東西線が開業してからはより利便性が上がったことで居住地としての人気が上がり、昭和の高度経済成長後の時期から減少傾向にあった人口も2000年以降は増加に転じております。JR東西線開業前の1990年代前半の福島駅周辺は梅田の隣でありながらひっそりしていた印象でしたが、現在は立地の良さから飲食店などがかなり増えて休日でも賑やかで街の雰囲気が変わったと思いました。
今回も相変わらず記事の内容・画像とも粗い感じで申し訳ございませんが、今後もご愛顧のほどよろしくお願い致します。